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誰かの欠伸。お腹が鳴る音。ちいさな笑い声。シャープペンシルの芯がノートに文字を記す音。チョークの音。詩音は欠伸をかみころして、ボールペンをとった。4時間目終了7分前。穏やかなおじいさん先生による古典の授業は、それなりに面白くてそれなりに退屈だ。
窓の外に目を遣る。この土地に移って約3か月。なんとなく、空気が肌に馴染んできた気がする。よそよそしかった空気が、ゆっくり、でも確かに、自分のものになっていく。その感じがとてもすきだ。
7回の引越し。8個目のこの土地でやっと、両親はマイホームを建てる決心をしたらしい。毎晩、壁や屋根、部屋の数についてたのしそうに話をしている。詩音もまた、今までの土地のどこよりも、ここを気に入った。田舎だが、電車一本でそこそこ大きな町に出る。空気も、たべものも、水もおいしい。そして何より、心根のやさしいひとが多い。気がする。通っている高校が丘の上にあるのは朝が弱い自分にはすこし辛いけれど、自転車で十数分の距離というのも気に入っていた。電車通学のストレスといったらない。


「うん、それじゃあ次、坂田くん読んで」


ばちっと教室に意識を引き戻した。坂田、と呼ばれた男の子に目を向ける。ふわふわの銀髪が、がたりと立ち上がる。たった今まで寝ていました、というような声で、坂田はゆっくり、でもなんとかつかえずに、むかしむかしの物語を読みはじめた。
坂田の声が、すきだなあとぼんやり思う。単調なようで、やさしくて、深みがあって。ただ低いだけじゃない、良い声だと思った。坂田と接点があるわけではないけれど。まだ、話したこともないけれど。


坂田がページの終わりまで読みおわったところで、丁度授業終わりのチャイムが鳴った。挨拶をすると、教室は急に騒がしくなる。詩音も、いつも一緒にお昼をたべている3人のもとへ寄っていった。妙ちゃん、九ちゃん、神楽ちゃん。みんないいひと。


「ふおお、詩音の卵焼き美味そうネ!食っていいアルか!?」
「神楽ちゃん、女の子なんだから『食って』なんて言っちゃ駄目。『食べて』って言いなさい」
「詩音、弁当がすこし少ないんじゃないか。僕の唐揚げをひとつあげるよ」
「ありがとう九ちゃん」


神楽は言うが早いか、詩音の卵焼きと自分のそれを交換していた。神楽の卵焼きは甘い。この間もらった妙の卵焼きは、出汁が良く染みていた。九兵衞は、何故かいつもゆで卵を持ってきている。
弁当ひとつでこんなに個性が出るものなんだなあ、とおにぎりを頬張りながらしみじみと思う。正確に言うと、卵焼きひとつで、だけれど。甘辛いたれに漬けられた九兵衞の唐揚げを口に運び、詩音は騒がしくなった廊下に視線をやった。女子が数人、きゃあきゃあと騒いでいる。詩音の疑問を含んだ視線に気づいた妙が、さして興味もなさそうに口をひらいた。


「あら、また来てるわ、あの子たち」
「よく飽きないな」
「あのクソ天パのどこが良いのか、理解に苦しむネ」


銀ちゃん見に来てるだけアル、詩音は気にしないでヨロシ、と鼻を鳴らして神楽は大きなパン(弁当は既に空になっている)にかぶりついた。当の本人は気づいているのかいないのか、ジャムパンを食べながら携帯を弄っている。リアクションの無さに飽きたのか、彼女たちは暫くすると自分の教室に帰っていった。ふうん、モテるんだ。今度はクリームパンを取り出した坂田の視線は携帯の上から動かない。


「さっきの子たち、後輩?」
「そうよ。何にもしていないのに、よくモテるわねえ」
「同感だ」
「私ならあんな白もじゃのでくのぼう、ペットにするのだっておことわりアル」


あ。
視線が、動いた。
まるでやる気のなさそうな瞳が、此方を向く。目を合わせたのははじめてかもしれない。


「そこォ、聞こえるんですけど。マジ銀さんの硝子のハートが粉々になるからやめてくんない。てか転校生に余計なこと吹き込むなー」
「あら、聞こえるように言ってるのよ」
「というか、銀時はまだ詩音のことを転校生と呼んでいるのか。もう入って3か月は経つだろう」
「銀ちゃんのことだから名前覚えてないに違いないネ。これだから薄情な男は嫌アルな」
「違ェし!お前のすっからかんの脳味噌と一緒にすんな!」
「糖分しか詰まってない銀ちゃんの脳味噌よりマシアル!」


