[食事風景](8937:成人パロ)





「出来ましたよ。」
「あぁ、分かった。」
柳生の台詞をきっかけにソファーに座っていた真田が読んでいた新聞を畳んだ。時計は普段と同じく19時を指している。
ローテーブルに新聞を置き、真田は今晩の献立を確認する。長皿に乗った焼き魚1つと小鉢が2つ、そして椀物が1つ。いつも通りそつのない構成に、ふむと納得する。
腕まくりをしつつキッチンへ向けて、手伝うがと真田が声を掛けるものの返答は無かった。シンクの中で何かしているところを見ると、洗い物だろう。真田は立ち上がり、ダイニングテーブルの横を通り過ぎて台所へ向かう。
手早く洗われていく調理器具が次々と籠の中に重ねられていく。勢いのある水が泡を払い流れていく。その賑やかな音のせいで柳生への呼び掛けが聞こえてないようだと把握した真田は待つことにした。
視線を固定させたまま、腕を組み左半身を壁に寄り掛からせる。見ると柳生は最後の洗い物に入ったところだった。
既に泡を纏っている行平鍋が水を跳ね上げる。銀の鍋肌に透明が滑り落ち、シンクの中に白が広がっていく。淀みなく動く柳生の手は持ち手から底の裏、そして内側へと絶え間なく水道と鍋を踊らせている。無機質と交わる指先のさまに、真田はふと目の前の相手の家業を思い起こす。
十二分に泡を落とし終えたのち、柳生は水道を止め、軽く鍋を振る。3度ほど水気を切ったところで棚の横に作られたフックに柄の穴が空いた場所を引っ掛ける。そして片隅に置いていた布巾で、シンクの縁に飛び散っていた水滴を拭き取り、はぁと一息吐いた。
ようやくかと真田は身体を起こし、食器棚の引き出しを開ける。2人分の箸と箸置きを取り出し、再び柳生の方向へ振り返る。
柳生は石鹸で手を洗っているところだった。先程とは密度の違う泡が骨張った手に絡み付いている。まるで雲のような柔らかさを味わうように全ての指の根元から先・手首に到るまで入念に洗う柳生の姿はよく見るものだった。
先にダイニングへ戻る。定位置に七宝の箸置きと漆塗りの箸を置き、入口に近い席へ着く。すると塩を含んだ香ばしい薫りが鼻先すぐを漂い、真田の腹が反射的に音を鳴らした。
それから少し遅れ、柳生が椅子に座った。目が合い息が揃ったところで、両手を合わせる。

「「いただきます。」」

2人が箸を持つ。小鉢の中身は里芋の煮物とドレッシングの掛かった野菜サラダ。それを見た瞬間、煮物に伸ばしかけていた真田の手が止まった。
柳生は和食を好んで作っている。一汁三菜かつ栄養価も計算尽くしたバランスの良い食事は柳も認めるものだ。
そして勿論そのバランスの良さは内容だけでなく見た目も含めての評価。器も色合いも統一感が出るようにしている、筈なのだがと真田は柳生を見た。

サラダだけが浮いている。

レタスとプチトマトと白いドレッシング。色鮮やかな黄緑と赤の上には白い液体が円を描いている。器も周囲の白磁器ではなく、ガラス製だった。
勿論予め『自分が食べたいものがあれば遠慮せずに作る』と取り決めてあることから、不思議ではないといえば不思議ではない。だが周囲との調和を第一とした普段の性格や行動からすると、やはり不思議になる。
「柳生。」
既に箸をつけていた柳生はその声に顔を上げる。食事中に話すことは少ない真田から名前を呼ばれたとあって多少驚いてはいるものの、質問の内容は大体理解しているようだった。
箸を置いて視線を下に向け、左手で口元を隠しながら、急いで口の中の物を飲み込む。そして真田の方を向き直り、返答をする。

「今日の食事から考えるとミネラルが足りませんでしたので。」
「…そうか、分かった。」

ようやく真田は手を動かす。左手で煮物の入った小鉢を取り、右手の箸で里芋を一つ食べる。
噛み潰すとねっとりとした里芋独特の粘り気が歯や舌に絡まる。煮崩すことも繊維が固いと感じることもない、程よい柔らかさ。鼻を抜ける匂いに芋の様子はなく、仄かに醤油と甘さが入り混じった香りがした。
旨い、と真田は考えつつ、続いて人参やサヤインゲンを食べる。どこか心落ち着く味はいつも通りのものだ。さて、と手に持っていた小鉢を置き、真田の視線はもう一つの料理に向けられる。
ガラスの器を手に取る。先程の陶器とは違い、どこか肌に合わない冷たさを感じるものの、真田は中身が冷たいせいだろうと考えることにした。
不揃いに切られたレタスを箸で持ち上げると、掛かっていたドレッシングが一滴下へ落ちる。案外粘度はないのか、と思いつつ、口の中にそれを入れた。

ふと真田は視線に気付く。唇を閉じて咀嚼をしながら、真正面を見た。
柳生は両手をテーブルの上に置いたまま、真田が食べる様を見つめているようだった。いつものことながら眼鏡の逆光で表情はよく分からない。
しかし怒っている訳でも落ち込んでいる訳でもない。一番近いといえば、何かを観察しているような視線だろうか。目を合わせたまま真田も小鉢と箸を置く。

