]U:太陽について



 裾が擦り切れたジーンズを履いて、くるぶしまでの黒いソックスを履いた。親指のあたりが薄くなっている。靴を履けばわからないから、そのまま黒いTシャツを被って、グレーのパーカーを羽織った。ナイロン製のカバンに楽譜を詰め込み、何本かのカラーペンとボールペンを放り込む。音源と仮歌のデータが入ったタブレット端末も、今日はついでに持って行っておこう。
 キッチンで、グラスにオレンジジュースを注いで一息で飲み干す。ガラスのボトルの中身が少ない。足元を見回せば、何本かのストックが箱に入っていた。あいつが通販で注文したはずのその箱。
 そろそろ帰ってきてしまうかもしれない。顔を見ると気が重くなるのはわかってる。それでも、ほんの少し、本当に少しだけ、この家に一人きりでいるのはとても居心地が悪いなと過ぎる。


*


 覚醒した時には、当然ベッドにも部屋にも瀬名先輩はいなかった。早朝のまどろみの中で、瀬名先輩は静かに部屋を出て行った。その記憶は確かにあるのに、ダブルベッドのあるこの部屋に瀬名先輩がいないことに納得できない。
 リネンを蹴飛ばして、毛足の短いカーペットに素足を晒す。瀬名先輩は、絶対に素足ではこのカーペットを歩かなかった。備え付けのぺらぺらの使い捨てスリッパを履いていた瀬名先輩の、その後ろ姿が脳裏に焼き付いている。
 体は重いのに気分はすっきりしている。体をバスルームに滑り込ませた。熱いシャワーを浴びて、スーツを着よう。きちんと化粧をして、出掛けよう。そして明日からまた仕事を頑張ろう。洗面の前の鏡に顔を映して、頬を両手で包んだ。顔色がいい。今日はいつもとは違うカラーを瞼に乗せてみようか。
 下着を取りに室内に戻ったその足で、カーテンを一気に引いた。眩しい朝の日差しがダブルベッドと私を照らす。


*


 新幹線に乗り込んですぐ、昨晩からほとんど見ていなかった携帯通信端末をポケットから取り出した。着信はナシ。メッセージアプリの通知が3通のメッセージを知らせる。
 一つ目はマネージャーだった。1週間の予定の変更点と、増えた仕事の話。
 二つ目はかさくんだった。『昨日のレコーディングですが、少々納得できない箇所がありました。もし可能であれば、本日再度歌わせて頂きたいです』。変わらず丁寧な文章を送ってくる後輩だ。画面をなぞって返事を打ち込む。『わかった。伝えとく』送信ボタンに触れた。
 三つ目はなるくんだった。『泉ちゃん、昨日って何か予定入ってた?王様とご飯行ったんだけど、泉ちゃんがいないのをちょっと気にしてたみたい』。
 携帯通信端末をポケットを突っ込んで、チケットを眺めながら座席を探す。窓際の後方座席。ボストンバッグを足元に置いて、座席に腰を落ち着ける。背もたれを倒して、窓の外を見た。発車を告げる車内アナウンスが響く。
 携帯通信端末を再び取り出した。『仕事の準備がしたかっただけ。なるくんにも依頼いってるでしょ』。それだけ打って、すぐに送信ボタンに触れた。端末を手に、スピードを増していく車窓からの風景を眺める。おもむろに足を組んだらつま先が前の座席にぶつかって、僅かにやるせない気持ちになった。


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