XXIV:色彩について



 環境はめまぐるしく変化する。その中でもこれまで変わらずにあったものを少し数えた。Knightsのあり方、俺自身の作曲者としてのあり方、そして、左手薬指の指輪。
 五線譜と向かい合いながら、ペンを取っては指先でくるくると回す日々を送っている。メンバーに「いい曲を作る」と頭を下げたその日から、今紡ぎたい曲と今紡がなければいけない曲について考え続けている。曲を作るのにこんなに色々なことを考えたことはない。これまで考えたこともなかった、考えようともしてこなかった「売上」という言葉の重さ。その時になってようやく、俺を天才と形容し続けてきた世間の、今の俺への評価が下がり続けていたことを知った。

 おもむろに手帳を開いた。白い便箋1枚を、指先で開いた。「レオへ」から始まる手紙は、手紙というには心もとない、本文がたった1行のものだ。丁寧な筆致の文字は、いつか横目に見た婚姻届の文字とは異なるように思える。たった1行の「ありがとう」に込められたあいつの感情を、俺は持ち歩いて生活している。

 空が白んでいる。強風が窓を鳴らして耳障りだ。


*


 『今日会える?』そんなメッセージが届いたのは、深夜だった。届いたのは深夜3時をほんの少し過ぎた時間だ。残念なことに私はすっかり眠っていたから、そのメッセージを読んだのは朝のことだった。そう、残念だと思った。リアルタイムで読んで、そして勢いのままに返信したかった。それなのに、目覚めてから確認したメッセージに対して、私はすぐに返信できなかった。連日私の心を支配し続けていた孤独を理解して支えてくれるのは、これまでを考えれば瀬名先輩だけのはずだった。実際に電話を掛けてくれたのは瀬名先輩だけだった。聞き馴染みのある少しぶっきらぼうにも思える話し方と、そこに込められた温もりに心底安心した。それなのに、あの時傾いだ心を支えたのは、確かにレオだった。そのことが私を混乱させる。
 昼食に買ったコンビニのサラダにフォークを刺す。目の前のパソコンで開いたニュースサイトの見出しにはKnightsという単語が載っている。近日中にリリースされる予定の新曲が人気俳優を起用したドラマとタイアップすることや、アルバムの発売予定について言及されたなんの変哲も無い記事。そのニュースのコメント欄に、少し前から散見されるようになった辛辣な意見が踊る。『月永レオの曲ってそんなにいいか?』『昔は天才だったかもしれないけど、正直最近はワンパターン』それらを視界に入れて、思わずニュースサイトを閉じた。これまでは気にせずに目を通すことができたはずの、なんでもない赤の他人の評価だ。

 レオに書き置いた手紙を思い出す。他に伝えたかったことはなかっただろうか。例えば今回私がレオに支えられたように、私がレオをほんの少しでも支えられるような言葉。
 そこまで考えてから歯を食いしばった。そんなたった1度だけ助けてもらったくらいで、これまでに私が感じてきた孤独と恐怖、寄る辺ない気持ちがなくなるわけじゃない。明確な理由がなく付き合って、明確な理由がないから別れないだけの私に何を言われても、恐らくレオが支えられることはないのだ。

 窓の外では強い風が雲をどこかへ追いやって、幼稚園児が描いたような青空が広がる。


*


 すぐに返事がこないのは意外だった。当然、深夜に送信したメッセージにその場ですぐに返事があると思っていたわけではない。それでも、翌朝には返事がくると疑わなかった。朝が過ぎ、昼になり、仕事が終わり空が暗くなっても尚、返事はこなかった。ただ、メッセージアプリを立ち上げれば俺が送ったメッセージは既に相手が確認済みとわかるマークが表示されている。
 返事がきたのは、結局メッセージを送った翌々日の昼過ぎだった。何度か、何かあったのか電話でもしてみようかと思った。それをしなかったのは、スタジオに現れる王様が、時々神妙な表情で俺たちを見て、そして溜息を吐いて、手帳を開くからだ。正確には、手帳から取り出した白い紙を見つめて、不意にその表情が和らぐからだ。俺は王様のこの表情を知っている。高校時代、いつか手に入ると疑わなかった彼女の、その隣にいた王様がほんの時々浮かべた表情だ。

「遅れてごめん」
 メッセージを送った翌々日の彼女からの返事を皮切りに、いつになく急いで決めた食事の予定。彼女からの返事は『食事に行きましょう』だった。それだけだ。返事が遅れたことや、その理由には全く触れなかった。彼女は、答えにくい部分について、文面で触れることはない。文章にすることで言うことが整理できるということもある。けれど彼女はそれ以上に、自分の言葉が誤って伝わることを恐れている。真意を伝えるために、顔を見て言葉を尽くす性質を持っているのだ。
「大丈夫。そんなに待ってないですよ」
 薄暗い店内の、剥き出しの梁。厚い木のテーブルの上の頼りないロウソクの火が、俺の気配に細く揺れる。
「もう頼んだの?」
 彼女は小さく首を振った。揺れる火が、時折彼女の左手の薬指の指輪を浮き上がらせる。

 窓枠から見える星空が、まるで絵画のようだとぼんやり思った。


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