[:未来について



 冷えきったリビングを覗いてから、冷えきった自室に入る。入る間際、あいつの部屋の扉を視界に入れた。部屋の扉を閉めて、大量の楽譜とデモ音源とペンを乱雑に突っ込んだカバンを床に放り投げる。フローリングの冷たさが、靴下越しにゆっくりと体を侵していく。身震いして、そのままベッドに倒れ込んだ。素っ気ない紺のベッドカバー。効きすぎるスプリングが一度、俺の体を小さく跳ね返した。
 白い壁。宇宙を写した大きなポスターの隅が折れている。足元のローテーブルの上に散らばった書きかけの楽譜の五線譜がぐにゃぐにゃと曲がっていく。電源を入れっぱなしのポータブルキーボード。録音ソフトとアレンジソフトを立ち上げたままのパソコン。
 この部屋はこれまでもこれからも、ずっと俺だけの空間だ。他者の侵入を拒み続ける要塞めいた城。静かに瞼を落とした。瞬間的に襲ってきた眠気に抗うこともなく、そのまま意識を手放した。


*


 温度の高いアルコールは酔いやすい。手っ取り早く気分良くなりたい夜には、ホットカクテルを飲むに限る。店を後にして、首に巻いたマフラーを唇まで引き上げた。コートのポケットに手を突っ込んだ瀬名先輩が、僅かに肩が触れる距離で密やかに笑う。その横顔に気恥ずかしくなって話題を探した。
「あ、ホテル」
「んー?」
「私、瀬名先輩が来るなんて思ってなかったから、シングル取ってるの」
「キャンセルすればいいんじゃないのぉ」
「それはいいんだけど、ダブルルーム取れるかな」
「……ふーん」
 途端に意地の悪い笑みを浮かべて私の頭に手のひらを乗せた瀬名先輩が、独り言のように「そっかそっか」と口にする。
「……なんですか」
「ツインじゃなくて、ダブル取ってくれるんだ?」
「…………意地悪!」
 言わんとしてることに気付いて、軽く瀬名先輩の横腹に拳を叩きつけた。瀬名先輩はそれすら楽しそうに、とうとう笑い声を噛み殺すように喉からくつくつと音を立てて目を細めた。
「もう取ってあるから安心したらぁ?」
「……んん?」
「良かったねぇ。ツインじゃなくてダブルだよ」
 今度は勢い余ってさっきより強く横腹に一撃を食らわせる。瀬名先輩はとうとう声を出して笑い始めた。


*


 彼女がフロントでシングルルームをキャンセルしてキャンセル料を支払うのを、ぼんやりと離れたところから見守る。部屋に入ったらキャンセル料渡してやんなきゃ、と思いながら、フロントで謝罪する彼女の背中に目を細めた。口元がほんの少し緩んで、意識して引き締める。身体を翻した彼女の足元で、質の良さそうなヒールが音を立てた。
「キャンセル理由って難しい」
 照れくさそうに視線を逸らした彼女と向かい合って、足元に置いていた彼女の大きめのバッグを持ち上げた。
 並んで踏み出した足は、一体この先どこへ向かうのか。指先がぶつかって、冷えた細い指先を優しく握った。彼女がそっと俺の手を握り返す。目の前で開いたエレベーターから、知らない女が俺を少しの時間見つめて、それから視線を外して通り過ぎた。
 脳裏を掠める、空虚な眼差し。混乱と虚ろがないまぜになった、途方もない彼方を見つめる視線。全部を拒絶しながら救いを求めていたボロボロの指先。月永レオという、俺の王様。
 隣で彼女が首を傾げて俺を見上げる。手放せないものは多くない。それでも、そのどちらかを選べば、俺はもう片方を失う。閉まった扉、滑らかに上昇していく箱の中で、一度ぎゅっと目を瞑った。


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