5:君の言う通り

「みんなは今、なまえに何をしてあげたい? 」
 そう五条に優しく訊ねられてから、二日が経った。何をしてあげたいかと問われれば、それは恐らく誰も欠けないことを約束することだろう。十七歳の思考ではそれが限度だ。けれど全員呪術高等専門学校の学生である。言葉の脆さも約束の無意味さもよく知っている。それが人を呪うのに余りある力を持つことも、同時に知っている。常にそばにいてやることはできない。なまえはそんなに柔い人間ではないという確信も、全員が持っている。何をしてあげたいか、そればかりがぐるぐると、全員の頭の中を巡る。

 全員がそれぞれに頭を悩ませ始めて四日目、棘が教室でなまえに呪言を使ってから四日目だ。一日目は日中に、それから三日間、棘は毎夜なまえに電話をかけ、呪いをかけ続けた。果たしてそれは呪いだっただろうか。棘はいつも祈る気持ちで言葉を唇に乗せた。よく眠れますように、少しでも安心できますように、失うことばかりを考えずにいられますように。発信履歴はほぼなまえの名前で埋め尽くされている。
 その四日目の夜、真希は入浴帰りに寄ろうとした共有の談話室に、なまえが一人でいるのを目撃した。雰囲気としては眠たげなのに、その瞳だけが爛々としてテレビを見ている。時刻は二十一時を少し回ったあたりだ。今夜の棘との約束まではまだ十分に時間がある。真希は五条の言葉を思い出す。
"夜の暗闇、静かな中で一人ぼっちになると怖くなる"
 だから自室に居られないのかも知れない。真希はふと思い立ち、自室へと急いだ。自室に入るなり小型の冷蔵庫へと直行し、中から乱暴に何本かの飲料のボトルを取り出した。次いで買い置きのスナック類。それらを両手にめいっぱい抱えて、どうにか扉を開けた。部屋の鍵を閉められないが、それもどうでも良いことのように思えた。何しろやっとわかったのだ。今できる、なまえにしてあげたいことが。足は自然と駆けた。両手に抱えたボトルの中身がタプタプと音を立て、スナックの袋はガサガサと騒がしい。重いしかさばるしでさほどいいことはない。それでも真希は止まらなかった。止まらないまま、談話室に飛び込んだ。
「なに、真希どうしたの? 」
「今日徹夜な」
「えぇ? 」
 当然驚いた表情のなまえが、息を切らして大荷物を抱えてやってきた真希を見つめてのそりと立ち上がった。毛羽立った畳が、風呂上がりで裸足のなまえの足裏をくすぐる。
「明日休みだろ。今日は寝ねぇぞ」
 畳の上のテーブルに、持ってきた荷物をどさどさと下ろす。炭酸の入ったボトルが大変なことになっている。なまえも真希の言葉と行動の意図に気づいた。
「ありがと」
 あんまりにもふにゃふにゃに笑うものだから、真希はその頭をぐしゃぐしゃに撫で回してやりたい気持ちに駆られた。素直な妹を持ったような気持ちだ。真希は自分のスマートフォンでメッセージアプリを起動して、パンダと棘に招集をかける。憂太は任務で戻りが遅いから、やるなら先に始めるしかない。

 真希の招集によって先ず現れたのはパンダだった。手ぶらだったが、真希もなまえもそれを咎めることはなかった。なまえがただ手放しで喜んで笑う。パンダがそのたくましい腕になまえをぶら下げているところに、棘も合流した。その腕には真希といい勝負な量の飲み物と食べ物が抱えられていた。その内容がおにぎりやコンビニの唐揚げやレンジで作るタイプのたこ焼きだったから、その男子らしさに四人で「食べきれない」と笑った。それから四人で映画を観て、食べ散らかして飲み散らかして、他愛もない話で笑った。パンダと棘の一発芸に、なまえがここしばらく見ていなかった顔でお腹を抱えて声を上げで笑った。
「まさか棘が教室で呪言使うとはなァ」
 パンダがしみじみと三人に語りかける頃、既に時刻は深夜一時を回ったところだった。
「本当にな」
 既にうとうとした様子の真希が、テーブルに頬杖をついて息を吐く。良い事だったのか悪いことだったのかは誰も分からない。けれど答えが出るのはずっと先でもいい。真希の腕がその頭の重さに耐えきれずにテーブルにぶつかりそうになるのを防いだパンダが、「よっこいしょ」とおっさんのような掛け声とともに立ち上がる。
「毛布持ってきてやるよ」
「おー……」
 棘となまえが映画に夢中な中、真希はようやく静かになった談話室でまぶたを落とした。

