XLIV:廃材について


 セナの家は、いつでも整然としている。俺からすれば信じられないくらいに片付いているのだ。キッチンのシンクには洗い物が全くなくて、テーブルの上に置きっぱなしのアイテムもない。テレビのリモコンすら見当たらないから、あのでかいテレビはディスプレイされているだけの飾りものなんじゃないかとすら思う。

「今日セナんち泊めて」
 もうどうにもならない、と思った。リッツからの提案は、正しかったし、的を射ていた。当然困惑したけど、考えれば考えるほどそれだけが正しい行動のように思えた。正直なことを言うと、酷く情けない気持ちになったのだ。おれが間違えたのなら、それは同時にあいつも間違えたことになる。そう思っていたかったし、そう信じたかった。だから、あいつと2人で間違いを見て見ぬふりして新しい何かを積み上げていけばいいんじゃないかと、逃げの姿勢でぼんやり思っていたかった。
「…………………いいけどぉ」
 たっぷりの間を置いてから、セナはそう答えた。
 セナを助手席に乗せるのは、『結婚してからあいつの笑った顔を見てない気がする』と本音を吐露した時以来だ。昔は「王さまの運転とか生命の危険以外感じないんだけど」と引きつっていたのに、今ではすっかり当たり前に乗り込む。セナが「うち今野菜しかないんだけど夕食どっかで食べるの?」と聞いてきた。食欲が湧かなかったから、「う〜ん、いいや」と答えた。

「王さま何か飲む?」
「ん〜、水!」
 家に入って、セナは真っ直ぐにキッチンに向かった。うちにあるのと同じくらいのサイズの冷蔵庫から、ミネラルウォーターのボトルを2本取り出す。俺はといえば、セナの家の中をぐるりと見渡して、息を吐いた。改めて見ても完璧な部屋だ。世間が抱く瀬名泉のイメージと一切かけ離れたところのない部屋。リモコンがどこにあるのかわからないテレビも、ぴかぴかに拭かれたテーブルも、チェアの背もたれに乱雑に引っ掛けられたカーディガンも、計算し尽くされたよう。まるでおしゃれなインテリア雑誌を参考に誂えたモデルルームのよう。かと思えば反対側にはプロフェッショナルな音響機器が存在感を放ち、ローテーブルとソファが並ぶ。ローテーブルの上には、音響機器のリモコンが整然と並べられている。
「なに?」
 つい少し前に訪問したはずなのに、今思うとなんだか妙に居心地が悪い。フィレンツェで同居してた時期もあるのに、セナに対して居心地が悪いなんて思わなかったはずなのに。
「いや、相変わらずセナんちは生活感がないな〜って」
 水のボトルとグラスをテーブルに置いたセナが、上着を脱いで音響機器の前にあるソファに投げた。そのままテレビの方に足を進めて、テレビの横にある木製のトレイの上に鍵を落とす。
「王さま、鍵閉めた?」
 セナが左手首の腕時計を外すのを、ぼんやりと見る。使いやすそうで見た目もかっこいいその腕時計も、鍵と同じくトレイの上に置かれた。今度はとても丁寧な動作だ。
「………忘れた」
 チェアに座って答えた。セナがこれみよがしにため息を吐いて玄関に向かう。あいつと暮らすマンションでもよく同じようなことを言われた気がする。最初だけだけど、あいつも「家に入ったら鍵閉めて」と言っていた。そしておれが少しでも面倒そうな気配を漂わせると、無言で玄関に向かっていった。
「………もしかしてなくても、おれだけが間違えてる?」
 諦めたような不機嫌な横顔を思い浮かべながら、頭の中でだけ問うつもりだった言葉が何故か口から溢れ出た。
「なに、くまくんのやつ?」
「ああ、うん」
 普段の自分ならたかだか500ml程度のペットボトルにグラスなんか使わないのに、セナがボトルの水をグラスに注ぎ入れるから、おれもそれに倣って同じようにボトルのキャップを開けてからグラスに注ぐ。セナが水を一口飲み込んで、それからじいっとおれを見た。
「王さまさ、」
「ん〜」
「自分は間違えてないって思ってたんだ?」
 思いのほか突き刺さった。セナはそんなおれの反応を見て、また大きく息を吐いて「やっぱり」と言う。
「前に来た時はちゃんと " どこかで間違えたんだと思う " って言ってたのにね。………はっきり言うけど、あの子が間違えたこともあるけど、王さまだけが間違えたこともあるよ」
 そして、それはおれが解決すべき。つまるところ、リッツが言いたかったのはそういうことなんだろう。
「………………」
「……なに」
 何を言うべきかわからず、おれも水を飲んでからテーブルに突っ伏した。セナの不機嫌そうな声が降ってくる。脳裏に浮かんだのは、おれのKnightsのメンバーだ。
「おれの味方がいない……」
 テーブルに突っ伏したまま、ちらりとセナを目だけで見上げた。セナは驚いた顔をしたあとに、ほんの少し眉を下げた。
「……みんな、アンタの味方でしょ。味方だから言ってるんだよ。感謝してよねぇ」
 諦めたような声音は確かに柔らかくて、思わず笑った。「そっか」と言ったら、「そうだよ」と返ってきた。今度は真面目な声のトーンだった。

*

「……味方、ねえ」
 プライベートな話を少し、あとは仕事の話と、なぜだかテレビのリモコンの場所を執拗に聞かれた。2人で王さまの音源を聴きながら、解釈について議論した。王さまが「そろそろ寝る」と言ったのは、深夜1時頃だ。そのままソファに横になろうとするから、「シャワー浴びて着替えてからにしてくんない?」と言ってバスルームに押し込んだ。
 そしていま、王さまはソファの上で安らかに寝こけている。時刻は深夜3時半を少し過ぎたあたりだ。寝室のベッドの上で、一人考えている。眠れないから考えているのか、考えなければいけないから眠れないのか、わからないままだ。
「……………味方じゃないよ」
 誰に言うでもなく、誰かに聞かれたら困る言葉を唇に載せた。裏切っている。随分前から、ずっと。それでも、王さまの味方でいたい気持ちには偽りはない。どうしようもないのは俺の方だ。王さまが「泊めて」と言った時、その顔にははっきりと「どうしようもない」と書かれていた。断れたはずなのに、断ればよかったのに、俺は了承した。
 毛布を引っ張って、枕元で低い唸り声をあげ続ける加湿器のランプを見つめる。すっかり彼女の気配が消えてしまった、けれど事実として彼女を抱いたベッドの上で、瞼を強く閉じた。
「………触りたい」
 思いのほか切実に溶けた言葉。瞬間的に、「味方だよ」と言った時の王さまの表情を思い浮かべた。王さまは、1拍置いて破顔した。そう、確かに、嬉しそうに笑ったのだ。




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