]V:暗闇について



 いつも通り、最寄り駅まで電車に揺られた。平日の、ピークは過ぎたもののそこそこ混む時間帯の電車の中で、頭の中の音を一つずつ拾い上げる。俺がいない間も、俺が拾って並べた音を大切にしてくれたKnightsのために、次はどんな歌を書こうか。
 電車が緩やかにスピードを落として駅のホームに滑り込む頃、胃の重さはすっかりどこかへ消えていた。

「Leader…………月永さん!」
「いいって言ってんだろー」
 ちょうど反対側でタクシーから降りたスオ〜が、俺に気づくなり笑顔を浮かべた。ずっと俺をリーダーと呼んでいたスオ〜は、俺が卒業して、そして自分が卒業してから、俺の呼び方を変えようと試みている。スオ〜なりに思うところがあってのことだとは理解出来ても、あっけなくそう呼ばれてしまうのは違和感がある。
「瀬名先輩は既にスタジオ入りしているそうです」
「あいつは早いな!そういえば、スオ〜昨日の歌に満足いかなかったんだってな」
「、はい。あれが自分のBestとは思えなくて」
「いいぞいいぞ!そういうのは好きだ!」
 少し緊張が走った赤い髪の横顔が、ゆっくりと解れていくのがわかる。俺がいない間、俺のKnightsを、俺たちとは違うベクトルで大切にしようともがいた愛しい後輩だ。
 少し前に、セナから届いたメッセージを反芻する。『かさくんにもう一度歌わせてあげるよ。昨日は納得いかなかったみたいだから』。簡潔な、報告のメッセージだった。リーダーを名乗っても、リーダーらしいことをした記憶は薄い。ずっとリーダーの職責を抱えてきたのは、紛れもなくセナだ。だから
セナの判断に反駁することはない。セナの判断なら大丈夫だと、胸を張って言える。

 エントランスをくぐった。ぴかぴかの床に、擦り切れたスニーカーのゴム底が情けない音を立てる。


*


 いつもより丁寧にブローした髪がつやつやしている。普段はストレスと迫る時間に追い立てられてすぐに崩れるファンデーションが、吸い付くようにぴたりと肌に密着している。いつもより優しいアーチを描いた眉、瞼には、少ない休日にくらいしか使わないカラーを乗せた。慎重にカールさせたまつ毛と、しっとりとした色合いのリップ。服装こそ変わらずにスーツなのに、メイクが上手くいった日はそのスーツが見違えるようだ。ストッキングに包まれたつま先を、エナメルのヒールに差し入れた。かかとから、正しくフィットしている時にしか聞こえない音がする。
 荷物を肩にかけて、ルームキーを取り上げた。部屋から出て、エレベーターホールに足を向ける。閉まった扉から、オートロックがかかる重い音が響いた。

 仕事もないのに何故スーツなのかと言えば、荷物を極力減らしかったからだ。大阪に来たとはいえ、一人でできることには限りがある。そうは言っても、カフェや買い物に時間を費やすつもりで、一応の目星はつけてある。ゆっくり電車に乗って移動して、残り少ない大阪での時間を楽しんで帰ろう。コートを片手に掛けて、カウンターにルームキーを返却した。ふと、部屋を出る間際にコートのポケットに突っ込んだ携帯通信端末をまさぐった。指先に触れた紙の感覚に、それを端末と一緒に引っ張り出す。部屋のデスクに、丁寧に折りたたまれていた何枚かの紙幣。メモも何もなかった。思わず片眉を下げて、それをバッグのポケットにねじ込む。辺りを見渡して、エントランスの近くに設置されたソファのひとつに腰を落とした。携帯通信端末でメッセージアプリを呼び出す。なんのメッセージもきていないそこに、瀬名先輩を呼び出した。「今度食事をご馳走します」このお金は、その時に取っておこう。


*


 新幹線のアナウンスが、降車駅がまもなくであることを告げる。その音声に覚醒した。おもむろに袖口をまくって腕時計を確認すれば、俺が一時間以上もぐっすり眠っていたことを示している。窓枠に肘をついて、欠伸を噛み殺す。ポケットに入れていた携帯通信端末を取り出したら、メッセージが一つ舞い込んでいた。『今度食事をご馳走します』きっと、デスクの上のキャンセル料に気づいたんだろう。画面の上を指が滑る。「楽しみにしてるよ」それだけ打ち込んで、送信ボタンを押した。窓ガラスに映った自分の表情が、思ったよりも無感情だったから、少し驚いた。既読がつかないうちに彼女とのメッセージを閉じて、王様とのメッセージを呼び出す。かさくんが歌い直したいと言う、それを聞き届けてやりたいと思う。高校を卒業してなお発展途上にいるクソガキは、アイドルでいられる時間が短い。一日、一秒を悔いなく、と願う。簡潔な決定事項を王様に送ってから、倒した座席を戻した。

 今日も一日が始まる。いつもと同じ、目の前のことにきちんと向き合う一日だ。


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