XLVIII:凝固について


 地方にある大学の学祭での講演会を引き受けたのは、インスピレーションのためだった。そして、曲作りに没頭すればするほど浮き彫りになる自分自身の愚かさから、あいつの顔を見るのが怖くなったからでもある。
 当初は結婚した意味も理由も曖昧で、居心地の悪さから家にいる時間を減らしていた。そのおれが、あいつの気配が至る所に存在する空間に居心地の良さを感じ始めて、それからまたあいつの顔を見れないからと家から物理的に離れることにしたわけだ。めまぐるしく過ぎていく日々の中で、おれは確かに、学院で過ごす中でぶつかってそのままゆるく繋いだ手とか、何故かと自分に問う前に自然に重ねてしまった唇とかの意味と理由を、見つけようとしていた。
 神妙な顔つきの学祭実行委員長、副委員長、その背後でこそこそと仲間に耳打ちしては隠したいのか隠したくないのかわからない笑い声を上げる、恐らく同委員会の面々。講演を翌日に控えた挨拶がてらの見学を済ませてから、チェックインと同時に室内に放り投げたままの荷物を早めに解体すべくホテルに向かった。両手から溢れて取りこぼしそうなインスピレーションを、ひとつも落とさないように、ゆっくりと。

 いま、おれは大学からタクシーで約30分程度の距離にあるシティホテルの一室で、旅行用のバッグに向かい合っている。中身はベッドの上に乱雑に投げ捨てられて、既に自分の部屋の様相だ。脳内で思考がぐるぐると巡る。バッグの底からでてきた、たった一つの小さな包装。バッグの持ち主が自分の " 妻 " であること以外、おれにはわからない。おれが知る限り出張の時にしか活躍しないバッグを借りた昨晩、そして今朝、いつも通りだったあいつの眼差し。心臓がバクバクと音を立てて頭蓋骨に反響している。そっと、その包装を取り上げた。それは明らかに、避妊具だった。そして、おれがあいつのために綴ろうとしていた曲のどこにも、そんなあいつの一面は存在しないことを、こんな時に思い知らされる。

*

 最近のレオは、学院時代よりもずっと穏やかに、くつろいだ眼差しをKnightsのメンバーに向ける。あの頃、私に「それは愛だ!」と口にして、私の心を揺さぶったその一瞬の屈託のなさはとうの昔に消え去ってしまったけど、レオの大切なもの ──Knightsに対しての感情は、きっと変わらずに、レオの心の中にあり続ける。その感情は静かに成熟を迎えたんだろう。揺らがないものを手にしたレオは強い。あの頃の変人ぶりは今ではもう見る影はない。もちろん、当人の性質だった部分は残っているから、世間一般的に見れば十分変人の類だろうけど。
 いつも通りの仕事を終えて、満員電車で不快ないびきや話し声を右から左に聞き流しながら、イヤホンのボリュームを上げた。日本一の高さだという電波塔の先端が、重い色の空を支えている。

*

 王さまからのメッセージが飛び込んできたのは、ジムの後ボイトレに移動するタクシーの中だった。メッセージアプリを起動して、王さまからの個別のメッセージを選択しようとした指先に、過去に王さまをパージしたグループが目に入って、心臓が痛んだ。王さまからのメッセージは簡潔だった。『学祭の講演会に出るからおれがいない間Knightsとあいつを頼むぞ〜』。冗談なのか本気なのかわからないトーン。これだから文字の羅列は嫌いだ。敵に塩を送られた気持ちで、タクシーの後部座席のシートに身を沈めた。れおくんがいない間のあの子の何を、俺に頼むというのか。
 ボイトレは散々だった。ついこの前なるくんが発した王さま以外の曲のこと、あの日味方だと言った俺に確かにわらった王さま、手放せないでいる恋のこと。それらが全部ないまぜになって、プロにあるまじき集中力のなさでトレーナーから「今日は終わりにしようか」とため息を吐かれた。情けない気持ちで頭を下げて、ブースに背を向けた。

 王さまを、Knightsを裏切ってきた。彼女を抱きしめ続けるために。それなのに、今になって俺は、王さまのあの幼い子供みたいに安心したような笑顔を、忘れられない。







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