//

じとりと空気が重い。この梅雨特有の空気の重さが、詩音はどうしたってすきになれない。息が苦しくなる。頭痛を連れてくる。晴れている日だって、どこか湿気をたっぷり含んだ季節。今日空気が重いのは、それだけではないのだけれど。


「買い物、行ってくるね」


詩音の声に、銀時はああともおうともつかない返事を返す。その瞳は、窓の外の雨粒の、ずっと遠くから離れない。詩音はまともな返事を諦め、がらがらと引き戸を開けて外に出た。色とりどりの傘が、道に溢れている。今日もこの町はいつも通りだ。詩音も傘を開き、最寄りのスーパーに向かって歩き出した。


一年に数回、銀時には今日のような日がある。何を聞いても生返事で、いつも以上にぼうっとしている日。その意識は、銀時の「先生」というひとのところにあるのだろう。江戸に来てから銀時と知りあった詩音には、わからないひと。もう、会うことはできないひと。
深く聞こうとは思わない。誰だって触れられたくないものというのは、大きさや深さは違えど持っている。詩音に人に詮索されたくない過去があるのと同じように、銀時もまた、ぐずぐずと未だ疼く傷を抱えているのだろう。
ただ。
その痛みを共有したいと思ってしまうのも、また事実で。


(全ての感情を共有できる人なんて、いるわけないのに)


ばしゃり、足元のつめたさにふと考えることをやめた。派手に水溜まりに足を踏み入れてしまったらしい。気に入りの下駄を濡らしてしまった。嗚呼、これだから雨は嫌いなのだ。


(・・・早く、済ませてしまおう)


そして、早く帰ろう。二人分のプリンでも買って。
考え事をするには、この雨は少しばかりひどすぎる。












「ただいま」


再び引き戸をがらりと開ける頃には、足首はすっかり冷え、鼻緒はすっかり水を吸ってしまっていた。水滴のついたビニール袋をどさりと下ろす。指先がつめたい。


「詩音っ!」


ひどく焦った銀時の声。騒々しい足音の一瞬後、あたたかな体温に全身を包まれる。どくどくどくどく、いつもより随分と早い鼓動が鼓膜を揺らした。


「どこ行ってたんだよ、一人で、勝手に、・・・心配すんだろうが!」
「買い物だよ、いってきますって言ったよ、銀時。聞こえなかった?」


できるだけ穏やかに、言葉を選ぶ。瞳を見上げれば、銀時の腕からゆっくりと力が抜けていくのがわかった。


「そっか・・・悪ィ」
「ううん。プリン買ってきたの、食べる?」
「いや、いらねェわ。あんがとな」


銀時の瞳が、硝子玉のようなそれになる。ただただ綺麗な、何も映そうとしないその赤は、またぼんやりと窓に寄っていった。詩音は一人、殆ど何も入っていなかった冷蔵庫にものを詰めていく作業を開始する。一番最後、取り出しやすいところにプリンをふたつ置いて、ぱたんとその扉を閉めた。
雨は、まだ止む気配を見せない。むしろひどくなっている気さえする。


「詩音、」


ちいさなちいさな声が、雨音をすり抜けて届いた。弾かれるように振り返る。いつもの社長椅子の上、窓の向こうから視線を外した両の目が、ゆらゆらとこちらを見ていた。
ゆらゆら、ゆらゆら。視線が、瞳が、揺れている。


「何?どうしたの、銀時」
「おいで」


囁くような、潜められた声。足音をたてないように近づくと、詩音の体は銀時の腕の中にすっぽりと収まった。世の中丁度良いようにできているらしい。大きすぎもせず、小さすぎもせず。


「詩音はさあ、天国って信じる?」


普段なら、銀時がそんなこと訊くなんてどうしたのと、冗談交じりに笑い飛ばしたことだろう。ただ、そうすることを思いつかないほど、そのひとは純粋な、かなしい瞳をしていた。


「・・・わからない。行ったことがないから。・・・あったら素敵だとは、思うけど」
「先生がそこにいるなら、俺、行きてェな、天国」


息を、とめられたかと思った。
硝子玉の瞳はゆらゆら揺れながら、かなしみをひたひたと伝えてくる。
ちゃらんぽらんでも夜叉でも万事屋の主人でも何でもない、そこにいるのは、ただ一人のこどもだった。


「先生に俺ァ生かしてもらったのに、壊すことしかできねェんだ。まもろうと思うものが滑り落ちてく、」
「銀時!」


堪らなくなって、大きな声を上げた。ゆれる赤を見つめる。見つめている筈なのに、視界はひどく歪んで波打って、視線を合わせることさえ難しい。


「私は、銀時に生かされてるよ。銀時がまもってきたもの、私、ちゃんと知ってるよ、」
「天国に行きたいなんて言わないで、」


硝子玉じゃなくなっていく。視線が、向こうから、天国からこちらに帰ってくる。あとからあとから流れてとまらない涙を、銀時は指で掬い上げた。胸に額を押し付けられる。腕の力がつよくなる。


「ごめん、泣くなよ」


泣くなよ、なんて、そんなたったそれだけの言葉で涙をとめられると思うなよ。
そう思うのだけど、たったそれだけで涙はとまってしまった。信じられない。もっと困らせてやらなければいけないのに。さっきの言葉の代償に。


「もう言わねー。やくそくする。悪ィ、」
「・・・プリン、食べようか」


ぐしぐしと目元を擦る。あかくなってしまったかもしれないけれど、気にしないことにしよう。どうせ今日は、目の前のこの男としか顔を合わせやしないのだ。


「・・・おー。取ってくっから待ってなさい」


抱き上げられ、ソファにそっと下ろされる。安心させるような微笑みは、もういつもの彼だった。ふんふんと鼻歌をうたいながら、冷蔵庫にプリンを取りに行っている。
どうやら、彼はその痛みを共有させてくれる気はないらしい。またぼんやりと外を眺める日もあるだろう。それでも、いいのかもしれない。大きな愛とじくじくと変わらない傷を抱えて、二人でしずかに息をしていく。



不安定な小宇宙にて

(二人でないときっと、呼吸さえ侭ならない僕ら)





[ 1/7 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -