「……ねっむ……」
 窓から差し込む光に目を細め、一日の始まりに欠伸をかみ締める。寝起き特有の憂鬱さを吹き飛ばすよう臥所から跳ね起きれば、朝日を受けて煌く自身の髪。見慣れた色を一房つかみ、陽光に透かせば宝石のようにキラキラと光を反射する。
「……白い、な」
 一般人とは異なる色合いは何かと都合が悪い。かといってなってしまった色を嘆いても、昔所持していた色彩が戻ってくるわけでもない。
「分かってはいるけどさ」
 奇異な視線を向けられるのにも慣れた。
「あーあ、やっぱり朝って憂鬱だわ」
 光を反射する髪を無造作に掻き乱して、白蓮は冷たい床に足を下ろした。



「眠そうね」
 執務室への道すがら、珍しい相手と遭遇した。
「甄姫様」
「おはよう、白蓮」
「おはようございます、甄姫様」
 口元に手を当て優雅に笑う姿は絵になる。思わず見惚れていたら、「そんなに見つめられると恥ずかしいですわ」と悪戯心を瞳に宿した視線を投げかけられたので、慌てて視線を逸らした。その行動がまた面白かったのか、更に笑みを深くする甄姫様。
張コウ様といい、甄姫様といい、魏には綺麗な人ばかりだ。
「朝は相変わらずねぇ」
「はぁ、こればっかりは……」
「鬼神の如く執務をこなしている人間の台詞とは思えないわね」
 甄姫の言葉になんて返したらいいのか分からず、曖昧な笑みを浮かべる私の内心を読み取るかのように綺麗な笑みが送られる。郭嘉の文官をしているからかどうかはわからないが、武将の面々は良く声をかけてくる。余所者の上、身分の低い自分に構ってくれるなんてお礼を言わねばならぬ気分だと常々思っているが、実際は手放しで喜ぶ事の出来ない状況ばかりだ。
「ねぇ白蓮。良い茶葉が手に入りましたの。後でご一緒しませんこと?」
「はぁ……は!? わ、私が、ですか?」
「ええ、そうですわ。たまには女二人、色々お話したいのだけれど」
 小首を傾げる姿は犯罪的に美しい。諸手を上げて快諾したいというのが本音だが、今日は日が悪い。というのも急ぎの書簡が山のように……。思い出しただけでも欝になる。
「是非ご一緒させていただきたいのですが……」
「あら振られちゃったわ」
「ふ……そ、そんなことはありません!!!」
 慌てて弁解する私に「冗談ですわ」と笑みを残して、甄姫は回廊の向こうへと消えていった。
 まったくここの人達は気さくすぎて困る。回廊の中央で軽く腕を組みながら考える。主である曹操が実力主義だからかしらないが、身分という垣根をあっさり越えてくる人たちばかり。上に立つものはそれでいいかもしれないが、下っ端である己等はそうもいかない。声をかけてもらえるのは嬉しい。だが、それを良く思わない者も中にはいるわけで……。そういう人に見止められると後々厄介なのだ。
「はぁ……」
 自分に向けられている視線が無い事に安堵の息を漏らし、激務といえる作業をこなすため通いなれた室の戸を開けた。
「郭嘉?」
 日の入り込まない室内は、朝だというのに夜の気配を色濃く残している。まさか、また情事後か。咄嗟に思い眉を顰めた。相手の人がいたら気まずいと、そっと臥所へと繋がる扉を開けてみる。部屋が暗いためよくは分からないが、視界に映る小さな山から推測するに人が寝ているようだ。
 一人ならいいんだけど。内心で呟きながらじっと目を凝らす。
「郭嘉? 朝ですよ……?」
 小さな声を山に向ければ呼応するかのようにもぞもぞと動く気配。
 私の思いが通じたのか、山は一人分だったらしく安堵の息を漏らした。
「郭嘉様ー執務のお時間ですよ?」
「……」
「郭嘉!! いい加減起きて下さい!」
 決して部屋へと入らない私の前でゆっくりと伏せていた人物が身を起こす。焦点の定まらない瞳を周囲に向ける姿は「郭嘉」という人物像からは想像しがたい光景だ。
「寝起きの悪さは相変わらずですね」
 また夜遊びなさってたんですか? 何気なく問えば「いや」と掠れた声が否定する。
「郭嘉が殊勝なんて気持ち悪い……明日は槍でも降るんじゃないですかね」
「降るのは槍ではなく、弓矢だな」
 くつくつと喉を震わせる姿に、珍しく執務をしていたのだと理解した。
「熱いお茶淹れますから、それまでにはこちら側にいらしておいてくださいね」
「白蓮」
 踵を返そうとしたところを呼び止められ、首だけ振り返る。
「こちらへ来い」
「……嫌です」
「上官命令だとしてもか?」
 揶揄するような声に半目になりながら「それでしたら、最悪ですね」と今日一番の笑顔を贈った。

「まったく、懲りない人なんだから……」
「何がですかな?」
 ブツブツと呟きながら茶葉を蒸していた最中、突然掛けられた声に文字通り体が跳ねる。
「なっ……」
「これは驚かせてしまいましたな」
 申し訳ないと軽く頭を下げるのは張文遠その人だ」
「ちょ……張遼様!!」
 慌てて平伏する私に、頭を上げてくれるよう張遼が声を掛ける。
「そう畏まらないで下さい」
「い、いえ、そ、そのようなことは」
 実は張遼が苦手だった。というのも、根が優しいせいか、郭嘉の元にいるのを可哀想と思っているのか、張遼はよく私を気に掛けてくれている。恐れ多くもありがたく、また嬉しいものなのだが、武人である彼を尊敬している人は多い。特に若年層の間で人気のある張遼は遅くまで鍛錬に付き合っていることが多く、頼まれた竹簡を鍛錬所に届ける場合が多い。そこまではいい。問題はその後だ。
 何故か……反感を買うのだ。しかも若い男子に。一度友人がそれとなく探ってくれた事があるが、出た結論は張遼と嬉しそうに話しているから、というなんとも謎なものであった。おそらく上司と部下である自分達とは違い、気軽に言葉の応酬をしているように見えるのが妬ましいのであろう。
 気にすることは無いと友人は言うが、その話を聞いて以来なんとなく張遼を避けるようになった。誰が好き好んで憎まれたいと思うものか。
「郭嘉殿にですかな?」
「へ? あ、はい。あの方は寝起きが悪いもので……」
 気付けの意味も含めて熱い茶を淹れるのだと説明すれば、張遼がふわりと笑う。
「っ……ちょ、張遼様もお茶をとりに……なんて、ことはないですよね」
「いえ、そうですが」
「え?」
 武将である彼が手ずから茶を淹れるというのか? そんな馬鹿な。
「女官はどうなさったのですか?」
「おや白蓮殿はご存知ないのですかな」
 面白そうに口角を上げる張遼になんとなく嫌な予感がしたが「何をでしょう?」と努めて冷静に切り返す。
「私は女官を持たないのですよ」
「はぁ!?」
「なんとなく気恥ずかしいのですよ」
 この可愛いおじさんは何を言っているのだと、内心冷や汗を流しながら出た言葉は「よろしければ私が淹れましょうか?」だった。
 こういう時、生粋の配下気質が憎いと思う。
「お願いしても?」
「は、はい。少々お待ちくださいね」
 慣れた手つきで用意をはじめる私に、「貴女はいい文官でいいお嫁さんですね」と後ろから声をかけられ、入れるはずだった茶葉を盛大にばら撒いた。
その後、茶を持ってくるのが遅いと完全に覚醒した郭嘉に責められたのは言うまでもない。
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