 棘が穏やかな声でおにぎりの具を口にする。彼女も彼女でそれなりに付き合いが長い方ではあるから、これまでと同様に棘の語彙でも十分に会話は成り立つ。外では奇妙なやり取りだが、ここは高専だ。語彙を絞った棘とも難なく会話ができる者ばかり。
「いくら、ツナマヨ」
「ほんと、かっこよかった…泣きそうになっちゃった」
 棘と二人での映画鑑賞を終えて約十分程で、彼女の様子に変化が訪れた。目に見えてまぶたが重そうに、うとうととその体が船を漕いでいる。口元は幸福そうにゆるみ、何も怖いことなどない顔をして。棘が畳の上を二回叩いた。寝れずとも横になればいい、と。なまえが素直にそれに従って横になる。頬に畳の小さなささくれが刺さった。棘もまた、なまえの隣に横になった。隣から、連日夜に聞いていた優しい低い声が届く。寝かしつけるような穏やかさと甘さを含んだ棘の吐息がなまえの髪の毛を少し揺らす度、なまえはそのくすぐったさにゆるむ口元を必死に隠す。今夜は楽しかった。なまえが唇の中で呟く。隣で、自らの腕を枕にしている棘が、なまえの目の下あたりを指先でそっと撫でた。
「なんか照れるね」
「しゃけ」
 窓の外は暗く、森の中特有の、木々のざわめきや鳥の鳴き声や虫の鳴き声ばかりが耳に届く。テレビ画面はメロウな音楽に乗せて、映画のエンドロールをゆったりと流している。

 毛布を抱えたパンダ、それから帰寮したばかりの憂太が、談話室へと入ってくる。人間たちが風邪をひかないようにと棘となまえの分の毛布も引っ張り出してきた上、帰りに買い出しを頼んだ憂太の荷物持ちで戻るのが遅くなったパンダが、なるべく静かに毛布と荷物を下ろした。自然、その口角が穏やかに上がる。パンダの背後から顔を出した憂太もまた、同じ表情をした。
「なまえさん眠れたのかな? 」
「たぶん……棘がここで呪言使う理由もねェしな」
 少し前まで船を漕いでいた真希はどうやらいつの間にか覚醒していたらしく、畳の上、棘となまえが右手と左手をゆるく繋いで眠っているさまをぼんやりと視界に収めている。迷子の幼い兄妹がそうするような、温かくて、曖昧で、心細さのある光景だった。三人が誰ともなく顔を見合わせる。そしてゆっくりと、音を立てないように眠っている二人の元へと近寄った。
 パンダがなまえの頭と棘の頭に、それぞれ右手と左手を優しく置いてゆるく撫でた。真希がなまえの空いた左手の指をつついてから、そっとその手を繋いだ。憂太はそんな優しくて穏やかで大切な光景を、スマートフォンで写真に収める。
 最後には真希が憂太を睨んで呼び寄せ、寝ているふたりを起こさない程度の攻防戦の末、真希がシャッターボタンをタップして全員がぎゅうぎゅうに詰め込まれた写真を撮った。棘となまえは健やかな寝息を立てるばかりで、目を覚ますことはなかった。

 深夜、談話室ですっかり眠っている四人に毛布を掛けながら、パンダが控えめな鼻歌を歌う。テレビを消し、消灯して、寝息の四重奏を聴きながら。睡眠を必要としないはずのパンダも、隙間に体を倒した。そうして、睡眠の真似事をした。

 温かくて、仲間がいて、何も恐ろしいもののない世界。まどろんだゆりかご。ゆりかごから一歩外へ出てしまえば、仲間たちとはそれぞれ目の前の成すべきことが違う。もしかしたらもう二度と会えない人もいるかもしれない。それでも、だからこそ、この時間を慈しんで愛おしむ。後悔しないように、同じ時間を過ごし、目を見て、声を聞いて、触れてみる。
 一人じゃないことを、忘れないように。

 これ以降、なまえが眠れなくなることはなくなった。


おまけ
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