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 新生活、初日。新生活という表現が果たして合っているのかは微妙なところだけれど、気持ちとしては的確な表現のつもりだ。住居は新しく構えたし――まあ、一度は住んでいた場所ではあるけれど――、大学の編入手続きも済んだし、手はずはばっちり整っている。何とも清々しい気分だ。そう、まるで、新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のように、なんて。
 ふんふんと鼻歌を歌いながら身支度を整えて、家を出る。今日の夕食はちょっとだけ豪勢にしようかな、なんて考えつつ、私は近くのスーパーへと向かった。


***


 お肉も良いけれど、お魚も良いかもしれない。値段は同じくらいだし、どうしようか。カゴを片手に悩む自分は、さながら主婦のようだ。一人暮らしをする前、実家に住んでいた頃は値段なんてそこまで気にも留めなかったのになあ、なんてしみじみと思ってしまう。
 どちらにしようかなあ、と考えながら歩いていた時だ。前をあまり見ていなかった私は、角から出て来た人とぶつかりそうになり、慌てて足で急ブレーキを掛ける。顔を上げ、「ごッ、ごめんなさい!」と声を上げたのと同時、私ははたと固まった。

「…何だ、やけにぼんやりしているアホがいると思ったらアオバじゃあないか」
「ろ、露伴先生…!?」

 確かに前方不注意だった私が悪いとはいえ、出会い頭に何とも辛辣な台詞である。「す、すみません…」ともう一度謝れば、露伴先生は「君はいつでも間抜けなんだな」と鼻を鳴らした。そ、そんなに言わなくても…。
 どうやら露伴先生も買い物に来たようで、手にはカゴを持っている。露伴先生も買い物するんだなあ、なんて思っていると、思考が筒抜けだったのか、「僕だって自炊するんだよ」とムッとした表情で言われてしまった。

 一人暮らしなのだから、まあ当然、買い物や自炊は自分でしなくてはならないのだろう。それでも露伴先生の生活感溢れるこの姿は、何となく不思議な感じがする。そんな事を思っていると、露伴先生に「君も買い物か」と尋ねられ、慌てて頷く。そこでハッと気が付いて、私は恐る恐る露伴先生に「あ、あの…」と声を掛けた。

「…ええと、今ちょうど夕飯をお肉とお魚で迷ってるんですけど、…露伴先生ならどちらが良いと思います…?」
「…あのなあ、僕が選んでも、食べるのは僕じゃあないんだぜ。君が食べたい方を選べよ」
「うッ…そ、それはそうなんですけど、どっちも良いなあと思うと決まらなくて……」

 呆れたように言った露伴先生に、思わず頬を掻く。正論でぐうの音も出ない。露伴先生は「じゃあどっちも買えばいいだろ」なんて言うけれど、今後のお財布事情を考えると二つも買ってはいられない。
 ちらりと露伴先生のカゴに目を遣って、私は「…よしっ」と小さく呟いた。今夜はお魚に決める。「お魚に決めました!」と声を上げた私に、露伴先生は何か気が付いたような素振りを見せ、それから静かに息を吐いた。

「…君なあ、今、僕のカゴの中を見て決めただろう」
「い、いやあ、そんな……」
「全く優柔不断な奴だな…」

 やれやれとばかりに肩を竦めた露伴先生のカゴには、お魚のパックが入っている。何かきっかけでも無いと決まらなそうだったので、今回は勘弁して頂きたい。「何だよ、僕まで肉が気になって来たじゃあないか…」と眉間に皺を寄せて言った露伴先生は、そのままお肉のコーナーの方向へと向かって行ったので、私は密かに苦笑してしまったのだった。


***


 結局、露伴先生がお肉にしたのかお魚のままなのかは分からないけれど、とりあえず自分の買い物は終わった。スーパーを出て歩いていると、前方にある歩道を、見慣れた人が歩いているのを見付ける。人目を引くその真っ白なコートを見間違える筈も無い。承太郎さんだ。
 此方の方向に歩いて来た承太郎さんは、私の姿に気が付いたらしい。それが何だか嬉しくて思わず手をぶんぶんと振ると、承太郎さんも応えるように少し手を挙げてくれた。まるで子供のような事をしてしまったけれど、それ以上に、反応を返して貰えた事が嬉しくて仕方がない。

「こ、こんにちは、承太郎さん…!すみません、つい手を振ってしまって…!」
「構わない。…買い物か、アオバくん」
「は、はいッ!」

 大きく頷くと、承太郎さんは「そうか」と声を返してくれた。承太郎さんはこの近くにあるカフェに向かう途中らしい。それにしても、露伴先生に引き続き、承太郎さんにも会えるだなんて、今日は実にツイている。
 そんな事を思っていた所為でにまにましてしまっていたのか、「何か嬉しい事でもあったか」と承太郎さんに尋ねられてしまう。少しだけ恥ずかしくなりながら、誤魔化すようにへらりと笑った。

「いえ、その…こんなところで承太郎さんに会えるなんて思っていなかったので、何だか嬉しくて……」
「……君は随分とストレートだな」
「えっ、…あっ、だ、だって…!」

 僅かに驚いたように言った承太郎さんに、私は漸くハッとする。変な事を口走ってしまった。思わずわたわたとしてしまうけれど、もう後の祭りだ。片手で顔を覆いながら「わ、忘れてください…」と弱々しく呟けば、承太郎さんがフッと小さく笑ったのが聞こえた。
 せっかく会えたのでもう少し話していたいところけれど、あまり引き止めてしまうのも申し訳ないだろう。それに、何だかちょっと居た堪れない。これに関しては完全に私自身の所為だけれども。何となく私の心情を察したのか、承太郎さんが口を開く。

