\:信仰について



 肌寒さで目を覚ました夜中、手元の携帯通信端末を握ってベッドを下りた。熱いシャワーでも浴びるか、それとも面倒でも湯船を張るか。雑然とした床をぼんやり眺めながら、短い時間考える。いつか俺を責め立てていたはずの五線譜が、足元で鈍い光を放っている。瞬間、言いようのない気持ち悪さが胃の奥からせり上がって、トイレに駆け込んだ。


*


 伸ばした指先を受け止めてくれる人が目の前にいる。普段は丁寧にきちんと整えられている前髪が、まだ少し湿って跳ねている。瞼を伏せて無防備にされるがままになっている瀬名先輩の、その顔があまりにもきれいで、心臓が潰されそうなほど痛い。ゆるやかに開かれた眼差しの強さに腰が引けるのはいつものことだから、瀬名先輩は密やかに目を細めて、そうしてようやく私の行き場のない指先を優しく握ってくれた。
「瀬名先輩」
「んー?」
 確かめるように私の手を何度か握ってみせた瀬名先輩が、眩しそうに私を見つめる。綺麗ないろの瞳に、ベッドサイドの橙の光が映る。
 ふと、視界に影が落ちる。手入れのされた薄い唇が、柔らかい動きとは裏腹に、噛み付くみたいに重ねられる。瞬間的に、レオの唇が脳裏を過ぎった。たぶんカサついているんだろうなと思う。それだけだ。それ以外の感想は持ち合わせていない。レオとキスをしたのなんて、高校時代、あのきらきらした学び舎での一度きりなのだから。


*


 いつもそうするように、性急なフリをして彼女の唇に自分の唇を合わせた。握ったままの彼女の手が、一度小さく震えた。こんな時、俺が早くと急かすほど、彼女は安心したような表情を浮かべる。
「せな、先輩」
「…大丈夫だよ」
 なんの根拠もないくせに、笑うことだけは上手くなった。彼女の瞳の奥で何かが揺らめく。
「瀬名先輩が、すき」
「知ってる」
 ようやく僅かに笑った彼女の、そのお腹に触れる。温かくて柔らかい体が、ごく自然に俺に委ねられる。
「私も触りたい」
「……いいよぉ。触って」
 彼女が好きな、一等甘い声で囁いた。彼女の指先が俺の手からするりと抜けて、温もりだけが残る左手をぎゅっと握った。
「先輩」
「……一緒に、地獄に着いてきて」
 俺の心臓のあたり、素肌に手のひらを当てた彼女が、小さく小さく、一度だけ頷いた。
 頭に浮かぶ、ナルくんの顔、くまくんの顔、かさくんの顔、そして、王様の顔。あまりにも鮮明に俺を責めるその表情は、彼女の首筋に埋めた鼻先が捕らえた清潔な石鹸の香りに弾け飛んだ。
「……瀬名先輩と同じ匂いがする」
「……そうだね」
 早く幕をひかなければと祈る気持ちで立っていた俺が過去になって、そして再び彼女を求めて指先がさまよう。


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