入社式から早1週間。雫は睡眠不足で朦朧とする頭を抱えながら、エレベーターまでの道のりを歩いていた。

「しっかし、入社してすぐ残業って何なのよ・・・。昨日なんか、家着いたの11時過ぎだっつの!!」

雫が半ば呆れながら愚痴っているのは、急変した社内事情に原因がある。入社したばかりの雫たちは、本来ならば2週間の研修期間のなかで社内の雰囲気や仕事内容に慣れていくはずだった。しかし昨日号外を配布したことで、[ゴゴサンジ]には予想以上に大きな反響が寄せられていた。

鉄は熱いうちに打てとばかりに、最新号である4月号に挟み込む形で、別冊の特集ページを付けようと提案したのは編集長だった。社長であるヤグもその気になってしまった結果、スタッフ全員が取材と資料集めと原稿執筆に走り回っている。

当然ながら、歓迎会を兼ねたお花見は延期。目前に迫った締切日に間に合わせるため、怒涛の残業が続いていると言うわけだ。ただでさえ新しい生活環境に馴れていないところに、ふってわいたハプニング。緊張と疲れで満足に眠れていない雫は、少しイライラしていた。

『おはよう雫。顔色が優れないけどどうしたの?・・・あなたは笑顔が一番素敵なんだもの。ムスッとしてたら勿体無いわよ。』

「あ、編集長おはようございます・・・」

後ろから声を掛けられた雫は、小さく肩を震わせた。さっきの独り言が聞こえていたらどうしようと、気まずさから目が合わせられない。俯き加減のまま、彼女とエレベーターに乗り込んだ。

ドンカラスのラースは、[ゴゴサンジ]きっての腕利きである。艶のある長い黒髪を群青色のピンで飾り、カッターシャツとえんじ色のスカートの上に黒のロングカーデを羽織っている。シンプルだが女性らしいコーディネートを好む彼女は、周囲からは兄貴と呼ばれ慕われている。その理由は、本人の性格に依るところが大きい。先日の号外作成時も、的確な指示と熱い檄を飛ばしてスタッフを盛り立てていたのが彼女である。そのとき廊下にいた雫の耳にも、ラースのよく通るアルトがしっかり届いていた。

『出版業界って、案外ハードな仕事なのよ。慣れないうちは大変かもしれないけど、雫たちならガッツもあるし大丈夫よね?私たちも期待してるわ。』

ラースは性格と行動が男前な上に、人を褒めたり細やかな心遣いが上手である。雫自身もラースの言葉に励まされ、やっと微笑みを浮かべることができた。

「心配掛けちゃってすみませんでした。早く編集長たちの期待に応えられるように頑張ります!」

そのままエレベーターを降り、オフィスのドアを開ける。まだ他のスタッフは出社していないようだ。しばらく雑用をこなしながら、2人で他愛もない話を続けていた。


◇◆◇◇◆◇

今日雫に割り振られた仕事は、とあるインタビューのアシスタントである。ロケット団によるラジオ塔占領事件を解決した少年に取材できることになったようだ。取り付けたアポは午後1時からフスベのポケモンセンター会議室。##NAME1##は昼前までの時間、頼まれた雑用とインタビューの事前準備に駆けずり回ることとなった。

「そういやアゲハさん、こないだ会社で擬人化してましたよね。あれ、大丈夫なんですか?」

『うちの会社の人たちは家族みたいなもんだし、信頼してるから大丈夫なの。それに、さすがに私も人前じゃわきまえてるわよ』

「そうなんですか。・・・良いとこなんですね、この会社は。」


麗らかな陽射しの下、雫とアゲハはチョウジの上空を飛んでいた。今回インタビューの人員は2人だけなので、飛行要員として雫の実家から手持ちを転送してもらったのだ。普通より一回りほど大きな白いプテラは、2人を乗せてなお、力強く翼を動かし続けている。

