×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

▼ ▲ ▼


 大学からの帰り道、信号無視で突っ込んで来た車に撥ねられた挙句、何処からか飛んで来た古ぼけた『矢』に胸を貫かれるというまさに踏んだり蹴ったりな出来事を体験してから、二週間とちょっと。
 気が付くと、私は生前――という表現で合っているのか――に愛読していた某奇妙な冒険の世界にトリップしていた。場所はM県S市、杜王町。時代は1999年。つまり、舞台としては私の最も好きな四部の頃である。そして、四部で古ぼけた『矢』といえば、まあ言わずもがなあの『矢』だろう。

 『矢』が突き刺さった筈の胸には何の傷も無いので、もしやと思ってはいたのだが、やはり私は『スタンド』を発現した。見た目は手乗りサイズほどで、ハリネズミ以外の何物でもないその『スタンド』――『エアリアル』は、『周囲に溶け込む』能力を持っている。攻撃力は殆ど無いけれど、主人公達に積極的に関わる気も、戦うヒロインになる気もさらさら無いので、特に問題は無かった。

 『周囲に溶け込む』能力とはどういうものか簡潔に言ってしまうと、私は『まるで昔から存在していた』ようにこの町で不自由なく暮らせる――といったところか。もう二週間ちょっとこの町で生活していて、家を借り、大学に通い、バイトもしているけれど、誰も私が異世界からトリップして来たとは知らない。
 このスタンドの便利なところは、『周囲に溶け込む』過程で最低限必要なもの――例えば近所の住人の名前などは相手も自分も勝手にインプットされる事だろう。このお陰で、私は大学でも『一緒に進級して来た』ように友人と仲が良いし、近所のおばさんも私の事は『前からのご近所さん』だと思っている。
 ある筈の無い戸籍でさえ存在しているようにインプットされているので、家を借りたりバイトしたり出来ているのだ。更には、能力の効果を強めれば存在を認識出来なくさせる事も可能である。影が薄い、の最上位みたいなものだと思う。


 最初の数日こそ戸惑っていたけれど、一週間も経てばいつまでもくよくよしていられないと思うようになったし、二週間も経てばすっかり生活には慣れていた。順応力って凄い。
 因みに、四部の主人公であり、私の一番好きな登場人物でもある仗助の住んでいる辺りである定禅寺にうっかり家を借りてしまったし、ぶどうヶ丘高校の直ぐ近くにある大学に通ってしまったけれど、運が良いのか悪いのか、私は未だに登場人物には出会った事が無かった。

 まあ、会ったところで私のテンションが上がるだけだし、物語に関わろうと思っている訳でも無いので良いのだけれど、ちょっと、ほんのちょっとだけ残念な気もしている。ファンのさがとでも言うべきかもしれない。まあ、いつか遠目でちらっと見られれば良いなあ、なんて思うようにしていた――のだけれど。

「…………い、居た…ホンモノ…」

 大学からの帰り道、杜王駅前のロータリーで、彼を見付けた。頭一つ分くらい抜きん出ている身長も、特徴的な学ランも、一際目立つその髪型も、見間違える筈が無い。東方仗助、である。距離にして五、六メートルと言ったところか。
 流石に康一くんとは出会っているとは思うけれど、億泰とはまだ出会っていないのか、はたまた今日はたまたまなのか、仗助は一人で歩いている。もしも三人揃っていたら卒倒していたかもしれないので、寧ろ一人で居てくれて良かったかもしれない。…いや、ウソ、今も若干卒倒しそうではある。

 大好きな登場人物が実際に目の前を歩いているというのは、こんな不思議な気持ちになるのか。感無量というか何というか、もう色々な感情が込み上げて来ている。見ているだけでこんなに幸せになるなんて、まるで恋する乙女みたいじゃあないか…。
 ドクドクと煩い胸を押さえ、ふうっと息を吐く。ああ、何か変な汗かいて来た…。感激のあまり涙が出そうになって、道端に立ち止まり、目頭に手を置いて密かに堪えていた時だった。

「……あのォ〜、お姉さん、大丈夫っスか?」
「…………………、へ…?」

 上から降って来た声に、私の時が止まった。たっぷりの間を置いてから素っ頓狂な声を上げた後、ゆっくりと顔を上げる。そうして、もう一度時が止まった。
 目の前で立ち止まり、心配そうに私の顔を覗き込んでいるのは、東方仗助、その人である。石化したように固まった私に、仗助は「お姉さん?」と首を傾げた。……お姉さんって、やっぱり、私、だよね。

「……あ、…う、あの…」
「…あ、いきなり声掛けられてビックリしちゃいましたよね、すんませんっス。でも、お姉さん具合悪いのかと思って…」

 ヒエエエエなんだ優しすぎか〜〜〜ッ!!!?脳内で叫びながら、私は目を泳がせて仗助の顔を良く見ないまま、「あ、えと、…ちょ、ちょっと立ち眩みしただけなので…」と声を上げる。このまま話していると本当にぶっ倒れそうだ。緊張とか、幸せで。
 心配してくれている仗助には悪いが、早いところ話を切り上げて逃げてしまおう。そう思ってお礼を述べて話を切り上げようとしたのだが、それより早く、ぱし、と手を取られる。大きくて暖かくて、少しゴツゴツしている手が、きゅっと控えめに私の手を握った。

「あっちにベンチありますから、ちょっと休んでた方がいーっスよ。アレだったら俺に寄り掛かっても構わないんで、…歩けますか?」

 ウワアアアア〜〜〜ッ!!!?脳内で大パニックを起こしながら――トリップした時でさえこんなにパニックにならなかったきがする――、あ、だの、う、だのと言葉にならない声を上げる私を余所に、仗助は私の手を優しく引いて歩き出す。
 あまりの衝撃によたよたと覚束無い足取りの私を気遣ってか、仗助は時たま此方を振り返っては「大丈夫っスか?」と声を掛けてくれる。もう私泣きそう。

 こくこく頷きながら、仗助に連れられてベンチまで辿り着く。促されるままに座ると、仗助は一先ず安心だとばかりに小さく息をついた。離れてしまった手が少し寂しいだとか、温もりやら感触やらがまだ残っているだとか、そんな事は考えていない。断じて考えていない。

「……あ、あの、ありがとうございました……」
「いーえ。…もう大丈夫そうっスか?」
「だ、大丈夫です」

 違う意味では大丈夫じゃあないけれど。ちらっと顔を見上げれば、絶妙なタイミングだったのか、仗助と目が合う。にこっと微笑まれて、私は顔がぼんっと熱くなるのを感じた。完全に心臓を鷲掴みされたようだ。これはアカン…アカンやつや…。
 仗助はぱっと片手を上げると、「じゃ、俺は行きますんで」と言って足早に立ち去って行く。ハッと我に返った時にはもう、仗助の背中は小さくなっていた。しまった、もっとちゃんとお礼を言っておけば良かった……。後悔するがもう遅い。

「……はあ〜〜〜ッ。何なのもう…ただのイケメンかよ…」

 何だか一気に力が抜けてしまって、顔を覆って蹲るように膝頭に肘をつけた。握られた手も、向けてくれた笑顔も、はっきりと脳裏に蘇る。暫くは心臓も顔の火照りも収まってはくれなかった。