忘れ物

 教皇の間に出勤したら、珍しく居るはずの二人が居なかった。なんでも星矢君達の聖衣のメンテナンスをするとかで朝から白羊宮にこもっているらしい。確か全ての修復をムウさんが一人で請け負ってるって前聞いたけど、何故星矢君達の聖衣をメンテナンスするのにシオン君と二人掛かりなんだろう?
 考えていても拉致があかないので、色々知っていそうなサガさんに聞けば、星矢君達の聖衣は女神の血を受けているとかで特別なんだそうな。
「なーるほど、それで朝から居ない訳か」
 しかもシオン君が居ないせいで、ほとんどの仕事をサガさんが処理せざるを得ない状況らしい。こっちはこっちでご愁傷様だ。
「メンテナンスか〜」
 そういえば今まで作業している現場を見たことがなかった。
「覗いてみよっかな」
 軽い好奇心を胸に抱き、与えられた分の仕事を速やかにこなしていく。
 ついでに私のもメンテナンスして貰えれば一石二鳥ではないか。我ながら良い考えだと自画自賛しながら、終わったデータを保存してパソコンの電源を落とす。
 そして、気付くのだ。
「あー……」
 何処にしまったっけ?



 結局目当ての物を探し出したのは、日が傾き掛かった頃だった。
 もしかすると、もうメンテナンスは終わってしまっているかもしれない。早足で白羊宮へと向かえば、中から聞こえてくる楽しげな笑い声に肩を落とす結果となった。もっと早く見つけていれば現場も見れたのに! 己の不甲斐なさに内心で悔し涙を流しながら、工房へと続く扉をノックしようとすれば。
「入って参れ沙希」
「あ! 沙希さん!」
 自動ドアもびっくりなスムーズさで、目の前の扉が開いた。
 サイコキネシスって便利だなぁ。
「今晩はーメンテナンスしてるって聞いて来たんだけど、遅かったみたい」
「一刻ほど前終わったところですよ」
「残念だったな、沙希さん」
 苦笑混じりに言う紫龍君に肩を竦めてみせれば、何か御用ですか? とムウさんが聞いてくる。
「家電製品でも壊れたんじゃねーの? 沙希さん不器用そうだしな!」
「ちょっと星矢!! 失礼じゃないか!」
 星矢君の失言を窘める瞬君を見ていると、妙な気分に陥る。彼が……あれの入れ物になったと思うと……。信じがたい。
「あはは、いいよ別に。トースターが壊れそうなのは事実だしね」
「沙希よ、悪いがトースターは見てやれんぞ」
 シオン君なりのからかいのつもりなんだけど、ツッコミがいが無い程面白くないよ。やはりご年輩に面白おかしいギャグを求める方が無理なのか。
「まったくもぅ。ついでにメンテナンスしてもらえればなーと思っただけなの。ごめんね」
 私の発したメンテナンス、という言葉に二人の守護者の目が光る。
 彼等の発する異様な雰囲気に当てられたのか、あの星矢君までもが口を噤んだ。
「沙希メンテナンスとは……何をです?」
「モノによっては引き受けてやらんこともないぞ」
 言葉こそ丁寧だが、持っているものを見せろと視線が訴えている。
 どうやら私は、この二人の職人魂を揺さぶってしまったようだ。
「さ、沙希」
 笑顔で片手を出してくるムウさんが、ほんのり黒く見えるのは気のせいだろうか。背筋を伝う嫌な汗を感じながら、私は酷い失言をしてしまったのではないかと軽く後悔した。
「え、えっとね? そのシオン君達が言う聖衣、ってやつ……ではないんだけど……」
「ほう?」
 というか記憶の中にああいうごてごてしたの着た履歴がないし?
 元々戦闘に関わる事を前提にされてないから、聖衣に準ずるものはないのかもしれない。
「これなんだけど」
 代わりに差し出すのは、一つの古ぼけた本。錠の施された分厚い辞書のようなそれは、今にも金具の部分が取れそうになっている。
「なんだこれは」
 差し出した本を凝視する二人の姿は、何か恐ろしい。
「金具が取れ掛かってますね」
 取ってみましょうか。と物騒な事を言うムウさん。
「きったねー本だなぁ……沙希さんちゃんとしまっとけよー」
「返す言葉もございません」
 異空間にほっぽりなげてあったなんて、言えない……。
