つまり僕は、虚数のような存在だというわけです

 暇つぶしついでにメルクリウスという謎の物体について考えてみた。
 影が意志をもって闊歩しているような雰囲気もさることながら、既知の破壊を望んでいるのが面白いと思う。自ら指揮を買って出た時点でシナリオの決定権はメルクリウスにあるわけだし、ストーリーテラーたる彼が話の結末をしらなくては歌劇の破綻は免れない。
 なのに、彼は既知に飽いている。既存からの脱出を目指したいのならば、語り部など他人に任せ自らも踊る駒の一つとして舞台に上がれば良いのに。
「まるで子供の言い分ね」
 出来ないことをしたいと駄々をこねる子供と変わらない。
「子供にしたら可愛げのかけらもないけれど……まぁ可愛い、ともいえなくも……ない?」
 顔のみで判断すれば女顔だし異性からの受けは良さそうだが、メルクリウスという存在自体がマイナス要素の塊みたいなものなので、友好度に換算したら差し引きゼロ以下だ。
「独り言ばかり言う変人かね、君は」
「造形だけで判断すれば、メルクリウスってなかなか色気があるなと考えていただけよ」
「…………私に色気? これはこれは、君が愛用する雑巾で一度頭の中を洗い掃除することをおすすめしよう」
「ご忠告痛み入るわ」
 定位置となった対岸に座り、ティーカップを傾ける私を観察する視線。
 幾度となく繰り返された風景は既知というメルクリウスがもっとも嫌う光景に成り下がるのだろうが、何故か今日も彼は此処にいる。
「飽き飽きしてるのでしょう?」
「さて」
「此処にいたって既知感からは抜け出せないと思うけれど」
「そうであろうな」
「分かっているなら……」
 他の処へ行き、私のティータイムを邪魔しないでいただきたい。視線で語ってみるも無機質な瞳の前に敗北したことを察し、届かぬ願いを胸の内に収納し不味いお茶で洗い流す。
「君は個性的な味を作成していると見受けるが」
「貴方に言われたくないわ。それに、ちょっと渋めくらいが丁度いいの。人の好みに口出ししないでくださる?」
「これは失敬。希な味覚をお持ちのようだ」
 料理の「り」の字も知らなさそうな存在に言われたくはない。
 私とて美味く淹れられるにこしたことはないが、ついつい待ち時間の間に考え事をしてしまい蒸らしすぎてしまうのだ。
「飲む?」
 何気なく掛けた言葉にメルクリウスは僅かに体を揺らし、「結構だ」と嘲笑混じりの言葉を落とす。
「グルメなのだよ」
「は? 誰が?」
「私とて食べ物を口にすることはある」
「……意外だわ」
 聞いてもいない味覚に関して主張してきたのもそうだが、メルクリウスという存在が食べ物の味を知っていたことに驚きを隠せない。
「ああ、そっか……貴方も軍属だったのでしたね」
 ハイドリヒ卿に推薦され、ゲシュタポの囚人から軍属に一転したと教えてくれたのは誰だったか。
曖昧な記憶を掘り起こそうとすると眼前の視線が邪魔をし思うようにことが運ばない。これ以上観察したところでメルクリウスが得るものはないと確信しているのに、無駄に長生きしているご老人にはそれが分からぬようだ。
「いい加減諦めたら?」
「古今東西、学者とはこういうものだ」
「厄介な人種ですこと」
 メルクリウスが私の何を解き明かしたいのか分からないが、答えなど初めて出会ったときから提示している。
「見落としたくなければ、同じ位置に立てばいいのに」
 空の上から砂粒を数えようとするから見つけられないのだと告げれば、他者が忌々しいと称する鉱物のような双眸が僅かに細められた。
 青にも緑にも黒にすら見える不思議な色合いの瞳は、実のところ結構好きだったりする。やはり顔だけは良い男だと再確認し、本日の終わりを求める言葉を紡いだ。
「私達がここにいると、マイナスの空気しか発生させらないと思うけれど」
「ならば、君は虚数のような存在だというわけか」
「……随分と失礼な言い方ね。でも、だとしたら貴方もだわ」
 二乗することによりマイナス一となる数は、一人では成立しない。ゼロ地点にすら到達できない私達はなんと愚かしく哀れな存在であることか。
「滑稽ね」
「あぁ、滑稽だとも」
 ゼロには何を掛けてもゼロにしかなれないように、私達がいくら言葉を交わしたところで互いの理解を深めることなど出来ないだろう。
「もう行くわ。またね」
 再会を匂わす言葉を向け、彼よりも先に部屋を出るのもいつものこと。
 だから、残されたメルクリウスがどんな表情をし何を考えているのかなんて分からないし、ゼロで構成された空虚に一点の染みが発生していたのにも勿論気付くはずはなかった。
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