蕾が花に変わる、そんな些細なこと。
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「ねぇなまえちゃ〜ん、このあと暇?」
『暇じゃない。超忙しい』
「え〜、嘘だぁ!さっき、帰ったら溜まってるお皿洗いするだけって言ってたじゃ〜ん」
『…………』
やけにベタベタ触ってくる嶺二の手を振りほどこうとするけれど、抵抗しようとしたらがっちり肩を抑えられてしまった。もはや、何も出来ずにされるがまま。嶺二はわたしの肩に顔を埋めて、なまえちゃんいい匂い〜とかなんとか言っている。
今日の撮影が伸びて、昨日から徹夜で仕事している嶺二は、かなり疲れきっていた。そんな彼が、「なまえちゃん、ちょっと付き合ってくれない?」と連れてきたのは、居酒屋だった。いつもなら面倒くさいから断るところだったけど、なんだかんだプライベートでもお世話になっている嶺二のために愚痴くらい聞いてやろう、と了承してしまった。
わたしは今、そんな自分に激しく後悔している。
『ちょっと嶺二、酒まわるの早くない?』
「え〜そうかなぁ〜?僕ちんまだまだいけるよ〜」
『……ちょっと、危ないからコップ持たないで……あっ』
案の定グラスは嶺二の手からするりと落ちて、嶺二の服に染みを作った。赤い顔でぽーっとそれを見る嶺二。彼らしくない。一体どうしたっていうの。
『言わんこっちゃない……ほら、帰るよ』
「え、もう帰るの?やだやだ寂しいよ!なまえちゃん行かないで!」
『うるさいな、家まで送ってくから!』
強引に手を引っ張って、店を出た。会計は嶺二が先にしていてくれたらしい。吹き付ける風は、火照る体をさましてくれる。冷たくて気持ちいいな。
『歩けば、きっと酔いもさめるでしょ』
「だから、僕は酔ってないってば〜」
『相変わらずしつこいわね。何かうまくいかないことでもあったんでしょう、酔いがさめたら聞いてあげるから』
わたしがそう言うと、微かに嶺二の肩がぴくりと震えた。伊達に同期で仕事してきてないわよ、わたし。こう見えても、嶺二のことは他の人よりはわかってるつもりなんだから。
「…………」
『ほら、あと少しだから』
「……ほんと、のんきなもんだよねぇ」
『ん?』
「いや、何でもないよ〜」
先程から変わらず呂律のまわらない嶺二だけど、ぎゅっと力を入れられた手に、わたしは少しだけ違和感を覚えた。何の、と言われると、わからないけれど。なんだか嫌な予感がするというか。なんだろ。
冷たい風を浴びながら黙って考えていると、いつの間にか嶺二の住むマンションまで辿り着いていた。部屋の前で鍵をまさぐる嶺二を何気なく見つめていると、ふとある考えが浮かんだ。
こいつ、本当に酔っているんだろうか。
「……よし、なまえちゃん入っていいよ」
『…………』
「ん?どーしたの?」
『……わたし、帰る』
「え」
何で、という声と共に、嶺二はわたしの手を掴んだ。何でって言われても、理由なんてない。ただ何となく嫌な予感がしただけだ。
何も答えないわたしの背中に、嶺二はさらに言葉を重ねた。
「……僕の悩み、聞いてくれるって言ったよね?」
『…………』
「……なまえちゃん?」
『……はい』
「なんでいきなり帰るなんて言ったの?」
『……だって嶺二、酔ってるように見えないんだもん』
「…………」
嶺二の瞳が、一瞬光った。そして次の瞬間、わたしの視界に映ったのは、不敵な笑みを浮かべた嶺二と、彼の部屋へと続く白い壁だった。