「…今度ゆっくり茶でも飲もう。色々と話を聞かせてくれ」
「は、はい…!是非ッ…!」

 承太郎さんにお茶を誘われるなんて!こくこく頷く私に、承太郎さんは少しだけ目を細め、私の頭を二三度撫でて歩いて行った。今のはずるい。撫でて貰った頭に手を遣れば、口元が思わず緩んでしまう。ふるふると頭を振って、私は再び歩き出した。


***


「あれッ、アオバさんじゃあねーか?」

 承太郎さんと分かれて歩いていると、後ろから聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、驚いて振り向く。そこに居たのは億泰と、もう二人。私の姿を確認した億泰がぱっと表情を明るくさせると、ぶんぶんと手を振ってくれる。彼の横には康一くんと、そのまた横には由花子ちゃんが居た。億泰は以前一度会った事があったけれど、康一くんと由花子ちゃんに会うのは初めてだ。
 男の子にはあまり嬉しくないかもしれないけれど、康一くんは可愛らしいし、由花子ちゃんはとんでもなく美人だ。仗助達の時も思ったけれど、やはり実物は違って、何だかオーラがある。緊張しながら歩いて行くと、億泰に「買い物っスかぁ〜?」と尋ねられたので、私は小さく頷く。ちら、と康一くんに目を遣ると、ばっちりと視線が合った。

「あ、え、えっと、…は、初めまして、あの、三好アオバです…」
「は、初めまして!広瀬康一です!」
「……山岸由花子よ」

 存じ上げております、なんて例によって心の中で返していると、康一くんが頭を掻きながら「って言っても、もう知ってますよね…」と付け加えたので、思わずぎょっとしてしまった。何でも、康一くん達は仗助と承太郎さんから私の件に関して大体の事は聞いていたらしい。
 最初から自分の事を知っているなんて気持ち悪がられるのでは、と一気に血の気が引いた私を他所に、康一くんは「やっと会えて嬉しいです」と笑いかけてくれた。きょとんとする私に、億泰は「難しいことはよく分かんねーんだけどよぉ〜、色々大変だったんだろ〜?」と何処か心配そうに言う。

「……あ、アオバさんもしかして、僕達が話を信じてないんじゃあないかって思ってます?」
「え、あ…そ、それは……」
「確かに信じられねーハナシだよなぁ〜ッ でもよぉ、アオバさんが嘘つくような奴じゃあねーってことは分かってっから、俺は全然疑ってねーぜ」

 億泰くんが「なあ?」と康一くんに話を振れば、彼は大きく頷いて「仗助くんや承太郎さんが信じてるって言うんだから、間違いないって思いますし」と付け加えてくれる。由花子ちゃんも「…悪い事をしそうじゃあないってのは、見れば分かったわ」と言ってくれて、何だか少し泣きそうになってしまった。全く優しい世界である。
 ふにゃりと情けなく眉を下げながら「ありがとう」と言えば、康一くん達が応えるようににっこり笑ってくれた。涙を奥に押しやって、ふう、と密かに息をついた時だ。康一くんがちらと手首の腕時計に目を遣り、何やらそわそわとしだす。

「…それにしても、仗助くん遅いね…」
「えッ!じょ、仗助くんもいるの…?」

 思わず食い付いてしまったのは仕方がない事だと言い訳させて欲しい。頷いた康一くんが私の後ろを指差したので振り向いてみれば、近くのコンビニから出て来る仗助の姿があった。此方に気が付いたのか、手を振ってくれた仗助に、思わず心臓が跳ねる。間違いない、今日はいつになくツイている日だ…!!
 駆け寄って来た仗助が、「アオバさんこんにちはっス!」とにっこり笑みを向けてくれたので、変な声を漏らしそうになったのをぐっと堪えて挨拶を返す。今日も一段と眩しい笑顔だ。格好良い。

「偶然っスね!買い物帰りですか?」
「う、うん…!その、ちょうど帰る途中で…」

 ありがたい事に何度か話しているのにも関わらず、やはりいつまで経っても心臓は煩くて仕方がない。「重くないっスか?」なんて気遣ってくれる仗助に、「だ、大丈夫大丈夫…!」と返しながら、さり気なく視線を外す。直視出来ないぞ何てことだ。
 康一くんが「…あ、あー、そういう…」と何やら意味深な言葉を漏らしたので、反射的にそちらに視線を遣ると、へらりと笑いかけられてしまった。隣の由花子ちゃんは腕組みをして此方を見ている。一体どうしたのだろう。

「……あなた、すごい分かり易いのね」
「……え?」

 由花子ちゃんの言葉に首を傾げると、康一くんに苦笑されてしまった。分かり易い、とは何の事なのだろうか。不思議に思っている私を他所に、仗助が「良かったら一緒に帰りませんか?」と提案してくれた。

「い、いや、でもそんなおこがましい…!」
「おこがましいって、そんな大袈裟な…」
「まあまあ、どうせ帰る方向一緒なんスから!ね?」

 仗助に「ね?」なんてにっこり笑みを浮かべられて、私が断れる筈もなかった。スーパーで露伴先生に会って、道端で承太郎さんに会って、仗助達と一緒に帰路に着けるだなんて、まるで夢のような一日だ。幸先が良い、とでも言うのだろうか。

「……私明日死ぬのかもしれない…」
「何でそうなるんスか」

 幸せメーターが振り切ってしまい真顔で呟けば、聞こえたらしい仗助が苦笑する。「アオバさんってほんとに大袈裟だよなあ〜」なんて億泰に言われながらも、私はにやけそうになるのをどうにか押し殺しつつ、四人と共に帰るのだった。