XLIII:珊瑚について


 彼女の、電話越しの少し機械質な「始まりから何もかも間違いだったのをレオは認めたくない」という言葉が、頭の隅にこびりついて離れない。喉に刺さったごく小さな魚の骨のようだ。違和感と不快感と、気に留めなければやり過ごせそうな痛み。

 落ち着いた内装のシティホテルの一室で、光沢のあるカーテンを摘んで引いた。カーテンレールから、手入れの行き届いた音がする。室内に射し込む陽光が遮られ、室内に体を向けた。
「……電気、消そっか」
 大きなベッドの端に腰かけた彼女が、途方のない、泣きそうな表情で俺を見上げて笑った。そっと彼女の頬に指を伸ばす。彼女が人懐こい猫のように目を細めて指先に擦り寄るのを、夢の中の心地で愉しむ。柔らかくて温かい肌。俺にだけ許された、彼女の感情。彼女の頬を指先で撫でて、つついて、そして彼女の手が、俺の手の甲に添えられた。その細い指の先が、頬に触れた温度から想像していたよりずっとひんやりしていたから、その身体ごと抱きしめてベッドの上に倒れこんで脱力した。

「……今日、王さまは?」
 糊の効いた白いシーツと俺の体に挟まれた彼女が、ごく当然のことのように両手で俺の二の腕のあたりに手を添える。
「仕事」
 ベッドサイドのパネルに指を伸ばして、室内の照明を絞る。パネルに表示されている時刻は十四時を示している。彼女の呼吸が俺の耳のあたりの髪を揺らす。くすぐったくて、思わず笑った。
「前までは、」
「……ん」
「あんた、前までは王さまの行き先も予定も知らなかったのにね」
「…………そうだね」
 彼女の元に届くようになったあいさつと王さまの予定、それは、たとえ彼女からの返信がなくても、そのメッセージに既読を知らせるマークすらつかなくても、しばらく続いているらしい。王さまと俺との間は、随分離れてしまったんだと思う。その証拠に、俺は王さまが何を思って、これからどうしたくて彼女とコミュニケーションをとろうと試みているのか、はっきりとはわからない。王さまの真意を知りたい気持ちが湧いて、思わず誤魔化すように彼女の首筋に唇を落とした。王さまは、彼女を諦めないのかもしれない。そのことが悲しくて、そしてなんだか妙に嬉しい。
「瀬名先輩、もしも私が、」
「うん?」
 首筋に落とした唇で、わざとらしいリップ音を立ててやった。途端に俺の二の腕に触れていた指先に力が入って、素肌だったらひっかき傷でもついたのかな、とぼんやり思う。

 家で王さまに見せる顔と、こんな風に俺に見せてくれる顔はきっと違うんだろう。シャワーも浴びずに、と言ってもシャワーなら家で浴びてきたわけだけど、まるで本能だけしかない発情期の動物みたいだ。それでも彼女に無理を強いるのは本意ではないから、理性的なふりをしながら、ゆっくりとシャツのボタンを弾いていく。逆に彼女が焦れて、顔を赤くして「はやく」と小さく鳴いたから、思わず破顔した。

 弾力のある皮膚が、うっすらと汗を弾く。どこもかしこも汗ばんだ身体同士をぴったりとくっつけて、微かに震える太ももを開いた指が柔らかな肉に僅かに沈む。ベッドの上で浅い息をしながら俺を見上げるその眼差しに、錯覚してしまいそうだ。避妊具を被せたペニスの先端を、濡れてとろける彼女の胎内への入口にぴたりと宛がった。先端を押し出すように、もしくは強く招き入れるようにそこにきゅうと力が入る。彼女は眉根を寄せて、大きく息を吐いた。ゆっくりと、ベッドに立てた膝に力を込めていく。ペニスが肉壁をひらいていく感覚に、背筋がぞくりと粟立った。彼女の乳房がふるふると揺れる。まだ半分くらいしか入ってないよ、と言いそうになって口を閉じた。たぶん、そんなことは言わなくてもわかってる。右手で太ももを押さえたまま、左手で彼女の胸の先に触れた。そのまま指先でお腹のあたりをなぞったら、いつも通りに、腹筋に力が入っている。ああ、でもきっと、王さまだって彼女の身体を抱いたことがあるんだろうな。
 左手も彼女の太ももを抱えて、とうとう一番奥目掛けて、一気に腰を打ち付けた。彼女が首筋をそらして、声にならない声をあげた。その白い首筋にキスマークの一つでも残せたらいいのに。
「今日だけでいい。この数時間だけでいい。アンタが、俺だけのものだって、アンタが好きなのは俺なんだって、そう、信じさせてよ」
 隙間なく、ぴったりと噛み合った凹凸の結合部を見下ろしながら、呼吸を整えて口にした。彼女の瞳の奥で、何かが揺れた。

 この恋路が悪路だとしても、行けるところまで行ってみたいんだよ。そのためなら、俺はこれから先もみんなに、れおくんに、嘘をつき続けられる。いつか彼女が俺を選ぶまで。それでも、どうしても彼女に聞いてみたいことがある。
「あんたは、本当はどう思ってて、本当はどうしたいんだろうねえ?」
 とうとう、彼女の目じりから涙が一筋、零れていった。




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