VI:温度について



 ナルと向かい合って、ボンゴレスパゲティを箸でたぐるのも終わり、車でマンションまでナルを送り届けた。さっきまでの温かな空気とかテンションがすっかり消えた車内で、空っぽの助手席をエアコンの暖房がすり抜けて行く。ステアリングを握る手に一度力を込めた。
 考えたくもないことを思わず考えてしまう。赤信号で停車してふと隣を見やった時、ナルは気づいて俺に視線をやってきた。あいつはどうだっただろう。あいつを助手席に乗せたのは、多分二回くらいだ。あいつはいつも窓の外を見ていた。ちらっと助手席を見やっても、いつも俺の視界に入るのは、あいつの温度のなさそうな首筋だけだった。
「……クソ」
 それなのに、俺の左手の薬指には銀色の細い指輪が嵌っている。もうずっと外していないそれは細かな傷がついて尚、いつでも輝く。それがたまらなく腹立たしくて気持ち悪いのに、俺は外せないでいる。


*


 誰にでもできる仕事というのは、誰にでもできるが故に誰もやりたがらない仕事でもある。向上心の塊みたいな同期たちは、もっと大きくて、もっと責任が重い仕事を希望した。そしてその仕事に押しつぶされて、一人またひとりと会社を去った。残ったのは私を含めて三人。一人は頭の回転が早くてすごく優秀。一人はフットワークが軽くてマルチタスクが苦にならない。私は、いつかの夢ノ咲での日々を回顧しながら誰にでもできる仕事をこなす、平凡な人間だ。
 大阪での仕事を終えて、ホテル近くのオシャレな洋風居酒屋に落ち着いた。ぴたりとフィットするパンプスに包まれた足は、かなり浮腫んでいるはずなのに痛いとは言わない。
 店員が仏頂面の明るい声で持ってきたグリューワインのグラスを両手で包んで初めて、私は自分の指先が冷えきっていることに気付いた。瞬間的に思う。過ぎる。早く、手を握って欲しい。


*


 つま先がようやく駅の改札を越える。思いのほか温度が低い外気に包まれて、一度身震いした。冷えていく指先が往路分のチケットを摘んで、それは呆気なく改札に吸い込まれた。左手に下げたボストンは牛革製のオーダーメイド。深いブラウンの革靴のつま先がつやつやとしている。新幹線を降りる間際に窓ガラスで確認しながらかけた黒縁のメガネの、その安っぽいプラスチックのグラスで視界はクリアとは言い難い。それでも、もし誰かに俺が瀬名泉だと気付かれても、イメージが変わることのない全方位守備。
 持ってくるのをすっかり忘れたアイテムについて、ほんの少しだけ考える。あいつが用意してるわけはないし、ないと困るだろう。俺は全く困らないけど。


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