まあまあ、と神楽を宥める。坂田はこどものようにくちをとがらせて、ふいとどこかへ行ってしまった。拗ねたのだろうか。この場合、私も原因のひとつとなるのかな、と詩音は考える。自分の話題から発展したのだから。
3人が売店やトイレに散らばっていき、詩音はゆっくりと自分の机に戻る。特にすることもなくぼんやりと教室を眺めていると、目の前に大きな影が立った。見上げると、銀色の、ふわふわ。


「・・・栗屋、」
「さかた、くん」


名前を覚えていてくれた。どうやら彼は、神楽が言う程薄情ではないらしい。坂田の表情に、僅かに驚きが混ざる。



「え、名前覚えててくれたの」
「うん。坂田くんこそ」
「あー、くんいらねェから。あの、さ」
「うん」
「海見えんの、知ってる?」
「・・・海?この町から?」
「おー。・・・今日、暇?」
「暇、だけど」
「・・・つれてってやるよ」
「へ?」
「海。放課後、自転車置き場で待ってろ」
「え、あ、うん」


来たときと同じように、坂田はまたすうっと戻っていってしまった。海。初耳だ。この町は結構内陸の方だと思っていたのだけれど、どうやら違ったらしい。
海なんて、暫く見ていない。綺麗だといいな。胸のおくがわくっとした。











「悪ィ、待ったか」
「ううん」


放課後。木の陰でやや薄暗い自転車置き場で、坂田は「呼び出しかかってた」と僅かに唇をとがらせた。そのこどものような仕草に、すこし笑う。


「自転車だよな。少し遠いけど、大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
「よっし、じゃあいくぞー」


間伸びした声ではじまった小旅行。家に向かうのとは逆方向の道を、坂田はすいすいと進んでいく。暫く自転車を走らせると、息が上がってきた。もともと私はそうアウトドアな方ではないのだ。寧ろ真逆。
少し前を行く坂田は、スピードを緩める気配がない。そろそろ本格的に疲れてきた。でも、ちょっと休もうと言える程遠慮がないわけではない。滑るように行く坂田に置いていかれまいと、必死でペダルを踏み込む。細くても男の子の背中だなあ、と当たり前のことを思った。


「速えーか?」
「ううん、だい、じょぶ、」


息が切れているのが伝わったのだろう、すこし坂田のスピードが緩められる。やっと、すこし息がつけるようになった。深呼吸をすると、つんとした独特の匂いが鼻腔をくすぐる。


「あ、」
「どーした」
「海の、匂い」
「もーすぐだからな」


ふ、と坂田がわらう。すこしだけどきりとする。ほんのすこしだけ。
視界の奥の奥の方に、青が見えた。海が、すぐそこまで近づいている。磯の香りが頬を撫ぜる。
となりに行きたい。
不意に、そう思った。車の通りも人の通りもない道を、坂田と走る。このたのしくて嬉しいきもちを、隣で坂田と共有したい。
ぐぐっ、とペダルをこぐ足に力をこめる。となりに並んでみる。坂田はすこし吃驚したかおをしたけれど、いたずらっこのようににやり、とわらった。そして、スピードを上げる。詩音がうしろを行く形になる。詩音がぐんとペダルを踏み込む。坂田が更にスピードを上げる。


(私がしたいのは、スピード競争じゃないんだけど・・・)


まあ、いいか、と思った。投げやりじゃなくて、とても前向きに。再びスピードを上げた坂田に追いつこうと、詩音もスピードを上げた。
海についたら、その青さを心行くまで眺めよう。写真も撮ろう。そして、坂田とたくさん喋ろう。つかれはてて、帰りたくなくなるくらい。
わくわくが大きくなる。ふふ、と思わず笑みを零すと、丁度並走していた坂田もやわらかくわらった。そうしてまた、おいかけっこがはじまる。


青い、青い、夏

(はじまりの予感が、心臓をゆらした)





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