Shooting Star 15

 模擬試験を終え、俺と大地はいつかの地下鉄へと足を踏み入れていた。
「なーヒビキ。ぶっちゃけお前どうなのよ」
「どうって何が?」
「だからさ……怖くね? 此処」
 全ての基点となった事件は今でも胸の奥に暗い影を落としている。あの時、平和だった日常を取り戻すという願いは受理されたのだが、一つおかしな点があるとすれば、俺や大地にあの八日間の記憶が残っているということだ。
 ポラリスと呼ばれていた世界の管理者は、回帰した世界を選ぶ事は過去の自分達に上書きされる事を意味するので、八日間の記憶は疎か下手をすると自我すら危ういと言ってはいなかっただろうか。
「そうだな」
 怖いと感じるのは自分も同じだと大地の言葉に同意し、手元の携帯に視線を落とす。
 死に顔動画配信サイトであるニカイアは存在せず、悪魔という人智を越えた化け物も存在しない。普通の人が知る平和な日常に戻って来れたのだと喜ぶべきなのに、大地との間に空いた一人分の空白が胸の奥をちくりと刺す。
 いつも三人で馬鹿をやっていた。大抵の場合悪のりした大地と彼女を自分が止める役だったけれども、今は快活な笑い声が足りない。
「おっ、見ろよヒビキ、新田しゃんだ!」
 ホームの中腹に佇む維緒の気を引くよう大地が手を振ると、こちらに気付いた維緒が微笑を浮かべ歩み寄ってくる。
「久しぶり……であってるかな」
「ってことは新田しゃんも覚えてるんだ」
「そうみたい」
 困ったように眉根を寄せ無理矢理笑みを作る姿は見ていて痛々しいが、以前とは違い維緒にも強い芯が通ったように感じる。誰しもがあの一週間の中で悩み、迷い、成長し、回帰した後の世界で少しだけ前向きに生きている。これはきっとあのポラリスでさえ予測出来なかった事に違いなくて、全員が前向きな思考を持てればこの世の中もゆっくりだが良い方向に動いていくだろう。
「あっ……その、聞いてもいい?」
「ん?」
「えっと……琉依ちゃんは……?」
 里帰りすると笑って別れた彼女だけが、この世界にいない。
 悪魔の存在しない世界で、悪魔というカテゴリに属す存在だった彼女は、もう――。
「何処かに、いる」
 例え姿が無くとも自分達が覚えていれば、それは琉依という一人の人間が居た証になるだろう。
「琉依の事だから、きっとその内ふらーっと出てくるって、な!」
「きっとね」
 信じる事が力になるのだと自分達は知っている。だから、後は待つだけなのだと笑い合い、あの日壊れた世界の今を確認する為三人で渋谷へと繰り出すことにした。




