ドーナツの穴越しに見た世界より

さらさらと夜が空を覆っていく。とうにぬるんでしまった「あったか〜い」ココアをのみほして、芙由花はちらりと携帯を見遣った。無機質なデジタルの数字は、6時を回ったことを示している。まだやるつもりだろうか。此方をちらりとも見ずにボールと戯れている青峰に、溜息でも吐きたい気分だ。家に帰って、テスト勉強でもしたいところなんだけれど。大体、じっとしているには寒すぎる季節である。
マフラーを引き上げ、すっぽりと鼻まで覆う。はたしてここにいる意味があるのかは謎だけれど、先に帰ったら青峰が不機嫌になるのは目に見えている。拗ねた青峰の相手をするのは正直に言ってかなり面倒くさい。はやく終わらないかなあ、なんてまるで授業中のようなことを思い、ドーナツに手をのばした。一番気に入りの、ポンデリング。


青峰は、ばかだ。
甘いものとあたたかいのみものさえ与えておけば、わたしを繋ぎとめておけると思っている。
そういうところが、だめなのだ。教えてあげないけれど。せいぜい、金欠になってもわたしに奢り続ければいいと思う。
濃い影が近づいてくる。タオルを渡すと、先にポカリ、なんて偉そうに言われた。わたしはマネージャーじゃない。


「たのしい?」
「は?なにが」
「ボールとあそぶの」
「あー、まあな。前よりは」


たのしいんじゃねーの、つーかたのしくねーとわざわざやらねーよ。
わかりきった答えに、ふうんと適当に相槌を打つ。青峰が腰をおろしたお陰で、古ぼけたベンチがぎしりと軋んだ。色のはげた、つめたいベンチ。月が遠くの山の上で、くっきりとした輪郭を主張している。そろそろ帰らなければ。青峰といるとつい忘れそうになるけれど、今はテスト期間なのだ。この間のようなひどい点数を取ろうものなら親の雷が落ちるだろう。


「お前、それ食わねーの」
「へっ?…ああ、いや、たべるけど」


なぜだかずっと持っていたポンデリングを口に運ぶ。青峰は手持ち無沙汰なようで、ボールをくるくると回してあそんでいた。そういえば、昔は穴をみたら無条件にわくわくしていたなあ、なんて唐突に思った。紙を丸めたときの穴とか、トイレットペーパーの芯とか、ドーナツの穴とか。そこを覗きこんだらなにか特別なものが見える気がしていた。
すこしたべてしまったポンデリングの真ん中を覗いてみる。当然のことだけれど、何もかわらない。制服からにゅっと伸びた足と、すこし汚れたローファー。あっ、青痣はっけん。一体どこでつくったんだろう。押してみたら、地味に痛かった。


「さっさと帰んぞ。さみい」
「わたしなんてずっと座ったままだからずっと寒い。凍え死ぬ」
「…バスケやるか?」
「誰があんたみたいな怪物とするのよ。大体わたし球技苦手だし」


試験前でやけに重い鞄を持って立ち上がる。これから戦う数式や英単語の羅列を思うと気が重い。帰ろう。その言葉は出てこなかった。凶暴な獣が、やさしく口をふさいだから。


「ちょっ…なに、して、」
「…照れたらあつくなんじゃねーかと思って」


にこりとも笑わずに大真面目な顔をして言うものだから、呆れてしまう。一体何をどうしたらそんなピンクな考えに辿り着くのだろう。あたたかいコンビニに入るとか、あたたかいのみものやたべものを買うとか、合理的なやり方は他にもたくさんあるだろうに。青峰の脳内のわたしのための領域(つまり、9割バスケのことで占められている脳内の、のこりの1割のうちのさらにほんのちょっと)をフル回転させるからそんなふうになるのだ。ばかだ。わかりきっていたことだけれど、やっぱり青峰はばかだった。

「…ばかじゃないの」
「うるせェよ」
「前からばかだばかだとは思ってたけど、ほんとばか。ここまでばかだとは思わなかった」
「ばかばか連呼すんな」
「うっさい。ばかの言うことなんて聞かないもん。ばか。大輝のばああああか」


たとえば、隣にいるだけで、なんだか満足してしまうとか。美味しいものがいつもよりさらに美味しく感じるとか。ドーナツの穴越しにみた世界なんかよりも、あなたの隣で見る景色の方が何倍も色鮮やかに見えるのだとか。
わたしが青峰のとなりにいるのは、きっとそういうくだらない理由なのだ。青峰が繋ぎとめようとしたって、しなくたって、わたしは勝手に隣を占領していると思う。


「大輝ー」
「あ?」
「肉まん奢ってー」
「…めんどくせェな」


うしろあたまをかきながら財布を取り出す青峰の、ばかなところがわたしはいっとう気に入っている。


ドーナツの穴越しに見た世界より




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