大学生になったら、全てが自由なのだと思っていた。
適当に授業を受けて、放課後はお洒落なカフェか本屋でバイトをして、素敵な部屋を借りて一人暮らしをはじめて、好きなだけドライブをして、長期休暇は旅行に行って。
ところがどうだ。実際はレポートや試験に追われ、安いアパートからまあまあの距離のコンビニでこき使われ、休日は泥のように眠っている。
「人生の夏休み」と謳われる花の大学生活がこれでは、これから先どうなってしまうのだろう。よぼよぼ皺だらけの老女になってしまうまで、時間に追われない生活というものはやってこないのであろうか。そんな人生って、どうなんだろうか。


「ということだよ」
「ということだよじゃねーよ!んなことが夜中に俺の家のピンポン連打していい理由になると思ってんの!?」
「この時間なら坂田家にいるかなあと思って」
「そりゃいるよこんな時間だもの!問題そこじゃねェよ!家主が家にいたらピンポン連打していいわけじゃないでしょーが!おい!」
「坂田、あんまり大きい声だしたらご近所迷惑だよ。こんな時間なんだから」


送信ボックスに入った、飲み会欠席のメールを指で弾く。坂田は狭いキッチンから出てきて(狭いけれどそれなりに使い勝手が良いことを私は知っている)、わたしにココアをご馳走してくれた。あつあつのなめらかな液体は、坂田好みにひどく甘い。この素敵なのみものが出てくることを見越して自分の家から気に入りのマグカップを持ってきたわたしに、坂田は何も言わなかった。ピンポン連打は許してくれるらしい。開け放された窓の外で、名前も知らない虫が涼しげに鳴いている。もう冷房は必要ないほどに、夜はぬるくなってきていた。


「そういえば、」
「なに、」
「今週のジャンプ、お前読んでねーだろ」
「ああ、そういえば」
「読む?」
「ココアのみおわったらね」


猫舌のわたしにとって、このココアを火傷せずに飲み干すというのは至難の技である。冷めてしまえば美味しさが半減してしまうし、早まると痛い思いをする。極上を味わうためには、神経を集中させて、丁度良い頃合いを見極めなければならない。そんなわたしを尻目に、坂田は平気な顔でココアを啜っている。くそ、思いがけず熱くて火傷してしまえ。


「お前さ、銀さんに彼女ができたらだうすんの」
「え、できる予定があるの」
「痛いところ突いてくんなオイ!…そーじゃなくて。もしも。近い将来」
「当分ないでしょ」
「五月蝿ェよ!俺だってなァ、サラサラストレートだったらなァ…!」


彼女。恋人。
そうか、恋人というものがいれば、この忙しないだけの毎日もすこしは楽しいものになるのかもしれない。坂田はわたしにそういうヒントをくれたのだ、きっと。お前も彼氏とか作ったらどうなの、と。自分も彼女なんていないくせに、お節介。
しかし、もし、万が一、いや億が一坂田に彼女なんてものができたとしたら、わたしはこんなふうに、夜中に坂田の家を訪ねるなんてことはできなくなってしまうのだろう。夜中どころか、きっと昼間だってだめだ。そうしたら、必然的にこの美味しいココアを飲む機会も失われてしまう。ううむ、それは困る。


「ううん、坂田に彼女ができるのは、ちょっと嫌かなあ」
「はっ…!?いや、ちょ、え、」
「驚きすぎでしょ」


まだすこし湯気のたっているココアに口をつける。熱さと甘さで喉がびりびりして、おかしくなりそうだ。
高校生の時はさほど仲の良いわけではなかったのに、大学に入った途端つるみ始めた友人をちらりと盗み見る。あちい、と言ってクーラーのリモコンに手をのばした坂田の腕は、特に運動をしているわけでもなさそうなくせに筋肉質で、何かいけないものを見たような気分で慌てて目を逸らす。
なんだか、今日はおかしい。調子が狂っている。スーパームーンとか呼ばれて騒がれている月のせいかもしれないと、見えもしないくせに窓の外を睨んだ。方角からして、この窓からは夜明けの月しか見えない。


「なあ、」
「うん?」
「なんでお前、こんな夜中に俺ん家くんの、最近」
「なんで、って」


美味しいココアを飲むためだよ、って言いたかったのに、うまく舌が回らない。とうとう甘さに麻痺してしまったのだろうか。いつもよりも、距離が近い気がする。離れようにもちいさなソファは人間二人にいっぱいいっぱいで、マグカップを包むようにまるくなるしか術はない。


「用事があるわけでもねーのに、ちょいちょい遊びにこられたら、」
「…期待、すんだけど」


なんだか、今日はおかしい。
コンビニで立ち読みしたジャンプを読んでないと嘘をついてみたり、舌が回らなかったり、坂田に彼女ができるのは嫌だ、なんて思ったり。
おかしいのは坂田も同じようで、意味深な言葉を投げておいて、何も言わずにただ隣に座っている。
とりあえず、この甘ったるいココアをのみほして、坂田におかわりを要求して、色々はそれからにしよう。
夜は、まだ長い。


僕の憂鬱も恋心もとかしてよ

真夜中のその先は秘密

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