ミルクティーに沈む氷が溶けても手を繋いでいたい

ぎらぎらと主張する太陽。グラウンドからきこえる運動部の掛け声。対抗するような蝉の大合唱。冷房の効いた教室。


「夏休みだー…」


夏季補習後のがらんとした教室に、ひとりごとがぽかりと浮かぶ。数時間前までは授業終わりの生徒たちで賑やかだったのが、嘘みたいにしずかだ。教室は、受験生である3年生のために授業後も冷房をつけたまま解放されてはいるが、大抵の生徒は塾や図書館に行ったり、家に帰ったり、はたまた新作のなんたらフラペを片手に友人と街をぶらついたりしている。つまり、夏休み感を堪能しながらひとりで課題を進めたい芙由花にとって、教室は格好の場所なのだった。
ストローをつきさして、パックの紅茶(期間限定のフレーバーティーだ。女の子は期間限定という言葉に弱い、ときいたことがあるけれど、その通りだなと思う。今日だけで同じものをのんでいる子を3人はみた)を啜る。格闘していた数学の問題が解けて、晴れやかな気分だ。今日はもう帰ってしまおうかと考えたけれど、この炎天下のなか駅までの道を歩くと思うとうんざりしてしまう。日が翳るまで待っていたほうが得策だろうと結論づけ、今日授業で使ったばかりの英語の参考書をひっぱりだした。英語もそう得意ではないけれど、数学よりはいくらかましだ。
とはいえ、異国の言葉で書かれた文章をおやつどきに読み解いていると、さすがに集中力が途切れてきた。甘いものがほしいと思ったが、学校の売店は閉まっているし、校外のコンビニまで足をのばすのは面倒だ。それになにより、パックの紅茶はまだ半分以上残っている。
ぼうっと窓の外を見遣ると、陸上部がハードル走をしているのが見えた。あれだけ綺麗に走れたら気持ちいいだろうなあ、と芙由花は思う。ハードル走の選手が走る姿って動物染みている、とも。チーターとか、ヒョウとか、ジャングルにいるネコ科の動物。あれ、チーターはサバンナだっけ。まあいいか。






芙由花は鬱蒼としたジャングルにいた。大きなシダのような植物をくぐると、ちいさな池がある。黒くてまるっこい耳、鋭い眼、しなやかな肢体が水面に映る。これは夢だな、と考えながら、芙由花は水で喉を潤した。ブンブンと耳元で虫の羽音がきこえる。いつもならちいさく悲鳴でもあげて必死で追い払うところだが、いま芙由花はヒョウなのだ。尻尾をしたんと力強く鳴らすと、虫はどこかに行ってしまった。満足して喉を鳴らす。
折角ヒョウになったのだし、思いきり走ってみたいと思ったけれど、生憎このヒョウは空腹らしい。腹がへっては戦はできぬというけれど、空腹を満たすために戦をするわけだから、動物というのは大変だ。果物とかで誤魔化せないかしらとジャングルを進む。ほんとうは砂糖がけのドーナツとかつめたいアイスクリームとかがほしいところだが、ヒョウがそういった甘やかされたたべものをたべないことぐらいは、芙由花も知っていた。
暫く進んでいると、どこかから視線を感じた。ぐるりと見渡すと、木の上から一斉に鳥たちが飛び立つ。芙由花が住んでいる地域には見られないような、鮮やかな色の鳥たち。あの羽根を1本頂戴して、耳の裏かどこかに挿したら良いな、と考えていたところ、目が合った。
人間だ。芙由花と変わらないくらいの年にみえる。少年と青年の狭間。このあたりの住民なのか、古風にも弓を構えている。


(…あ)


人間は、クラスメイトの伊月に似ていた。瓜二つと言ってもいい。いつもと変わらない涼しげな瞳で、照準を絞ろうとこちらを見つめている。いくらヒョウになったとはいえ、クラスメイト(に似た男)を襲ってたべるというのは気がひける。射抜かれるのも嫌だけれど、尻尾を巻いて逃げ出すというのはあまりにもヒョウらしくない。
近づいてみれば彼の方が逃げ出してくれるかもしれない、と思い、一歩踏み出す。二歩、三歩。伊月は退かない。一瞬風が唸り、首のあたりが熱くなった。赤が滴る。ああ、まだ走ってなかったのに、折角ヒョウになれたのに惜しいことをした、と思いながら、ヒョウは目を閉じた。







指先があつい。
おかしい、射抜かれたのは首元だったはず。ちいさく身じろぎすると、指先の熱ははなれていった。だんだんと体の感覚がもどってくる。いつのまにか居眠りしていたのだろう、下敷きになっていた腕が痺れている。顔を上げると、クラスメイトの伊月が前の机を漁っていた。忘れものを取りにきたらしい。起きた?と言われて、こくりとうなずく。寝起きで頭がぼうっとする。


「伊月…」
「なに?」
「伊月って、意外と勇敢だね」


ヒョウに立ち向かうなんて、という言葉はのみこんだ。流石に頭がおかしいひとだと思われる。
反応がないので見上げると、伊月は何故か狼狽えた顔をしていた。視線を彷徨わせ、手をひらいたりにぎったり忙しない。


「え、えーと…起きてた、の」
「?」
「いや、ごめん、変な意味とかで触ったんじゃなくて、あの、ちっちゃいなー、おれの手と全然ちがうなーと思って、興味が…いや、なんか興味っていうときもいな、えっと、」
「え、伊月わたしの手さわってたの」
「えっ」


焦りの色が濃くなる。伊月のこんな姿はかなりレアだ。その、とかえーと、とかごめん、とかをくりかえす彼は、夢の中の彼とは似ても似つかない。やっぱり瓜二つの別人だったのかも。珍しいクラスメイトにすこし悪戯がしたくなって、芙由花はにやりとわらった。


「いーよ、伊月なら」
「えっ」
「手。さわってもいいよ」


はい、と差し出す。伊月は戸惑う素振りをみせながら、それでも芙由花の指先にわずかに触れた。一瞬、熱が交わって、直ぐに離れる。


「いや、やっぱだめ。そろそろ帰ろう、見回りがくるぞ」
「はあい」


広げっぱなしだった参考書(結局英語の長文は3分の1程しか進まなかった)やペンケースをしまっている間、伊月は教室の扉に凭れて携帯を弄っていた。待っててくれるんだ、とすこし嬉しくなる。揶揄ったおわびに、アイスでも買ってあげようか。ああでも、寝てる間に悪戯をしたのは伊月だし、おあいこかな。
そんなことを考えながらおまたせ、と顔を上げると、ばちりと目があった。先程までの狼狽え振りは影を潜め、いつもの涼しげな伊月が扉の前に立っている。ただその瞳だけは、雄弁に熱をもっていた。
射抜かれる。
瞬間、そう思った。じわじわと顔があつい。

「かえろうか」

返事代わりに温んだ紅茶を一気にのみほした。ズズズ、とストローから下品な音が漏れる。ひとくちめから思っていたけれど、この紅茶、あんまり美味しくない。



ミルクティーに沈む氷が溶けても手を繋いでいたい



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