「……取れないぞ」
「ちょっ! シオン君何してるの!!」
 力任せに金具を引っ張るシオン君を窘めれば、再度取れんと呟く。全く人の物に何しちゃってんのこの人達!
「取れたら困るから修理御願いするんでしょ!」
「ほう……」
「取れてはならないのですか」
「うっ」
 火に油を注ぐとはまさにこのこと。どうにかして金具を外そうとする二人の気が済むのを待つこと、更に数十分。
「……直せば、満足か」
 そこにはふて腐れたシオン君と、穏やかな笑顔のまま黒い空気を醸し出すムウさんがいた。
「お、御願いしたい……です」
 当初の目的が果たせた頃には、空に月が。
「しかし直すと言いましても……」
 本の表紙は傷みきっていて今にも剥がれてきそうだし、普通の金具を修復する材料は無いとムウさんは言う。
「アテネ市内で代わりのものを購入したらどうだ」
 すっかりやる気を無くしたシオン君は、床に寝そべっている始末。
「んー……材料は多分聖衣とかと似たようなものだと思うんだけど」
 記憶を辿ってみても、修理したという情報は無い。
 見た目はただの錆びた銀ぽいし。
「沙希、お主聖衣を馬鹿にしておるのか?」
「違うってば! 本当に大事な物なの、それ」
「まぁまぁシオン。取り敢えず直してあげましょう」
「フン」
 拗ねたシオン君は、扱いづらい、と……。
「直してくれたら、お礼するから! ね?」
 上目遣いで御願いすれば、こちらを軽く一瞥した後、シオン君はムウさんの手から本を奪い取った。なんとも大人げない。
「聖衣と同じだとすれば、修復にはそれ相応の代価が必要ぞ」
 修復の代価、それはすなわち血を与える事を意味する。
「うっ」
 注射とか、苦手なんだけどなぁ……。
 頼んだ手前渋ってもしょうがない。道具を揃えて戻ってきたシオン君から、小さなナイフを借り左手の人差し指をほんの少しだけ切った。
「…………沙希……」
「だ、だってしょうがないでしょ!!」
 ばっさりと切る聖闘士達とはつくりが違うんだから! じんわりと滲んでくる血に顔を顰めながら抗議しようとしたが、また馬鹿にされそうなので無理矢理呑み込んだ。
「痛いぃー」
「ほんの少しの我慢ですよ」
 指の上に滲んだ赤い球体が、ぽたりと壊れた金具の部分に落ちる。
「え?」
「なっ!」
 まるで巻き戻し映像を見ているよう。指から落ちた雫が触れた部分から、急速に状態が回復してゆく。破損の酷かった表紙は、真新しい皮を纏い、今にも取れそうだった金具は鈍い光沢を持って傷一つ無い状態に復元する。結局シオン君達に修復してもらう前に、本は勝手に新品状態になってしまった。
 どうりで修理した記憶が無いわけだ。まさか自分の血で元に戻る本だったなんて。
 一つの疑問が晴れた事で、消沈していた気持ちが浮上する。
「ごめんね、シオン君にムウさん。無駄に時間ばっかりもらっちゃった……みたい、…………な、なに?」
「沙希」
 本を抱える私に向けられる、嫌な視線。
「礼をすると言ったな」
「え? まぁ……修復してくれたら……て意味で、言ったけ、ど……」
 じりじりと間合いを詰めてくる二人から逃げようと、星矢君達に助けを求めようとすれば……いつのまにか居ないし!
「沙希よ、少しばかり置いていけ」
「な、何を!?」
 主語の無い台詞がこんなにも恐ろしいと思ったことは無い。
「ほんの少しの我慢ですよ」
「!?」
 一語一句違わない台詞が、全く違う色を持って工房内に響く。
「一リットル……いや、五百……二百で許そう!」
「え、ま、まってってば……ぎゃあああああ!!!!」
 ここは強制献血センターか!!
「往生際が悪いですよ!」
「いやです!!!」
「怖れる事はない。沙希」
「そんな格好いい声で言っても駄目!!!」

 工房内で追い回された挙げ句、半壊状態まで陥った白羊宮からなんとか抜け出したが、その後当分の間私の苦難は続くのであった。

 教訓。好奇心は猫をも殺す。諺に偽り無し……。
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