「……何か用か。」
「いえ、別に何もありません。」
1度目のレタスを食べ終わった後に問う。それに対する返答にも何ら違和感はないものの、真田は首を傾げる。
柳生がふとした瞬間に動作を停止させて自分のことを見ていることはままある事だが、食事中に止まることは少ない。現に今も声を掛けた途端、思い出したように箸を手にしている。よく分からん奴だ、と真田は再度野菜サラダを食べる。
先程は分からなかったが、ドレッシングはどうやら酢をベースに作られているらしい。白いと思ったのはチーズから来ているようだと味を確かめたところで、舌のざらつきに気付く。
何かが砕かれて入っている。大きめの欠片を噛むと、独特のえぐみと油分の多い木の実の香りが口の中に広がった。クルミか、真田は納得する。
謎のサラダの正体が判明したところで、器を置く。主菜は程よい大きさの魚が塩焼き。切り身でなく、頭から尾まであるものの、真田はその魚の顔に見覚えが無かった。
見開かれた目は身体とアンバランスなまでに大きく、口は大きく先が尖っている。一度見れば忘れないような魚だが、記憶に無いということは食べたことが無いのだろう。取り敢えずと、真田の箸が身に入る。
その瞬間質の良い油の匂いが漂う。淡泊であることの多い白身魚で、これほど香り高いものは今の時期でもそうそう出てこないだろう。口の中の唾液を一旦飲み込みつつ、骨から身をほぐし、一つまみ口にする。
旨い。噛むごとに湧き出る味は華やかでありながらくどくなく、また粗塩により引き出された甘みは舌に淡い彩りを残していく。
久々に魚らしい魚を食べたと感じた真田は思わず感嘆の息を漏らした。するとそれを気付いた柳生が口を開いた。

「今日は本かますの塩焼きにしてみました。」

貴方が日本に居られるのは短いですから。そう付け足した柳生の表情は優しく、真田もつられて微笑みを見せる程だった。
「本かますか。聞いたことはあるが初めて食べたな。」
「折角ならば美味しいものを貴方に召し上がっていただきたいと思いまして選びました次第です。」
「うむ、旨いぞ。流石『かますの焼き食い一升飯』と言われるだけある魚だ。無論そんな魚だからこそ塩梅が難しいと思うのだが。」
真田が言葉を切り、調理した本人の目を見る。水を向けられた柳生はいやいやと否定するものの、その口元には笑みが浮かんでいた。
「魚本来の味が美味しいだげで、私は特に何も」
「そう謙遜するな。あぁ、後このサラダなのだが」

ひくり、と柳生の動作が止まった。真田がその様子の変化に気付き言葉を止めると、柳生は取り繕うようにわざと明るい声になる。
「さ…サラダがどうかされましたか?」
何かに怯えている風な柳生に真田は困惑する。その時ふと、先程の問い掛けを思い出し、サラダを見る。
煮物に焼き魚、すまし汁といった献立の中のサラダ。最初は違和感があったものの、今は違う。
確かに目に見える具材を考えると、サラダが無ければビタミンやミネラル類が足りない。使われている器も、白磁器の清廉さを邪魔することなく調和している。あの質問が不味かったか、と内心真田は気落ちする。
「いや、このドレッシングも旨いと言いたかっただけなのだが…」
お前の献立に文句を言うつもりなど毛頭無い。そう言い切るとようやく柳生の表情が和らぐ。勘違いが解けたようだと真田は安堵の息を零す。
だが柳生はすぐに口籠もっていた様子を見せた。サラダのことを気にしていたのではないか? 真田は柳生の思考回路が読めず、思わず首を傾げる。
「どうした? まだ何かあるのか?」
「いえ、あの…そのドレッシングは私が作ったものでして…」
ますます真田は首を傾げる。自分でこんなに手の込んだドレッシングを作ったのであれば自賛しても良いほどだろうに、何ゆえそんな怯えた表情になるのだろうか?
そもそも短い期間ながらもほぼ毎日2人分の食事を用意している相手を称賛こそすれ不服と思うことなど天地が逆さになっても有り得ない。ましてや、自分の好みや普段の状況を知った上で献立を組み立ててくれている恋人には最早敬服せざるを得ない。真田は考えをまとめ、口を開く。

「お前の作る食事はどれも旨い。献立から味、食器に至るまでどれも完璧だ。だからそんな顔をするな。」

お前が俺のことを思って栄養素やカロリーを計算していることや、見栄えがよくなるように下拵えから盛り付けまで計算づくで調理していることも分かっている。続けてそう言おうとしたが、それは少し自惚れ過ぎかと自制し、真田は柳生の瞳を見つめる。
出会った頃からあまり変わらない銀縁の眼鏡はいつものように逆光して目は見えないが、それでも自分が見つめているのは伝わっている。見つめ返されているのも、分かる。
しばらくお互いそのまま無言で居たものの、柳生が先に折れ、目を閉じて深く息を吐いた。緊張の糸が解け、真田も思わず同じように深呼吸をする。そして再度目が合い、今度はどちらともなく微笑む。
「そうですね、折角貴方に賛辞を頂けたのですから有り難く承ることとします。」
「相変わらず大袈裟な奴だな。」
「そんなことありません、真田君がここまで言われるのは珍しいことですから。」
「…感謝の念は常に言っておるつもりなのだが。」
「真田君はそれを口に出されませんから。」
まぁそこが好きなんですけどね。そう言って本かますの塩焼きを食べる柳生を、真田は鼻で笑う。
お前も相当に盲目だなと呟くものの、その表情は満更でもないと雄弁に語っていた。



[Fin.]
※閲覧注意?※
後片付け([食事風景]の種明かし編?)


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