Select Season

 保健室の扉を開けると、珍しく仕事をしている琥太郎さんが居た。明日は雨が降るのかと今朝見た天気予報を思い出すが、たしか今週一週間は快晴が続くと言っていた気がする。しかし、月子ちゃんが定期的に片付けているとはいえ……この室内の荒れっぷりはある意味尊敬する。何をどうしたら短い期間でここまで魔窟化させることが出来るのか。
「なんだ、怪我でもしたか?」
 入り口に立ちっぱなしの私に掛けられた声に否定の言葉を返し、通り道が決められている室内へと足を踏み入れた。
「霞、茶を淹れてくれ」
「それは月子ちゃんのお仕事なんじゃないんですか? 琥太郎先生」
 わざとらしく先生という呼称を付けて問えば、ようやく琥太郎さんは机から目を離しこちらに顔を向けた。
「年齢詐称している奴に言われたくないがな」
「口止め料を要求されてしまってはしょうがありませんねぇ」
 手慣れた動作でお茶を淹れ書類の乱雑する机の上に湯飲みを置く。
「ありがとな」
「いえいえ、先生の頼みとあらば生徒である私が応えるのは当然でございますから」
「……あー……そのことなんだけどな」
 空いている椅子に腰を下ろせば、怪訝そうな色を浮かべた視線が注がれる。
「なんで学生なんだ」
 琥太郎さんと再会して早二年。初めて琥春さんに呼び出されてから一年の期間を空け、私はこの星月学園に戻ってきた。――生徒として。
「教師としてよりも生徒としての方が生の声が聞けるでしょう?」
「けどなぁ……お前今年いくつだ?」
「琥太郎さんの四つ下ですから、二十二歳になりますね」
「だよなぁ」
 じろじろと人の制服姿を見る琥太郎さんに「似合いませんか?」と問えば、答えを濁すよう苦笑を浮かべてお茶を啜る。星月学園の制服は可愛いから個人的には好みだったのだが……まぁ現役高校生の年齢でないことは覆せない事実。
「違和感がないのが、違和感だな」
「褒め言葉として受け取っておきますね」
「そうしろ」
 教鞭を執るにしても学園の事を良く知りたいといった私の我が儘を叶えてくれたのは、他の誰でもない星月姉弟だ。一年という期間限定の学生生活は思っていた以上に楽しい。これまた我が儘で、星月学園唯一の女生徒である月子ちゃんと同じクラスにしてもらったけれど……今思い出しても転入初日の騒ぎは凄かったと思う。
「早く増えるといいですねぇ、女の子」
「どうした? 急に」
「月子ちゃんも大変だろうなぁって」
 幼なじみという騎士達がいるとしても、学園のマドンナと称される彼女に言い寄る男は後を絶たない。実際彼女に到達する前にボディーガードである幼なじみ達に駆除されているらしいが……それでも何処かに穴は空いてしまう。
「勉強に生徒会に弓道と……あとは保健係でしたっけ。頑張るなぁと思って」
「そうだな」
 月子ちゃんの話をすると、少しだけ琥太郎さんの目が優しくなる。
「なんだ? 人の顔をじっと見て」
「相変わらず綺麗だなぁと思ってました」
「世辞をいっても何もでないぞ」
「分かってますよ」
 少しずつ氷が溶けていくのは良い傾向だ。月子ちゃんは人の中に自然と入り込んでくる素質を持っている。どうかこのまま琥太郎さんの抱えている氷山が溶けますように。そんな願いを心の中で唱えながら、温くなったお茶で喉を潤す。
「そういえば霞。もう一つ気になっていた事があるんだが」
「なんでしょう?」
 普段の飄々とした態度からは考え難い真面目な声と視線を向けられるのは居心地が悪い。琥太郎さんが気になるようなことをしたかとここ数日の己を振り返るが、浮かんでくるのは順風満帆の学生生活だけで、彼の気を引くような出来事は起こっていない。
「前に言ってたよな、そのうちここを片付けにくる人がくるって」
「……そんなこと言いましたっけ?」
「ああ、言った」
「仮に言ったとしても、琥太郎さんが率先して片付けをしない以上、第三者が片付けをすると考えるのが妥当でしょう」
 一般論を口に出すと、僅かに琥太郎さんの眉が吊り上がる。ああ、不機嫌なんだなぁと理解はするが、付き合ってあげる義理はどこにもない。
「それよりも、いいんですか? のんびりしてて。仕事たまっちゃいますよ」
「お前が手伝ってくれるか?」
「一般生徒に言う言葉ではありませんよ、理事長代理」
 偽りの笑みを浮かべ空になった湯飲みを洗うべく席を立つが……急に掛かった重力に危うく椅子を蹴り飛ばすところだった。
「危ないですね……何するんですか」
 私の片手を掴みながらこちらを見上げる琥太郎さん。男のくせに美人すぎるのも問題だとどうでも良いことを考えながら、少しだけ近づいた距離を詰めぬよう空いている手で机の端を掴む。
「霞……どうして、ここへ来た」
 言葉に滲む音に目を見開く。琥太郎さんの辛そうな声を聞いたのなんて、あの時以来だったのに……どうして。言葉を詰まらせた私に気付いてか、琥太郎さんは掴んでいた手を離し「悪い」と一言だけ音を漏らした。
「琥太郎さん」
 解放された手で彼の頬をなぞる。見た目どおり滑らかな肌に、あるはずのない涙の筋が見えた気がして、拭うように指先を動かした。
「くすぐったいぞ、霞」
 追い払うよう苦笑混じりに私の手首を再度掴む琥太郎さん。
「星月せんせ……あ」
 タイミングを見計らったように開かれるドア。
「え、あっ、そのっ!」
 扉の前で狼狽えるのは学園のマドンナ、月子ちゃんだ。
「ごっ、ごめんなさい、私――ッ!!」
「はいはい、狼狽えるのはそこまでね、月子ちゃん。まずは部屋に入ってきて?」
「あっ、う、うん」
 天然ボケが標準装備のお嬢さんは普段から色々先走る傾向にある。そんな彼女の言動にヤキモキしている幼なじみ組を見ているのは楽しいが、己が対象となるのは別問題だ。
「勘違いしてるだろうから言っておくけれど、星月先生が目に何か入ったかもって言ってたから見てただけよ」
「そうだったの?」
「そうだったんです。ね、星月先生」
「ああ、その通りだ。もう治ったみたいだ。ありがとな、春永」
 口裏を合わせてくれた琥太郎さんに微笑を向け、保健委員としての仕事をしにきた月子ちゃんの傍に移動する。
「月子ちゃん、今日は部活ないの?」
「これから行くところなの。あ! よければ霞ちゃんも見学に来ない?」
「ははっ、やめとけやめとけ、春永みたいな鈍くさい奴に弓道が出来るわけないだろ?」
 人が答える前に室内に響く笑い声。まったくもって失礼な人だと窘める視線を向ければ、隣から月子ちゃんが琥太郎さんの台詞を否定すべく援護しはじめる。穏やかな春という季節に相応しい雰囲気は、私では到底作り出す事が出来なくて……それが、少しだけ羨ましい。
「霞ちゃん?」
「ん? なに?」
 どこか不安そうに揺れる瞳を向けてくる月子ちゃんに微笑み返し、己の本音にそっと蓋をする。
 誰かの特別になりたいわけじゃない。何度も言い聞かせるように紡いだ言葉を思い出し、弓道部へお邪魔する為に月子ちゃんの仕事を手伝うことにした。
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