左耳のイヤホンに吸い込まれる木曜日

ぶわり、温んだ風がスカートを揺らした。笑い声を含んだ女子高生の悲鳴があちこちで上がる。部活終わりの時間でも太陽はビルの端っこあたりにひっかかっており、濃くとっぷりした闇が辺りを包むまでは、まだ暫く時間がある。夏が近づいてきているのだ。芙由花は学校前の坂を下りながら、イヤホンをとりだした。お年玉を奮発して買い替えたミュージックプレーヤー(音質が良いと口コミで評判だった。芙由花は音質よりも形や色が決め手だったのだけれど)を起動する。ギターの軽やかなフレーズ、頭に響く重低音、のびやかな歌声。最近気にいりのバンドだ。くちずさんでしまわないように気をつけながら、左手の紙袋をかさかさと揺らした。紙袋の中には、インターハイで部員たちに渡す予定の、マスコットの材料が入っている。高校最後の夏が、やってくる。

(みんな、まだ自主練してるだろうな)

ボールを追う彼らの真剣な瞳が、脳裏に焼きついている。いつもなら最後の一人まで付き合うけれど、今日は用事があるからと抜けさせてもらった。マスコットの材料の買い足しのためだ。
スポドリ、作って帰ってあげたほうがよかったかもしれない。ふとそんなことが頭をよぎる。使い終わったタオルはカゴに入れておいてって伝えたっけ。ああ、横断幕にアイロンもかけなきゃいけなかった。一度気がついてしまうと、心配事はつぎつぎに浮かんでくる。意気揚々と駅へ向かっていた足が、だんだん重くなる。やっぱり、もうすこし残って色々片付けてこようかな。いや、でも手芸屋さんの営業時間が…。
ついに足をとめて、芙由花は悶々と考えだしてしまった。傍らを通りすぎていく生徒たち(皆一様にすこし忙しない)の視線がちらりちらりと向けられる。やっぱり、戻ろう。すこしだけ用事を済ませた後急いで出れば、手芸屋さんにはぎりぎり間に合うはずだ。もし間に合わなかったら、多少面倒だけれど週末の練習試合の後に買い出しに行けばいい。
くるりと踵を返すと、腕をつかまれた。がっしりした、男の子の手。見上げると、つい先程思いうかべていた、今体育館で汗を拭っているはずの主将がすこし眉を寄せて立っている。何かを言っているけれど、きこえない。ああそうだ、イヤホンをしていたんだった。イヤホンを外すと、ギターのフレーズや感情の乗った歌声の代わりに、耳慣れた喧騒がとびこんできた。車のアクセル音、信号機の無機質な歌、足音、声、声、声。
その喧騒のなかで、低めた彼の声は、いつだってまっすぐに届く。

「なにしてんだよ、帰るんじゃなかったのか」
「、かさまつ、自主練は?」
「今日は休み。最近オーバーワーク気味だから、みんな帰した。お前もいねえし」

体の力がぬける。なあんだ、それならスポドリをつくりに戻ることも、タオルの伝言も必要ない。横断幕のアイロンがけは、明日の朝練前にでもすればいい。マスコットの紙袋をそうっと隠して、へらりと笠松にわらいかける。

「スポドリだけつくりに帰ろうかと思ったんだけど、それならいらないね。よかった」
「お前なあ…」

呆れたような溜息をついて、笠松が手を離す。つかまれたところは跡にもなっていなくて、すこし残念な気持ちになった。笠松から触れられることなんてレアなのに。

「オーバーワークなのはお前もだろ。少しは休めよ」
「ええー、笠松に言われたくない…」
「俺はいいんだよ」
「いや、よくないでしょ。昨日の古文の時間、珍しく寝てたってきいたよ」
「げっ、誰から」
「ひみつー」

眠くなんだよ午後イチだし、とかなんとかぼそぼそ呟きながら、笠松が隣を歩く。部活終わりは騒がしい面々に囲まれているから、2人で歩くのは新鮮だ。いつもよりゆるやかな速度がこそばゆい。
そういえば、と笠松が此方を見やる。なにきいてたんだよ。

「? なにが?」
「音楽きいてただろ。何回か呼んだけど気づきもしねぇで」
「え、ごめん」

そういえば、音楽をきいていたんだった。鳴りっぱなしになっていたミュージックプレーヤーを停止させ、イヤホンを鞄につっこむ。最近気にいりのバンドの名前を口にすると、笠松は意外だ、という顔をした。この反応は知っている。

「女子ってなんつーか、もっとふわふわした感じの聴くと思ってた」
「よく言われる」
「俺もそのバンド最近よく聴いてる。意外と趣味合うかもな」
「…意外とは余計」

CDもってるよ、というと、まじ?貸してほしい、だなんて、嬉しそうに顔を綻ばせて。目をあわせないように前を向いて、じゃあ明日もってくるね、と平静を装う。すこしだけはやくなった鼓動が、熱をもった頬が、首筋が、指先が、どうか君にばれませんように。


左耳のイヤホンに吸い込まれる木曜日


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