XXV:砂嵐について



 言うは易しとはよく言ったもので、「いい曲を作る」とは言ったものの " いい曲 " がどんなものなのかを掴みかねている。いま俺が作らなければいけないのは技術や感性に裏打ちされた " 名曲 " ではなく、" 大衆受けする曲 " だ。いつかは気にも留めなかった。理解できない人間は理解しなくていいと思っていた。それでも俺は曲を作って生きていくことを選んだ。選択には責任が伴う。人生は選択の連続だ。そんなことはとうにわかりきっているから、スタジオで、公園で、カフェで、家で、時には懐かしい夢ノ咲を訪問して、連日五線譜が規則的に並ぶ紙に向かい合う。

 もうしばらく、外で口にすることのなくなったフレーズが、唇からこぼれ落ちる。「インスピレーション」、その言葉が、部屋の壁にぶつかって消える。天井を仰いで瞼を閉じた。歩く道、空の色、いろんなことが頭に過ぎって、息を吐いた。こんな時、きっと助けてくれるのはセナなんだろうと、ふと思う。


*


 毎朝、レオに見送られる日々を送った。緊張に身を固くしながら家に帰り、纏う空気が変わっていくレオから気付かれない程度の距離を取って生活した。
 私が恐れていたのは、レオに求められてしまうことだけだった。私の不安を余所に、レオはそんな気配を一切感じさせなかった。ただ気にかかっていたのは、毎日レオの顔色があまりよくなかったことだけ。夜に帰宅すれば、待ち構えていたようにリビングで「おかえり」と口にするレオの、その目前に広げられた何枚かの楽譜。曲を作るなら部屋に篭ればいいのにと思いながら返事をした。私が帰宅後は自室に移動して曲作りに没頭していたらしい。一度、部屋の扉を閉め忘れたレオの部屋を、隙間から覗き見た。そこにはぐしゃぐしゃに丸められた五線譜がいくつも転がって、大きな赤いバツで上書きされた五線譜が散らばり、その真ん中でペンを片手にポータブルキーボードの前を動かないレオの背中があった。私は気付かれないように静かに扉を閉めるしかできなかった。あの人が曲作りに難儀する光景を、私は知らない。思い出話を聞いたことはあっても、目の当たりにしたことはなかった。

 思い悩むレオと一つ屋根の下で過ごす日々は、毎晩バスルームの鏡に映る自分の体をぼんやりと見つめる日々でもあった。
 鏡に映る自分の体、その胸元には、はっきりとした鬱血の跡が3つ。これまで決して私の体に残されることのなかった、瀬名先輩の痕跡。あの夜に瀬名先輩が呟いた言葉が、何度も何度も頭の中にリフレインする。私は、瀬名先輩を抱きしめた。それ以外にしたいことも、できることもなかった。ほんの少しの苛立ちを込めた瀬名先輩の指先は、それでも確かに優しかったのだ。

「アンタを好きなのは、俺だよ」。その低い声が、それだけが、私の中の何かをすっかり書き換えてしまう。まるで洗脳だと思う。それでも瀬名先輩のいない生き方を忘れてしまった私にとっては、言葉も、絞るような声も、細められたライトブルーの瞳も、私だけの唯一だ。


*


 軽い食事を終えてからもずっと、鈍く反射する彼女の指輪を見つめ続けた。
 付き合うと聞かされたことはない。ただ、付き合ってるという報告だけを受け取った。それでもまだ彼女の手を取るチャンスはあると思っていた。弱音を吐いてしまいたいと顔に出る彼女を追ったのも、将来に思い悩む彼女の隣にいたのも、全部俺だったからだ。彼女が素直になれるのは、俺の隣だと思っていた。今でも思っている。それでも現実問題として、それは正しくない。そんなことはわかってる。正しくないことをそうと知りつつ諦められないのは、俺がまだあの頃と同じような子供だからなのだろうか。

「……あのさ、」
 とても静かな食事のあと、店の外の冷たい風に前髪を揺らしながら口を開いた。手を握ってしまいたい。そうすればきっと、口にしなくても伝わる。パンツのポケットの中で拳を握った。外にいる時、俺は一部の隙もないプロでいなければいけない。そう、自身に課してきた。
「アンタ明日、予定あるの?」
 彼女がいつも通り少しの距離を開けて歩く中で、一度僅かに目が合った。彼女が静かに首を横に一度振った。


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