‖朱桜司という男 朔間は昼間動けないという事で、夜になるまで名前の家で過ごすことになった。その間、彼女は仕事に行くことにしたのだが。 「お姉さま、お疲れでしょう。今日はお休みになられてください」 司が、気遣わしげな顔をして名前を引き留めてきた。 その少年らしい気遣いに感謝しつつも、名前は微笑んで首を横に振った。 「ありがとう。その気持ちは嬉しいけど、でも急にお休みなんてできないし」 「お勤め先は、朱桜家でしょう?」 「あ、よく分かったね」 「はい。ですから、お休みしても大丈夫です」 「……??」 どういう意味だろう。名前がこてんと首を傾げていると、司はにこりと笑った。 「私の名前は、朱桜司と申します」 * 彼が打った電報により、本当にあっさりと休暇を貰えてしまった。 まさか……まさかあの夜出会った陰陽師が、私の職場の御曹司でした、なんて! こんな偶然が起こってしまうのだから、人生何が起こるか分かんない。 ――いや、家に吸血鬼を泊めていること自体が、もう色々とおかしいのだけれど。 現在、私と零さん(昼のうちに、名前で呼んでおくれと言われたので表記を訂正しようと思う)と司くんは、煉瓦街の外れ、山の中腹にある豪奢な西洋屋敷の前に立っていた。 司くんの家――朱桜家の新居よりも古めかしく、数十年は経っていそうな石造りの家だ。もしかすると、江戸の頃にできた大使館……なわけないか。こんな山奥にあるはずもない。 「さぁ、入っておくれ若人よ。ここが我輩の――異郷からのあやかしの住処、根城じゃ」 そういうと、零さんは重たそうな扉を開いた。深紅のカーペットが入り口から広間、そして正面の階段に繋がっている。まるで噂に聞く鹿鳴館のような華美な場所だ。現実味がないほど、日本らしくない。 「ここに、日本生まれの神が住んでいるのでしょうか……」 「くっくっく。まぁ、そう思うのも無理はなかろうが……何、ペットじゃと言うておろう?」 「Pet? というと、猫又ですか? いやでも神ではないし……」 「あ、狗神様とか?」 私がそう口にした瞬間、急に階段の方から突風が吹いてきた。髪を抑えながら振り返る。階段の方に窓はない。代わりに在ったのは、 「誰が飼い犬だ、クソ吸血鬼ヤロ〜」 銀髪の美青年だった。 彼に重なる影のように、美しい白銀の狼のような姿が一瞬映る。人ではない、と一発で本能が察知するような感覚だ。……これが、『見鬼』の力なのだろうか。 不思議に思いながら、美しい青年をぼんやりと眺めていると、相手側も私をじっと見返してきた。白銀の髪に、黄金色の瞳。神々しいまでの色味をしている。見つめてくる目は、猟犬さながらの鋭さだ。それでも、怖いなんて顔をするのは失礼にあたるだろうと考え、少し頑張って微笑みを浮かべた。 「テメ〜、名前はなんつーんだよ」 「名字名前です。えっと、狗神様……で合ってますか?」 そう尋ねると、青年は少しくすぐったそうな顔をしてふいッと目を反らした。 「そりゃあ種族の名前だろ〜が。テメ〜は出会う人間に『人間様ですか?』って聞いてんのかよ、ちげえだろ」 「え、そうなんですか?」 「嬢ちゃん、我輩も吸血鬼じゃが、おぬしに『朔間零』と名を告げたであろう。要するに、あやかしや神にも人間と同じく『名前』があるのじゃよ。わんこは、名前を聞いてほしいと鳴いておるわけじゃ」 「鳴いてねえ!」 がるる、と唸り声のようなものを上げて怒っている姿は、なるほど犬らしいが。とにかく、私も彼のお名前を知りたい。 「じゃあ、お名前を聞いてもいいですか?」 「あ、ああ。俺は大神晃牙……って名前だよ」 「晃牙様?」 「っ、うがああ! さっきから敬語だの様付けだの、やめやがれっ!」 「ひえっ!?」 突然ぽこぽこと怒り出したので、とっさに司くんの後ろに隠れた。ど、どういうことだろう? なんで怒ってるの? 「だって神様だから……」 「ああ? うるせーよ、俺はそういう堅苦しいの嫌いなんだよっ! いいから普通に話せ! 様もつけんな!」 「そ、そんなあ」 神社で神様に手を合わせる文化圏の人間に殺生な。と思いながら、縋る思いで零さんを見る。彼はけらけらと笑い、私の頭をポンと撫でた。 「わんこのしたいようにしてやってはくれぬか? 我輩も、おぬしには名前で呼んで貰いたかったからのう、気持ちも分かるのじゃよ」 「ほ、ほんとに良いのかな……司くんはどう思う?」 「私ですか。ふむ……もともと異人さん、つまり良いあやかしは人間に友好的な者が多いのです。神はあまり目にしたことはありませんが、彼らも元を正せば人間とつながりの深い者たち。友好的な類が居ても、可笑しくはないでしょう。それに彼、狗神でしょう? 犬の性質を持つ以上は、人間の貴方に好意を持ってもおかしくはないはずです」 零さんと司くんの見解は、別に問題ない、ということらしい。私たちをじーっと見ていた晃牙様……を見ると、どこか寂しそうにしている。垂れ下がる犬の尻尾が見えた気がするのは、私の幻覚だろうか? 「……えっと、晃牙様」 「んだよ……」 「晃牙くん、じゃダメ?」 「!」 ぱぁ、とその顔が輝いた。神様ならば私よりずっと年上のはずなのに、可愛い年下の子供のように錯覚しそうなほど、純粋な笑顔だった。 「しょ、しょ〜がねえなぁ! 俺様を呼ぶ栄誉を許してやるよっ!」 「うん。ありがとう。よろしくね、晃牙くん」 神様が居るっていうから、結構緊張していたのだけど。良い意味で想像と違って良かったと思う。 「さて……わんこに気に入られるという第一関門をあっさり突破した名前よ。当初の目的に移ろうぞ」 零さんがそう言った。ああ……そうだった、私は晃牙くんに『審議』をしてもらう目的でココに来たんだった。 「ああ? 吸血鬼ヤロ〜の客かと思ってたんだが、俺様に用事か?」 「うん。あのね……ちょっと気になることがあって、神様の晃牙くんに相談しろって、零さんに言われたの」 神様と関係を持っているのか、いないのか。 まったく自覚のない、その大問題。それを素直に、ありのまま晃牙くんに伝えると、彼はすっと金色の目を細めた。 「……ちょっとついて来い。吸血鬼ヤロ〜と、そこの陰陽師は、別の部屋で待ってろ」 「なっ! お待ちください、司も一緒に……」 「ああ? 俺がこいつを番にするんじゃないかって心配してんなら的外れすぎんぞ。誓ってやってもいい、俺はこいつに手ェ出さねえよ」 「で、ですが……」 「心配するでない、陰陽師くん。わんこは躾が行き届いておらぬ節もあるが、女子供には……いや、人間には危害を加えぬよ」 零さんの言葉の通り、晃牙くんはすごく真っすぐなひとだと思う。少なくとも、こんなに真正面から見つめてくる子が、嘘をつくとは思えなかった。 「私は大丈夫。司くん、待っててくれる?」 「…………、わかりました」 どっちにせよ、彼を頼らなければ真実は知り得ないというのなら。私は、晃牙くんに賭けるほか選択肢はないのだから。 だったらせめて、誠意をもって晃牙くんにお願いしたいのだ。 [*前] [次#] [戻] |