XXII:星について



 作曲家としての仕事のために取得したメールアドレスに、数えるのを途中でやめたメールが届く。内容はどれも似たり寄ったり、あいつと瀬名のことを問う文面だ。内容はどれも同じだが、慇懃無礼な文面もあれば比較的穏やかな文面もあり、攻撃的な文面もある。さほど気にならないのは、今の自分には確固たるポジションがあって、大切な根幹は他者に侵されないことを知ったからだと思う。
 仕事の合間に、努めて穏やかな文面のメールを送り続ける。『この度はお騒がせして申し訳ございません』から始まる文面は、既に定型文としてテキストソフトにコピーを取ってある。それをコピーして貼り付けて手直しして成形して、そして一度見直してから送信ボタンにカーソルを合わせた。

 あいつに「俺に任せていい」と言ったしばらくあとから、電話とメールが俺の元に入るようになった。その事に安心した。耐えることを要求したKnightsの事務所は、彼女が耐えられると思っていたのか。俺は、耐えられるんじゃないかと、一瞬でも思った。それでもセナに代わってもらった電話の向こうでは、あいつの声は震えていた。

 当然、あの後スタジオを出て俺たちを囲んだレポーターたちに向かって俺が簡潔な説明と、何も問題がないことを笑顔で告げた直後、事務所からはやんわりとしたクレームが入った。それでもようやく背筋を伸ばして、「妻を貶めないで頂けますか」と口にした時、初めてあいつを" 妻 "と呼んだことが、心のどこかにきれいに収まった気がした。


*


 瀬名先輩から電話が掛かってきた時、その声があまりにも焦っているように感じて、また涙が出そうになった。確かにあの夜は何も無かった。それでも、私と瀬名先輩の間にあるものは、露呈すれば今と同じ、それ以上の反応が返ってくる。そんなことは知っていたはずなのに、知っていることと理解していることはやはり違うのだと、打ちのめされた。
 瀬名先輩の声が優しくて、瀬名先輩は確かに私を大切にしてくれているのが伝わって、今すぐにでも抱きしめてもらいたい衝動に駆られた。それでも、一度唇を結んでから、「大丈夫」と言った。ほかの言葉を選ぶ余地はなかった。泣き言と一緒に涙も溢れてしまうことがわかっていた。
 一瞬の沈黙を挟んだあとに聞こえたレオの声に、そっと思いを巡らせる。静かな静かな声だった。それなのに、穏やかで、優しく届く声だった。レオは「大丈夫だから」と言った。「俺に任せていい」と、はっきり断言した。返事をする間もなく、受話口からは終話を告げる音が聞こえて、途方に暮れた。レオの声に、言葉に、傾いだ体を支えられた心地になった自分に対して途方に暮れたのだ。

 オフィスの電話が人を呼ぶ。そっと受話器を取って、応対する。相手は自らの所属を淡々と告げた上で、不倫騒動について問う。息を吸って、吐いた。
「私がその当事者です。夫である月永レオより、本件は彼が対応すると連絡がありました。連絡先をお伝えしますので、そちらにお願い出来ないでしょうか」
 中には、『なぜ当事者であるあなたが対応できないんですか』と咎める声もあった。ゆっくりと、言葉を選んで伝えた。
「私があくまでも一般人であり、夫は世間に向けて真意を発言可能な立場であり、……何より、夫が自分が対応すると、そう言ってくれたんです」
 自分でもまさかと思った。返答したのは自分なのに、自分の出した答えに、自分が一番驚いた。レオは、私を助けてくれた?


*


 呆然と王様を見送って、我に返ってモニタールームに戻った時、既に空気は張り詰めていた。
「泉ちゃん、どうかしたの?」
「いや、……あの子に電話してた。やっぱ気になったからねぇ」
「お姉様は、大丈夫そうだったでしょうか」
 不安げなかさくんに、片眉を下げて笑った。
「……たぶんね」
 たぶん、大丈夫になった。俺が電話したからじゃない。王様が、彼女を守ろうとしたから。守ると宣言したから。
「……ちょうどスタジオの前にカメラがいくつか集まってるだろ」
 王様が、ソファの背もたれに体を預けて、指先でペンを回す。
「出たら、今回の件は俺も知っていて、それで俺からも頼んだって言うよ。そもそもうちにはセナんちの鍵があるだろ。あいつはそれを持って行ったはずだ」
 全員が、目を見張った。ここにいる誰もできないことだ。事務所に所属して、矜持がありながらもそれを自分だけの責任として行使できない立場に見せつけられた、単独で行動を起こせる立場を築いた才能という武器。そして、俺が全幅の信頼を置いている人間という周囲からの評価。
「……ふーん、いいんじゃない?」
 それまで静かだったくまくんが、眠たげな眼差しを擦って言う。
「力関係を示すにはいいタイミングだと思うよ。王さまがうちの事務所に従わなきゃいけないルールはないわけだし」
 そもそもこの話題作り嫌だったんだよね、と、くまくんが不機嫌そうに吐き捨てた。
「みんなには、口裏を合わせてほしい」
 有無を言わせない響きが、モニタールームの壁にぶつかって消える。
「アタシが泉ちゃんのところに行ってほしいってお願いしたことは、事務所も知ってるわ」
「ナッちゃんが、王さまにお伺い立てたあとに言ったってことにすれば問題ないんじゃない」
 かさくんがほんのちょっとだけ、自分にもなにか役割はないかとそわそわしている。
「……そうね、いいわ。王さまもそれでいい?」
 神妙な面持ちのまま頷いた王様が、まぶたを伏せた。
 「……売上が下がってるとすれば、俺の責任だ。いい曲を作る。悪かった」
 はっきりとした口調で言った王様が、ソファから立ち上がる。「明日も同じ時間に」そう言ってから、「ちょっと行ってくる」と後ろ手に手を振った。

 見送るしかできない立場。彼女が甘える人間は、彼女を甘やかせる人間は、俺しかいなかったはずなのに。突然の焦燥感。彼女との逢瀬の後、手を振って見送るあの瞬間の苦さにも似ている。


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