XXX:まどろみについて


 街のショーウィンドウに映る自分の姿があまりにもみすぼらしくて、思わず笑った。客観的に見て、服を買う余裕のない、地方からきた大学生の出で立ちだ。それは恐らく、自分自身の性質によるものだと思う。例えばセナは、他者の目に映る自分というものを計算している。生来の生真面目さとストイックさが滲み出る出で立ちからは、経験と自己研鑽から醸し出される自信に満ち溢れている。例えばあいつが頑なに崩さない仕事着のジャケットや踵の高い靴にだって、社会の中に存在する自分と自分の仕事への誇りが垣間見える。じゃあ、俺はどうだと言うんだろう。
 携帯通信端末の画面を覗いて確認した時刻は、朝八時。学校を背にしてから約一時間半。暗いショーウィンドウを名残惜しく通り過ぎながら、帰路に着く。家に帰ったら風呂に入って、着替えて眠って、それからめぼしい通販サイトで服を数着、靴を何足か買おう。

 ふと、あいつが今どこで何をして、何を考えているのか、疑問が頭をもたげた。これまでなら絶対に頭に過ぎることもなく、仮に過ぎったとしても何かの行動に出ることのなかった俺の指先は、自分でも驚くほど滑らかにメッセージアプリを立ち上げて、「おはよう。今から帰る」とメッセージを送った。思いがけずすぐに既読になったメッセージに、ほんのすこし期待する。「おはよう。お風呂の準備しておきます」。これから仕事に出るだろうあいつからのそのメッセージが、今までになくゆっくりと心に満ちていく。

 あいつからのメッセージを映し出したままで画面の明かりを消した携帯通信端末を、そっとジーンズのポケットに突っ込んだ。なぜだか無性に顔が見たくなった。いつかの電話口のあいつの声が震えていたから。そのことを、未だに俺は忘れられずにいるから。


*


 翌日から始まる休暇の初日に思いをめぐらせながら瞼を落とす。溜め込んだ有給休暇に、上司が素っ気ない口調で「少し休んだらどうだ」と言ったその次の週、一週間を休暇に充てることにした。上司の口振りは酷く素っ気なかったけど、気遣いを感じさせる響きだった。
 普段よりも二時間ほどゆっくり眠った午前、携帯通信端末が素っ気ない音で私を呼んだ。画面に映るのは " 月永レオ " の文字の羅列。逡巡して通話ボタンに指を乗せ、耳に当てた。向こうからはいくらか緊張しているらしい固さのある声が、ノートパソコンを自宅に忘れてきたことを告げた。

 そうして今、休暇の初日に、私には関係のない集まりの中でそっとため息を吐いた。
 レオのノートパソコンは、普段からPCケースになんて入れていないから傷だらけだった。当人ならいざ知らず、大切なデータの入ったノートパソコンをぞんざいに扱うことも出来なかった私は、自室の収納ケースに入れっぱなしの、昔使っていたクッション素材のPCケースを使うことにした。スタジオに到着するなり案内してくれた見知らぬスタッフに連れられて踏み入れた休憩室の一角。そこでケースごとレオにPCケースを手渡したとき、レオは一瞬目を見開いて、それから笑った。昔はよく見たような、今でも、私以外には見せるような、そんな満面の笑みを浮かべた。「ありがとな」冷たさも固さも過度な謝意も感じさせない温かい声で、レオはそう口にした。
 ノートパソコンを手に私に背を向けてKnightsメンバーの元へ戻って行くその姿を見て、ふと気付く。レオの頭のてっぺんからつま先まで、それらはとても新鮮に、けれど何故だかさほどの違和感もなく、何かが腑に落ちたように、そこにあった。服装と雰囲気が、私が身近に知っているレオとは異なっている。
 シンプルな薄いブルーのシャツの袖をまくって、細身の黒いパンツが未だ引き締まった足を長く見せて、白いスニーカーが目に眩しい。ぼんやりと視線だけで背を追っていたら、それに気づいたらしいレオが私を振り返った。そして目が合うなり視線を自分の足元に落とし、それから、ゆっくりと視線を上げて、微笑んだ。

 唐突に、大丈夫だからと言ったレオの、強い響きが脳裏に過ぎった。立ち直ることを実感として知っているひとの声だったから。私の強さを信じる声だったから。私が、必要としていた言葉だったから。


*


「アタシは、あなたは泉ちゃんを選ぶんだとばっかり思ってたの」
「……なんで」
「だって、ねえ……。王様とあなた、二人でいる頃からずっと、お互いが好きで幸せって感じがあんまりしなかったもの」
 王様が彼女に持ってこさせたノートパソコンから流れる音に、全身が粟立った。歌いこなせるのかという不安、この曲が世間の評価を変える一手になるという確信めいた期待、それらがないまぜになって、拳を握った。そして王様が誇らしそうに胸を張って「俺のKnights!この曲をお前達のものにしてくれ!」と笑ったのが、途方もなく嬉しかった。
 王様と王様について行ったかさくんが、そのデータを俺たちに配るための作業をしている時のこと、スタジオの隅に配置された椅子に座るくまくんと彼女となるくんが、ついさっきまでの空気とは一変した静かなトーンで話し込んでいた。テーブルを挟んだ向かい側にも椅子は並んでいるのにわざわざ三人並んでの会話は、傍目に見ても奇妙に映った。
「…………私もレオも、たぶん、二人でいて幸せだって感じたことは、確かになかったかもしれないけど、」
 意を決したように顔を上げた彼女を遮るように、なるくんがうっとりと微睡むひとの声音で囁いた。
「アタシ、まだこの年になっても、恋に夢を見てるのよ。ドキドキして、眠れなくって、顔を見るだけでも泣きたいくらい幸せになるの」
 彼女が唇を引き結んで、ぼんやりと視線を落とす。感情がうまく読み取れないから、そっと助け舟を出す。
「なに話してるのぉ?あんな曲聴かされた直後だっていうのに、二人とも随分余裕なんだねえ」

 不意に、郷愁が胸を突いて叫び出したくなった。学生時代、同じ学校の同じ校舎で過ごしていた彼女が、隣で笑ったこと、泣いたこと、目を背けたこと、それから再び俺の目を見つめ返したこと、それら全てが鮮明に、胸にわずかな痛みを残して頭に浮かんだから。


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