5:道行

 "言ってやりたいこと" を衝動的にぶちまけたあの日以来、なまえ先輩とのメッセージのやり取りはなかった。隙があればメッセージアプリを起動してみたが、活発なのは高専二年のグループと、高専二年プラス五条先生のグループくらいだ。なまえ先輩とのメッセージを開いてみても、自分が送った、今となっては恥ずかしい一文のみが浮かんでいる。既読マークだけがついたそれは、到底 "メッセージのやり取り" とは言えない。

* * *

 今日もあの日と同じように雨が降っている。あの日より幾分かは弱い雨脚が、小気味よいリズムで空気を湿らせている。
 大丈夫。大丈夫だ。何度も自分に言い聞かせる。たった一言、一文、メッセージを送るだけ。返事が来なくても、先輩はたぶん変わらずに実のない "好き" はくれる。恋を自覚したのと同じ雨降りの中、スマホを握りしめている自分の姿が滑稽だ。
『今日これから会えませんか』
 心臓の音が大きい。広いとは言えない寮の自室の中を二、三度行ったり来たりして深呼吸した。それからやっと送信ボタンを押した時、既にメッセージを送ろうと決めてからゆうに二時間が経過していた。

「来たよ」
 スマホを握りしめてベッドに座っていた自分の耳に届いたのは、確かに先輩の声だった。雨に混じった、聞き間違えない声。反射的にスマホでメッセージアプリを起動する。自分が送信した文章に既読マークがついているだけで、返事はひとつも送られていない。慌ててカーテンを引き、窓の鍵を開けた。パーカーのフードを被って少し濡れた先輩が、窓枠に足を掛けてから思案する表情で部屋の中を見渡した。
「ベッド、濡れちゃう」
 一応そんなことには配慮ができたらしい。窓に面して置いてあるベッドの上に、そこらに適当に放り投げたままだった自分のパーカーを敷いた。
「………ま、いっか」
 敷かれたパーカーを一度見つめて息を吐いた先輩の素足が、パーカー越しにベッドを踏んだ。積み重ねたタオルの一番上を先輩に差し出す。先輩は躊躇いなくそれを受け取った。
「それで、どうしたの。突然」
 先輩の視線が自分の唇だけを真っ直ぐに捉えて言う。本題を切り出すのが早いその潔さにほんの少し辟易しながら、ベッドの上であぐらをかいた。読み取りやすいよう、少し大袈裟に唇を開けた。
『先輩は、』
「うん? 」
『自分のこと、好きですか』
「……自分、自分って、私のこと? それとも狗巻くんのこと? 」
 前者に首を横に振り、後者に首を縦に一度。先輩の表情が曇り、切なそうな眼差しが向けられる。
「……………狗巻くんは、どう思う? 」
「ツナマヨ、しゃけ」
「……ふふ、やっぱりわかんないなあ。──狗巻くん、こんな嫌な女に引っかかっちゃだめだよ」
 思いもよらない声色と内容に、皮膚が粟立つ。何かが背筋を駆け上がり、駆け巡る。自分は核心に触れたかっただけだった。ようやくその勇気が出たばかりだった。それなのに──衝動と理性が、バランスを崩した。
「いぬまきく、」
 ベッドのスプリングが派手に一度鳴いた。組み敷いた体の薄さと、掴んだ腕の細さ。驚いた眼の先輩を見下ろしながら、『ざまあみろ』と唇が勝手に動いた。
 先輩の着るパーカーのファスナーを、一気に下げた。室内に金属の擦れる音が広がって消える。先輩の指先が、咎めるように自分の腕にくい込んでいる。そんなことはどうでもいいことで、その証拠に腕は全く痛まない。噛み付くように、なんていう表現は正しくない。文字通り先輩のむき出しの鎖骨に噛み付いた。痛みからか、先輩がくぐもった小さな悲鳴を喉の奥で潰す。理性が自分の衝動のコントロールを止め、代わりに先輩の噛み付いたそこを優しく舐めることを指示する。八重歯が残したうっすらとした痕は、確かに自分を満足させる。もうあとは、めちゃくちゃだ。
 左手が先輩の胸をまさぐって、Tシャツの裾からブラジャーを無理やり引き下げて突起を捕らえる。指がそこを掠める度に、つまむ度に、撫でる度に、先輩の喉が鳴る。動きの制約に焦れったくなって、Tシャツを引き上げて両手を背中に回しブラジャーのホックを外す。柔らかな乳房が重力に従って横に流れたのを、両手で包んだ。先輩はもう、抵抗らしい抵抗は見せなかった。唇を突起に寄せる。乳房がかすかに揺れた。
「──、っ」
 舌先で転がすように、唇で挟んでやわく引っ張る。コントール不能な衝動と、それでも先輩を傷つけたいわけではない理性が、自分の感情を置いていく。──たぶん、違う。自分の感情も、ずっと本当は。
 抵抗がないのをいいことに、右手が先輩の下半身に伸びる。スウェット素材の長いスカートのウエストが、呆気なく侵入を許す。先輩の、いつか誰かが触れたのかもしれないそこへと、手は勝手に蠢いて進む。すべすべした手触りの下着の上から、指先に感じる小さな固さを愛おしく撫でる。自分の中にこんなにも優しく触れる指があったのかと驚く。先輩の腰が小さく弾んだのを好機とばかりに、スカートをその脚から一気に引き抜いた。
「狗巻くん」
 先輩の声が震えている。泣かせてはいないだろうか、不安になって顔を上げる。先輩の瞳は潤んではいたものの、涙は見えない。けれどその眼差しはどことなく自分を責めている。
