手招く終焉(2人ぼっちの世界がいいの)
所々がまだしぶとくぱちぱち燻る、建物の一部だった残骸。見渡す限り炭色の景色の中、脆くなったそれらに足をとられないよう気をやりながらあても無く歩き回ってみる。
ふと、視界の端に空に向かって突き出すやっぱり炭色のものが映った。自分に踏みつけられて固い何かが砕ける音を聴きながら歩み寄ってみると、原型のほとんど残っていない人間の一部……人体は専門で無いから詳しくはないが、ほぼ腕で間違いないだろうものであることだけは、わかった。
(…助け、求めてるみたいやな)
瓦礫の隙間から伸びるそれは魂を喪って尚自身の居場所を主張しているようで、そう思えなくも無い。
妄想の延長線ではあるけれど、こうやって必死に生にしがみつこうとしているように見えるそれがなんとなく哀れで、可笑しくて。思わず溢してしまったのはちいさな、笑い声。
焼け焦げて崩れかけた指先と目線が同じ高さになるように瓦礫の中にしゃがんでみると、その細い黒焦げ越しに雲ひとつない空が見えた。
「可哀想に……だぁれも、助けになんか来てくれませんよ」
深い深い、空の青から消し炭の黒へ。視線を落としピントを合わせてそっと、手を伸ばす。
瓦礫の下に繋がっているこの腕の持ち主がどんな人物かはわからないけれど、十数時間前迄は戦時中なりにこのひとなりの人生を歩んでいたんだろう。
「みんな燃えて、炭になってしまいましたから。家族もトモダチも、貴方と同じ黒くて固いものになって其処らに転がっている筈、ですし」
指先に、ゆっくり。力を込めてみると、いとも簡単に指が一本、パラパラと崩れた。
破片で黒く汚れた手袋に息を吹き掛けていると、ふとこの腕の下には本当に体がついているのだろうかと言う疑問が浮かぶ。確かめる為に腕を引っ張ってみるのはこの脆さじゃ厳しいだろうし、となると瓦礫を退かしてみなきゃ駄目か。気にはなるけど、そこまでするのは面倒だな。DoLLを使う…のは腕ごと潰しかねない。無理だ。
──さて、どうするか。
指の一本減った腕を眺めながら首を捻っていると、左耳の通信機が控えめな電子音で鳴き始める。
「はい。こちらケイナ…何かありましたか」
『お前、まだ××地区に居るのか?油売ってないで、さっさと戻って来い』
「……なんや、ジルチか。ん、もうちょっと待ってくれへん?」
『もうそこには生体反応は無いだろうが…それともまだ何かあるのか?』
雑音が混ざる声と会話を交わしつつ、手近なところにある元々は木材であっただろう破片を拾い上げて適当に背後に投げやった。小さな破片を拾っては棄て、持ち上げては投げ。そんなことを何度か繰返してみたものの、瓦礫が減った気配は無い。
やっぱり、諦めるしかないだろう、か。
「目の前に居る奴にな、教えてやりたい事があるんや」
『……生存者は居ないんだろ?』
「うん、死体。…何で自分が殺されなあかんかったか、知りたいんやないかなーって」
『…………』
「ちゃんと顔見て話したろって思ってたんやけど。埋もれててな、腕しか見えへんねん」
いくつめかの破片をつまみ上げたところで、バランスが悪くなったんだろう。周りの瓦礫が滑るように、崩れ落ちた。
僅かに舞う煤に顔をしかめながら見ると、真っ直ぐ空に向かって生えていた筈の腕が斜めに歪んでしまっている。
残骸の山もさっきより複雑に重なっているし、仕方ない。このままで良いか。
「折角やし、ジルチも聞いててな?…こんななんにも無い集落を皆殺しにした理由……知りたい、やろ?」
返事は無い。が、通信機のチャンネルは合わせたままだしまだ通信中特有のノイズは聴こえるから、一応向こうも聞いてはいるようだ。
話を続けつつ、曲がった腕を壊さないよう、遠慮がちに撫でる。
「…此処が、識の生まれ故郷やから」
「裏切り者の、識が大事にしとった場所やから。徹底的に、跡形も残らないように燃やし尽くせば少しは。鈍感な識もあの時…自分が裏切った時のユーズさんの気持ちがわかるんとちゃうかな、って」
「だからな、俺らを恨むんはお門違いやで…精々、ユーズさんを傷付けた裏切り者を彼岸の淵で呪えば、ええ」
焼け跡に吹き抜ける風で、黒焦げの腕が不安定に揺れる。さっき瓦礫が崩れた時に、何処かが折れたのだろう。指先でつついてみると、傾く角度が更に増した。
ふらふらと揺れるそれが頷いているように見えて、納得してくれたんだなぁ、なんてひとりで満足しながらぼんやりと眺めていると漸く、黙ったままだったジルチが声を発する。
『彼奴に思い知らせる為だけに…ユーズの気を引く為に、わざわざそんな田舎に出向いて戦闘までしたのか?』
物好きだな…ご苦労なこった。なんて。
呆れたみたいに吐き出された溜め息と付け足された言葉に、口角がゆっくりつり上がる。違う。俺は識の為にこんな面倒なことをしてやるつもりは無いし、こんなことだけでユーズさんが喜んでくれるとも思わない。
「俺じゃ、あらへんよ」
『……は?』
「せやから、此処を襲撃したの、俺じゃあらへんって。俺は確認しに来ただけ」
『じゃあ、』
「ユーズさんや。俺がな、教えて上げたん。識の大事なモン…例えば故郷とか、家族とか、仲間とか。みーんな消して、ひとりきりにしてやったらユーズさんの大切さに気付いてくれるんやないかなーって」
そう、あの日。識が姿を消した日のユーズさんが、余りにも痛々しくて、弱々しくて。可哀想になったから、教えて上げたんだ。
…実際に、本当にひとりきりになるのはユーズさんだけど。識の大事なものを自分の手で壊して、識に拒絶されれば良い。
そうやって拒絶されて、ボロボロに落ちぶれたあのひとを俺が、抱き締めてあげるから。これ以上無いくらいに堕ちたら、これ以上無いくらい優しくしてあげるから。
勝手に消えた上に貴方を拒んだ識と違って、私はずーっと貴方を大切にしてあげますよ、なんて。囁いて、自分だけのものにしてしまいたい。
「ひとの心なんて、案外簡単に壊れるから。壊して、取り入るのも簡単なんとちゃうかな」
ぐらり。
とうとう引力と風力に負けた腕が一際大きく揺れ、乾いた音を立てながら自分と同じ炭色の中に、倒れた。
***
→つづき