十一:浜辺にて

『私と少しお話しませんか?』
 携帯通信端末がそんなメッセージの着信を教えたのは、個人的な想いをようやっと締め出して機械的に仕事をこなしていた時分だった。パソコンモニターの右下に表示された時刻は十七時を間近にしている。
 午前休を取ってまで、私はレオと一緒にKnightsのメンバーにお土産を届けに行った。「王様のことを甘やかしすぎないで」そう言った瀬名先輩の声が、そのままの声で脳内に再生される。言われた通り、レオに「一緒に来て! な? お願い」と上目遣いで頼まれて、断れずに午前だけとはいえ休みをとった私は、反駁する言葉を持たない。──そんな言葉を持っていたとしても、きっと瀬名先輩の顔を見て返事なんて、今の私にはできないのに。
 仕事をする場にあって一度締め出したはずの "プライベートな" 感情をあっさりと私の中に持ち込んできたそのメッセージの送り主は、Knightsの中でも一番まっさらで、そしてたぶん、一番冷静であろう、朱桜司その人だ。
 「休んでもよかったのに、真面目だね」とため息混じりに笑う同僚に曖昧な笑みを返しながら、終業に向けて動き始める。その中でなぜ、私はこの携帯通信端末を取り出してしまったのか。あの、育ちの良さが隠せない柔和な笑みの後輩は、私と何を話そうと言うのだろうか。
『いいよ。いつにする?』
 きっとそれしか私が返信できる内容はない。文字だけをそっと打ち込んで、携帯通信端末をデスクに伏せた。送信するかしないか、この期に及んでほんの少しだけ迷っている。

*

 もう自分のものではないひとのことを思い浮かべてから、思わず口元に笑みが浮かんだ。最初から自分のものではなかったんだと、自分に対して説くように深呼吸する。
「セッちゃん」
「………なあにい」
「お土産なんだった?」
 向かい側のソファではなるくんが、もらったリップを早速唇に載せて、鏡を見ながら「素敵な色」とうきうきした声で言い、なるくんの隣に座るかさくんはその姿をニコニコ眺めている。俺の隣に腰を落ち着けたくまくんは、俺の顔を見つめながらまどろんだ眼差しと声で問いかける。その唇の奥に鋭い八重歯が覗く。
「見てないからわかんない」
「開けないの?」
「帰ってからでいいでしょ」
「ふうん」
 くまくんの興味なさげな相槌に調子を狂わされて、ついうっかり怪訝な表情をまざまざと表に出してしまった。その様子がおかしかったのか、くまくんが喉の奥で笑った。
「………ねえ、王さま」
 なるくんが鏡を見つめながら、さっきまでとは打って変わった静かな声音で言う。その目線は自分の表情を見ているのか、それとももらったリップを載せた唇を見ているのか、もしくは鏡越しに背後の王様を見ているのか。
「どうした〜? それ気に入った?」
「……ええ、気に入ったわ。もちろん。あの子の見立てでしよ」
「わはは! お土産ぜんぶあいつの見立てだよ」
 俺も含め、くまくんもかさくんも、口を噤んだ。空気を読んでいるわけではない。たぶん。空気を読むのなら今何か他の話題を投げかけるはずだ。室内の空気が白々しく、空っぽに冷えていく。
「…………ずっと聞いてみたかったことがあるの。王さまは、あの子の感情をちゃんと見て、受け止めたことはあるの?」
 なるくんは目線を下げて、美しい細工が施されたリップケースをその人差し指で撫でる。鏡を折りたたんで、一際静かに続けた。
「……アタシにはそうは思えなくて、気になっちゃったわ」
 視界の中で王さまの眉間にちょっとだけシワが寄った。なるくんは一切、背後を振り返ったりはしなかった。なるくんの心中に突然何が起こったのか推し量ることもできず、たださっきの王さまと "奥さん" 二人が並んだ光景とやり取りばかりが脳裏に浮かぶ。隣ではくまくんが不機嫌そうに、爪を弾いた。



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