目を覚ますと、銀時は只の子供だった。縁側にできた陽溜まりの上を、つめたい風が駆けていく。(嗚呼、これはゆめだ)そう微睡む頭で考えるけれど、それにしては落ち葉のかさかさと歌う音や陽のあたたかさがやけに本物らしかった。目の前の、今よりも随分やわらかくてちいさな手をにぎったりひらいたりしてみる。ここは、村塾だろう。子供には大きすぎる刀の感触が、手に懐かしい。
ぎしぎしと板の鳴る音に、慌てて瞼をおとした。大人になってしまった今でも、疑うことなく言い切ることができる。この音は、この歩き方は。
おれにこころをおしえてくれた、あのひとの。


「おや、またこんなところで寝ていたんですか」
「もう涼しくなってきたから、風邪をひきますよ」
「銀時、」


上から降ってきたやわらかな声に、目を開けてしまいそうになる。一度その姿を瞳で捉えたら消えてしまいそうな気がして、ぎゅうっと目をつむって去っていく足音を必死に探すのに、なかなかそれはやってこない。ふわりと身体をあたたかいものが包み(毛布を被せられたらしい)、隣がぎしりと沈んだ。思わず薄目をあけると、彼ーー松陽先生はにこにことわらって此方を見ている。


「…何してんの」
「銀時が気持ち良さそうに寝ているから、私も隣で昼寝でもしてみようかと思ったんですが」


起こしてしまいましたね、と瞳をほそめて、銀時の頭を撫でる。滅多に触れてこないその手に反応することすらできず、ただ黙って撫でられておいた。不思議な手だ、と思う。無闇に触れることもどこかを指差すこともせず、それでもその手をにぎっていたいと、その手をもつそのひとの近くにいたいと思わせる、不思議な手。以前触れられたのがいつだったかなど思い出せない。もしかしたら、世界の変わったあの日以来かもしれない。鬼の子がようやく人の子になった、あの曇り空の下。


「…珍しい」
「何がですか?」
「先生が、おれの頭を撫でるの」


そうですか、なんて恍けた返事をしてみせる。全部知っているのに、全部わかっているのに、このひとはいつも恍けたことを言って笑っているのだ。銀時、饅頭を食べませんか、銀時、今日は落ち葉を掃き集めて焼き芋をしましょう、なんて言って。甘いもののことが圧倒的に多いのは、他のことにはおれがあまり興味を示さなかったからだけれど。


「今日は、誕生日ですから。特別です」
「誕生日?だれの?」
「君の、ですよ。銀時」


カレンダーは当然手元にないし、そもそも夢の中の日付なんて曖昧でよくわからない。このひとが言うからそうなんだろうと思いつつ(あれ、そうでしたっけ?とよく言う割に人の誕生日は忘れたことがなかった)、大きくてあたたかな手の感触に目を閉じた。今のおれの手は、このひとより大きくなっているだろうか。毛布の温度と手のリズムに、とろとろと意識がとけていく。すこし眠りますか、という問いに、ほぼ反射的にこくりと頷いた。


「誕生日おめでとう、銀時。大きくなった君のこれからに、沢山の幸福があることを願っていますよ」














身体の節々の痛みで目が覚めた。畳の上で昼寝をしてしまっていたらしい、背伸びをするとどこかの骨がごきりと鳴った。ふと、覚えのない毛布に目がとまる。おそらく隣で寝息をたてている新八か神楽(あるいは、その両方か)がかけてくれたものだろう。起こさないようにそっと二人と一匹に毛布をかけなおして、ジャンプでも読もうと客間に向かう。何気なく見たカレンダーは10月10日になっていた。今朝新八が「カレンダーくらいきちんと破ってくださいよ」と小言を言って破り捨てていたから、多分これは正しい今日の日付だと思う。まあ、この場所でこの日が特別な日だという認識をしている者はいないから、今日だって何も変わりはしない普通の一日なのだけれど。
改めて言うのは不自然な気がして、「聞かれなかったから」という口実をつけて黙っている。誕生日というものに意味があるのかもよくわからないし、祝ってもらってもどういうリアクションを取るべきなのか迷ってしまう、というのもある。満面の笑顔で「ありがとう、嬉しい」なんて言うのは、どう考えたってキャラじゃない。
さっき見た夢も誕生日に関わることだったような気がして記憶の糸を手繰ってみるけれど、どうにも思い出せないので止めておいた。夢というのはすぐにとけて忘れてしまうから良いのだと思う。生まれてから今まで見た夢を全て鮮明に覚えていたら、きっと気が狂ってしまう。
カレンダーの前でそんなことを思いながらぼうっと佇んでいると、甘い匂いが鼻腔を刺激した。誘惑に負け、ジャンプのある机ではなく台所に方向転換する。


「あれ、起きたの?」


ひとつにくくった髪をふわりと揺らし、詩音は振り向いた。美味しそうに焼きあがった洋菓子に引き寄せられるように近づく。


「何作ってんの?」
「スイートポテト。実家からさつまいもがたくさん届いたから」


熱いよ、という忠告を無視して、そのうちのひとつに手をのばす。触れようとした瞬間、熱さが指先からびりびりと伝わって弾かれたように手をひっこめた。恨めしそうな表情で詩音を見ると、だから言ったじゃない、と笑われる。捕食者に牙を剥いたスイートポテトを睨みつけながら、今度は詩音に手をのばした。つむじに顎をのせ、背中から腕をぐるりと回しても、詩音は素知らぬ顔をしてスイートポテトに卵液を塗っている。昔は顔をまっかにして慌てていたのになァ、なんて、ほんの数年前を振り返ってみる。俺も若くねーんだよな、とひとりごちた。勿論詩音は無視である。


「なァ、」
「うん?」
「おれ、今日誕生日」


一瞬動きをとめた詩音は、なにそれ、はじめて聞いたよとわらった。はじめて言ったし、と銀時は唇をとがらせる。


「それで、今日誕生日の銀時は私に何かしてほしいのかな?」


うたうように尋ねられたそれに、銀時は黙りこむ。おめでとうと言われたいわけでもないし(だっていまいち何がめでたいのかわからない)、特別欲しいものがあるわけでもない。そりゃあ特大サイズのホールケーキなんかがあれば天国だけれど、別にスイートポテトがあるならばそれで充分だ。


「そーだなァ、」
「お前のスイートポテトたべたい。あとー、」
「おれと、新八と、神楽と、お前で、一緒にいればいいんじゃね」


あー、あと定春。
よく考えるとかなり恥ずかしいことを言ってしまったような気がして、先程よりは熱を逃がしたスイートポテトをひとつつまんだ。詩音はりょうかい、なんて笑って、つまみ食いした手をかるくはたいた。甘い匂いがするアル!なんて、すこし遠くではしゃぐ声がきこえる。


「来年は特大ホールケーキな」
「はいはい。覚えてたらね」


覚えてたらね、なんて言うけれど、きっと詩音は新しいカレンダーが届いたら10月10日に赤いペンで丸でもつけて、「銀時誕生日」なんて書きこむのだということを銀時は知っている。そして、わたしが銀時の誕生日をきちんとお祝いするんだから、銀時もわたしの誕生日ちゃんと覚えておいてよね、なんて言うのだ。
騒がしい足音が二人と一匹、近づいてくる。争奪戦を覚悟して、銀時はスイートポテトをもうひとつ、口に放りこんだ。ふわり、秋の味がする。


「誕生日おめでとう、銀時」


溶けたゆめの欠片

陽溜まりの甘さは何かに似ていた





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