ポケモンはある条件を満たすことで、自由に人型を取れるようになる。このことは社会的にも広く知られているし、雫も身をもって理解している。その条件とは【人と暮らすなかで互いに信頼関係を築く】こと。そのため、カントーを共に旅してきた雫の手持ちも全員擬人化が出来るようになっている。しかし、姿を変える瞬間を人目に晒すポケモンはそう多くはない。どうやらソレを見せるのは、自らが信頼する者の前でのみというのが暗黙の了解になっているようだ。

アゲハの言葉を聞いて、[ゴゴサンジ]のスタッフは互いに強い絆で結ばれていることが窺われた。雫は思わず頬を緩める。

『あ、そろそろフスベに着くわよ。安全着陸でお願いね?』

アゲハに声をかけられ、雫はハッと我に返った。白い翼竜に指示を出し、ゆっくり高度を下げてもらう。数秒後、2人は無事にフスベの地に降り立つことが出来た。

「橘ありがとねー。んじゃ、しばらくボールで休んでて!」

たちばな、と呼びかけた雫はそっと翼を撫でてやる。ボールを翳すと、巨躯は赤い光となり、その中に吸い込まれていった。橘のボールは、腰のベルトに付け直す。今日は2人とも、動きやすいパンツルックで会社の腕章を着けている。手櫛で髪の乱れを整えると、どちらともなく顔を見合わせた。時計を見ると、約束の時間の10分前。2人はポケモンセンターのドアをくぐって中に入っていった。アゲハは辺りを見渡すと、ある少年を見付けて手を振った。彼が噂のトレーナーらしい。

『あ、いたいたヒビキくん!今日は時間取って貰ってありがとね。』

「いいえ、大丈夫ですよ。というかこちらこそ、こんな遠くまでお呼びしちゃってすみません。」

『いいのよ。これが私たちの仕事なんだから。で、紹介するわね。こちら新人の涼宮雫。今日のインタビューのアシスタントを務めるわ。』

「はじめまして、涼宮雫と申します。今日はよろしくお願いします!」

「雫さんはじめまして。俺はヒビキって言います。こちらこそよろしくお願いしますね。」

ヒビキは被っていたキャップを脱いでお辞儀した。見ためは10歳位なのに、とても礼儀正しい少年のようだ。雫も笑顔でお辞儀を返し、ヒビキとアゲハを交互に見た。

『じゃあそろそろ場所を移しましょうか。ここの会議室が押さえられたから、そこでインタビューさせて貰うわね。』

3人は、世間話をしながら廊下を歩いていた。ポケモンセンターには、回復・宿泊以外にも様々なスペースがある。会議室や図書室、トレーニングルームなどの設備も充実しているのだ。

ジョーイさんから借りた鍵で会議室のドアを開ける。口の字に並んだ長机とホワイトボードが目に入った。自分では使ったことのない部屋に内心驚きながら、すぐにヒビキたちを招き入れた。

『すぐ準備するから、ヒビキくんは楽にして待っててね?』

ヒビキに声を掛けながら、使用する機材を手早く並べていく。雫も細心の注意を払い、セットを手伝う。ついでに、3人の飲み物も準備する。

「アゲハさん。準備完了しました!いつでも始められますよ。」

『ありがと雫。なら、始めましょうか。ヒビキくんもよろしくね。』

「はい。よろしくお願いします!・・・うわぁ、何かドキドキしてきたなぁ」

『身構えなくてもいいわ。リラックスしてお話ししているときの方が、ヒビキくんの魅力も出やすいんだからね?』

…そう言えば、あたしが取材受けたときもアゲハさんたちが担当だったんだよなぁ。


アゲハが悪戯っぽくウインクするのを見て、雫はカントーにいた頃のことを思い出していた。ヒビキもだいぶ緊張が解れてきたらしく、柔らかい笑みを浮かべている。
雫はボイスレコーダーのスイッチを入れ、手元のノートとペンを引き寄せた。

記録役に徹するだけでなく、アゲハからインタビューのコツを盗むべくひっそりと気合いを入れた雫だった。取材予定時間は1時間だったが、アゲハの話術のお陰で笑いの絶えることは無かった。いつか自分も、こんなインタビューが出来るようになりたい。またひとつ、雫が目指したい理想が増えた瞬間だった。



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