 人気のない公園のベンチ付近に、人形のような青年が立っている。
 漆黒のコートは白い肌と色味のない髪をより一層引き立て、作り物めいた美しさは冷えた空気を従えていた。もし美術に携わる者が居たら、彼を含めた一部の空間を切り取り、永遠に保存したいと願うに違いない。
 ただ、残念ながら彼を視認出来る距離にいるのは私だけで、これまた残念なことに私に彼の美しさを永遠に止めたいと願う心は備わっていなかった。
 限られた時間の中で生命を燃やす人間という人種は美しい。生き急ぐかのように、流星のような輝きを放つ魂は私達の眼を惹きつけて止まない。元来美しいものが大好きで、惹かれざるを得ない性癖を有している私達が彼に目を付けるのは当然で、他の誰かに獲られてしまうくらいならばと手を差し伸べたのはいつのことだっただろうか。
 宝石のような存在の傍に居る為に必要な枷を、鬱陶しいと思ったことは一度もない。ただひたすらに愛で慈しみ、決して悟られぬよう一方的な感情を心の奥底に仕舞い込んで彼の命が尽きる瞬間迄傍に居られたら、それはなんて幸せな事なのだろう。
 彼の命が潰えたら私の命も此の世界から消失するけれど、この関係性は悲恋には当てはまらない。
 彼と契約を交わしたあの日から、緩やかに流れ出した時間は貴いもので、永遠と呼ばれるモノをいくら積み重ねても彼の前に置いた瞬間それらは色褪せる事だろう。
「こんばんは」
 夕暮れ時の公園で立ち続けている彼に話掛けてみるが、相手はこちらを一瞥しただけで引き結ばれた口を開くことはしなかった。
 貴方と同じものになりたくて、総てを捨てた。それは総てを取り戻した今でも変わらない。
 沈み征く太陽が淡い色彩の髪を照らして、さながら夜空に輝く星のようだ。
「さっきからずっと立ちつくしてるけど、ジプスには帰らないの?」
 至極当然の問いを口にしても相手からの反応はなく、本当に作り物なのではないかと疑ってしまったほど。
「生きてるよね?」
「…………」
 話掛けても反応が無いのは正直寂しい。どうすれば彼が反応を返してくれるのかと悩む事数分、自分が名乗っていないことに気付き、彼との距離を詰めながらゆっくりと口を開いた。
「私、琉依っていいます。怪しい者ではありません。だから――ヤマト。貴方の声を私に聞かせて?」
「馬鹿者が」
 数歩の距離で立ち止まったにも拘わらず、腕を引かれ大和の方へと倒れ込む。痛いくらいに抱きしめてくる力が心地好いと手触りの良いコートの背に手を回し、あやすように軽く叩けば耳元で私の名を呼ぶ大和の声が聞こえた。
「何十年も離れていた訳じゃあるまいし……たったの数日でしょ? ね、ヤマト……心配した?」
 寂しかったかと聞くのは彼のために止めておいた。常に他者を寄せ付けず孤高を良しとしていた彼の心に踏み入ったのは、他の誰でもない私。そのせいで彼に欠点が産まれたとあれば、空いた穴を埋めるのが私の仕事だろう。
「勝手をするなと言ったはずだが」
「うん、聞こえてた」
「私から離れるなとも」
「ちゃんと覚えてるよ」
 人間の男に恋をした、愚かな悪魔の本気を嫌と言うほど教えて上げるから。
「笑ってよヤマト。貴方は不遜な笑顔で武装してる方が似合うよ」
「なんだそれは」
 僅かな隙をぬって大和の頬に両手を添える。滑らかな肌は陶磁器のようで、いつまでも触っていたい気分に陥るが、今は我慢だと自身に言い聞かせ様々な感情が滲んでいる目尻にそっと指を這わせた。
「あなた、流れ星みたい」
 艶やかに命を燃やし自己主張をするから、暗闇の中に居ても目で追ってしまう。
「それは君の方だろう」
 天から地に堕ちた一番星を流れ星と称されるのは、悪い気はしない。だって、それは彼と同じものだから。
「じゃあお揃いね」
「そうだな」
 苦笑しながら背伸びをし薄い唇に触れると、大和が笑う。
 冷えた体に身を寄せると互いの心音が混ざり合うような錯覚を得、気分が良くなった。
 本来許されざる事を現在進行形で堪能出来ているのは、私と「あの人」の存在意義ゆえだろう。ヒトという存在が好きで、ヒトに知恵を与え、ヒトと共に歩む未来を夢想した。その結果として地底深くに堕とされたあの人と、死の呪いを掛けられた私。
 限りある時間を己の為に使うのは自由だとあの人が言ったから、私は今こうして地上で輝く星の元に居ることが出来る。
「やっぱり運が良いなぁ、私って」
「何を今更」
「だってそうでしょう?」
 もう一度キスをして、近い距離にあるグレーの瞳を覗き込めば、きらきらと輝く光が胸の内に降ってくる。
「普通は無理だもの」
 手を伸ばし続けても、天を彩る宝石は人類を顧みない。知恵を結晶し暗い大海へ挑んだとしても、待っているのは生命を脅かす無慈悲さだ。
 そんな一握りの選ばれた存在しか触れることの許されぬ輝きを手にしている現実を、運が良いと言わずになんと言えば良いのだろう。
「ね、ほら……」
 輝きは衰えることなく互いを捕らえ、消えることはない。


 こうして、人と魔が混ざり合う黄昏時に――「わたし」は星を、手に入れた。
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