 指先を下着にかけてずり下ろして、指先がとうとう生身のそこに触れる。現実に見たことのないその場所に触れた瞬間の音と、柔らかい肉の感触と、自分相手に濡らしているのだという歓喜が全身を巡っていく。中指を一本、中へと挿し入れた。滑らかに進入する指を押し出したいのかねだっているのか、指を締め付けて、なかが蠢く。
「ぁ、ん、っ」
「、は」
 息を小さく吐いた。そんなことで気分が落ち着くとも思えなかったけど、それしかできない。指を出し入れする度に、先輩の体が震える。粘着質な音は増すばかりで、先輩の押し殺した声が跳ねて、耳から脳へと直接響く。──ほら、やっぱり呪言の類じゃないか。
 指をゆっくり引き抜いて、ベッド横に投げたままだったビニール袋を引き寄せた。中から取り出した箱を乱暴に破いて、中から蛇腹に繋がる正方形の個包装のひとつを引きちぎる。仰向けのまま呼吸を乱す先輩を見下ろしながら、ジャージとパンツを脱いで放り投げた。個包装から慎重に取り出したコンドームを、さほど記憶にない大きさの自分のものに被せる。初めてのことで、皮膚をちょっと巻き込んで涙が出そうになる。被せ終わって、長く息を吐く。ぴたりとくっついた先輩の両膝を開いて、膝の間に膝立ちになった。右手でそれを支えながら、先輩の濡れたそこへと、できるだけゆっくり押し込んだ。
「っん、う、ぁっ」
 先輩の両手がその唇を必死に塞ぐ。先輩のそのいじらしさは記憶にない。新しい先輩の記憶が増えていく。感慨にふけることもなく、腰は勝手に抽挿を繰り返す。息が弾む。質量のある皮膚と皮膚がぶつかる音と、液体の音が混ざり合う。
「は、ぁ」
 歯を食いしばりながら、嗚咽を噛み殺す。気を抜いたら先輩の名前を呼んでしまいそうなんだよ、助けてくれ。「なまえ」とただそれだけ、呼びたいだけなのに。
「ん、ぅ……っいぬ、あ、んうっ」
 先輩の膝を開いたままの自分の手に、先輩の指先が触れた。
「──、く、あ」
 最後の一度、中へと、奥へと押し込んだその瞬間、ずっと溜め込んでいた先輩へのあらゆる感情が、とうとう放出された。
 ゆっくりと引き抜いたそれは、粘着質な液体によってひくひくと震える先輩のそこと繋がっている。コンドームを外して、開口部をぎゅうと結ぶ。また、息を吐いた。一度出したはずなのに、自分のそれはまだ何かを期待しているのか萎える様子がない。
 ぐたりと汗ばんだ先輩の、浮き出た肋骨に手のひらを当てる。熱いのに冷たい不思議な感覚の体が、呼吸を整えるために細かに上下している。膝に残る自分の指の痕に焦る。先輩は気づいていない。
 また今日も、自分が眠ってしまえば起きた時には先輩はいない。それが嫌なら、見送るほかない。わかっていて尚手放しがたく感じてしまうのは、愛とか恋とかのせいだろう。
「部屋、戻らなきゃ……」
 切れ切れの息遣いで、切なさをたっぷり込めた先輩が囁くように言う。先輩が、両腕で支えながら体を重そうに起こした。均整のとれた背中を、月の光がその縁取りを浮かばせる。
「………」
「………」
 机の上からティッシュ箱を取り上げ、先輩に手渡す。ついでに、ばらけたルーズリーフの一枚にペンを走らせる。先輩がティッシュを使い無言で自分の濡れたところを拭くのを横目に、自分も無理やりパンツを履く。下腹部の辺りが一点だけ濡れていて気持ちが悪い。
 二人して発する言葉を持たず、互いの気配に神経を研ぎ澄ませながら衣服を身につける。ジャージを履いた辺りでベッドに腰を下ろして、そっと、先輩の腰あたりに腕を伸ばす。殴り書きのルーズリーフをその胸元に押し付けた。
"嫌な女とか思ったことはありません"
「……狗巻くん」
 優しい声だ。普段聞き馴染みのないやわいやわい声だ。頭の芯をとろけさせるような陶酔を届ける声に、先輩を見上げて腰を引き寄せる。
「そんな顔しないで」
 自分の頭に頬を擦り寄せたあと、先輩が額に唇を落としてくれる。そして先輩はベッドにの上に立ち上がり、来た時とおんなじ窓から、体を外へと乗り出した。
 雨は、止んでいる。

 先輩の去った部屋の中、ベッドの縁に座ったまま、腿に肘を乗せて長く息を吐く。先輩の張り詰めた皮膚に自分の指が沈む感覚。体温が高そうだと思っていたのに思いのほか冷たかった指先。唇で触れただけでぴくりと跳ねた柔らかい胸。それから、自分のものが先輩の体の濡れそぼる柔らかい肉を押し開いて進む感触。熱を孕んで揺さぶられる空気。先輩が喉を仰け反らせて声にならない声をあげたその瞬間の搾り取るような膣の動きに、あっけなく臨界点を突破して全部を出し切ったその時の視界の瞬き。それら全部が、すぐに思い出せる。夢中だったのに冷静だった。先輩の体を、先輩を傷つけたいわけではない自分の、恐らくひとつ誇れた矜恃。
 枕元には、自分で握りつぶした正方形のビニールパッケージがうっすらとした小さな影を作っている。



Next
Top



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -