]\:天井について


 セナはよく、「自己管理」という言葉を口にする。セナにとっては、いつでも最高のパフォーマンスを見せること、ファンが望む瀬名泉であること、体調を万全に整えること、それら全て「自己管理」の範疇だ。自分を律することができる人間。思えば昔から、人に対してよりも、自分に対しての方が厳しかった印象がある。

 そんなセナからメッセージが届いたのは、ある深夜のことだった。携帯通信端末のメッセージアプリ、その中の、今ではほとんど使われていない、旧Knightsメンバーのグループに、一つ新しいメッセージが追加された。
『ごめん 風邪ひいたから2日間休む』
 最初こそ頻繁に使われていたグループのメッセージだったが、段々と収拾がつかなくなった。例えば結論に至るまでの過程が長くて、そのせいで結論を誤解したり、曲解したりすることが多くなった。真剣な話をしてる中で唐突に紛れ込んだ雑談に脱線することもあった。同年代のほかの人間と比べると社会人経験が圧倒的に足りていないから、それも仕方なかったのかもしれない。同時にその頃、アイドルとしてのKnightsには含まれていない俺を避けたい話題が存在することも知った。結果として、Knightsとしての意見はセナに集約されて、その結論が俺や、他の関係者に共有されるスタイルが出来上がったのだった。

 最後にあいつを抱いてから、既に1ヶ月が経っていた。ソファの上でのことは、すっかり肌から失われた。あの時のあいつの表情すら思い出せないまま、俺は息をするように曲を作り続けている。

「風邪か〜」
 1人つぶやくと同時に、メンバーからセナに向けてのメッセージが送信され始めた。『セッちゃんも人の子だったんだね』『何か差し入れをお持ちしましょうか?』『安静にしてなきゃだめよ』。それにしても、2日間と決め打ちで連絡を寄越すセナの、そのセナらしさに感嘆する。確かに、プロの判断だ。


*


 なぜこんなに泣きたい気持ちを引きずるのか。道具のように扱われた身体に爪を立てて、唇を引き結んだ。
 目の前のモニターに開いたメールソフトの文字を追いながら、スケジュールソフトに予定を加えていく。打ち合わせ時間の変更、所属タレントとの面談、イベント用の衣装チェック、会議の中止。さっきまで息をするように滑らかだったはずの指先が重い。陰鬱な気分に、また泣き出したい気持ちになった。
 あの夜、セックスの最中に笑ったレオを思い出す。まるで一番最初のような手のひらの熱が、こうして今でも私を苦しめる。いつも面倒そうに、私の目を見ずに、ルーティンのような動作で私を抱いていたレオはどこに行ったの。
 とうとう何かが決壊しそうになって、椅子から立ち上がった。ノートパソコンのロックを忘れず、トイレの個室に駆け込んだ。涙が溢れてくる。あのころ、苦悩を底に隠してキラキラしていた学び舎で、そっと隣で笑ったレオが戻ってきてしまうんじゃないか。お互い何も言わないまま、ぶつかってそのまま繋いだ指先の感覚が戻ってきてしまうんじゃないか。

 レオでなければいけない理由なんて、なかったはずなのに。
「……せなせんぱい」
 私が泣く時、いつでもそばにいてくれた人に助けを求める。たすけて。
 レオとセックスした夜から一ヶ月が経とうとしている。もし生理が来なかったら、私はどうすればいいんだろう。


*


 一人で、真っ白いベッドの中で浅い呼吸を繰り返しながら、カーテン越しの日差しを睨む。寝苦しくて蹴り飛ばし、ぐしゃぐしゃになったリネンを巻き込んで、汗で頬に張り付いた前髪が気持ち悪い。暑くて寝苦しいのに、言いようのない悪寒に背筋が震える。ふと触れた額に貼った冷感シートの端が、乾いてめくれそうになっている。思わず息を吐いた。
 冷感シートを取り替えたくても、水を飲みたくても、薬を飲みたくても、起き上がるのも面倒だ。普段散々メンバーに自己管理について説いていたっていうのに、まるで説得力がない。散らかったリネンを緩慢な動作で必死にかき集めて、乱雑に体に乗せた。鈍い頭痛に耐えながら固く目を閉じる。早く、早く眠ってしまえ。

 「…………起きた?」
 ひやりとした心地良い感覚に目を覚ます頃、カーテン越しの日差しはすっかり消えていた。
「………………なんでここにいるの」
 少し困った表情を浮かべた彼女が、仕事帰りの疲れた顔色で視線を壁時計に向ける。
「5時過ぎ頃、嵐から連絡があって」
「……ナルくんのせいか」
「せい、なんて言わないで」
「…………うそだよ、」
 ベッドに添えられた彼女の細い指先に触れた。濡れたタオルを握るその指先が、俺の指先にそっと絡む。
「ねえ、キスして」
「…………瀬名先輩」
「伝染したらごめんねぇ」
 思ったより情けない笑顔になってしまっただろう俺の視界に、一瞬泣きそうになった彼女が映る。思わず体を起こして、彼女を抱き締めた。彼女の足元に転がる冷感シートの箱と体温計とスポーツドリンクのボトル。繋いだ指先に力に込めたら、彼女はそっと「目を閉じて」と呟いた。


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