episode 2
プロローグ
朔間先輩を追いかけているうちに、『それ』は自然と目に入った。
夢ノ咲学院・アイドル科。入学するまでは分からなかったが、実際学院は腐敗していたし、朔間零を追いかけて入部した軽音部も全く同じ。
トップアイドル朔間零のおこぼれにあずかろうと、それだけの理由でやってきた連中ばかりだ。だから晃牙は、部員の顔を一々覚えることさえしなかった――
が。
(あの人、今日も来てるんだな――)
部室に入ろうとして開けた扉を、音が立たないようにそっと閉める。僅かに覗き込めるだけの隙間を開けて、だが。
下校時間間際になると現れる、黒髪に赤目の美少年。噂の『弟』だろうかと晃牙は踏んでいる。朔間零と同じくダブったとかいう……名前はなんだったか、朔間、朔間……
「名前、一週間ぶりだな」
「お兄ちゃん!」
「おいおい、俺様ちゃんにそんなに会いたかったのかよ〜?」
「うん、会いたかった。早くお家に帰ろう?」
むむ。……そんな名前だっただろうか、弟は?
晃牙が必死に弟の名前を海馬から引っ張り出そうと苦心しているのを他所に、室内の美少年はすっと自分の髪を撫ぜた。
すると、美少年の襟足部分からふわりと、まるで魔法のように、長い長い髪の毛が現れる。彼の手の中には、先ほどまで被っていたのだろう、……ウィッグがあった。
(――!)
思わず、晃牙は息を呑む。
先ほどの穏やかな声に違わぬ、柔らかそうな黒髪。彼の尊敬する朔間零とそっくりの髪質で、思わず触れたくなるような艶やかさだ。後ろ姿だけでも、女に特段興味がない晃牙を惹きつけるだけの魅力があった。
(目……朔間先輩と同じ色、なのか……?)
なぜだろう。どこからどう見ても女であって、朔間零の弟ではないのは明白なのに、晃牙は彼女に零と同じ血を求めている。
自分でも不思議に思いながら、顔を横に向けてくれと念じていると、ふいに彼女が扉の方を振り向いた。気付かれた!? と思ったときにはもう遅く、焦った晃牙の手がギィ……と部室の扉を開けてしまっていた。
「誰?」
「あ? 誰だテメ〜……ってんだよ、オ〜ガミくんか」
「さっ、朔間先輩……」
すみません、と覗きに対する非を認めて素直に謝罪する。そしてちらりと、彼の横に立つ彼女の顔を見た。
(――)
ああ。
やはり、朔間零と同じ色の瞳だ。
血のように赤い瞳であるのに、どうしてだろう、不気味な感じはせず、ただ優しそうな目つきだと感じた。
「あなた、オ〜ガミくんって言うの? 不思議な名前だね」
ふふ、と笑うその感じも、晃牙が今まで見たことないタイプの女性だった。穏やかに、静かに……今まで中学校で見てきた姦しい女子たちとは全然違う。
このまま永遠にぼんやり彼女を見つめていたい気もしたけれど、晃牙はハッと我に返って、やや不機嫌そうな顔を作って返答した。
「ちげ〜よ! 俺様は大神晃牙っつ〜んだ!」
「大神、晃牙くん……」
「な、なんだよ」
じっと少女に見つめられ、バツが悪い。どんどん顔が近づいてきて、近づけば近づくほど、晃牙の心臓の音はどんどん大きくなって……
「おい名前、オ〜ガミくんは童貞なんだから虐めてやんなよ」
くんっ、と小さな頭が後ろに引き寄せられた。その反動で、ふわりと一房の髪が晃牙の頬を撫でる。
意地悪いことを言った零は、ニヤニヤと晃牙の方に視線を向けていた。無礼千万にも程があるが、憧れの人に話しかけて貰っていることを考慮すると、まあ許せる程度の冗談だ。
「虐めてなんかないよ? 変なお兄ちゃん。ねえ、晃牙くんもそう思うでしょ?」
「あ? ……あ〜、そうだな……っつーか、あんたこそ何者だよ!」
そうだ、大事なことを忘れていた。余りにも唐突な出来事過ぎてすっ飛ばしていたけれど、彼女が誰なのかすら、晃牙はまだ知らない。
晃牙のその言葉に、彼女はこてんと首を傾げた。髪が揺れるたびに、視線が奪われる。
「私は、朔間名前。お兄ちゃんの妹。双子の兄はりっちゃん」
「……あ? 朔間弟って、双子だったのかよ……」
「はっ、まあ誰も知らねえだろうなぁ。オ〜ガミくんと、衣更くん以外は」
「衣更……?」
「一年だろ、オ〜ガミくん? 同じ学年に居るぞ、衣更くんも凛月も」
そっちの名前は知らない。誰かは分からないが、今度探してみよう。
「ま、俺はもう帰るから。部室使うなら出るとき鍵閉めとけよ」
その言葉と共に投げつけられる鍵。
そう言って晃牙の横を通り過ぎようとしている零は彼女の腰を抱いて、彼女は零の身体にもたれ掛かるように歩いている。まるで映画のワンシーンのような光景に、いまいち現実味を感じられない。手のひらの冷たい金属の感触だけがリアルだった。
「ねえ」
「……は」
「今度、ゆっくりお話ししよう? 貴方、ギター弾くんでしょ?」
お兄ちゃんから聞いたのよ、と軽快な口調で飛んでくる声。可愛らしくて、透明で、……綺麗な声。返事をするのも忘れて彼女の表情を見ていると、彼女は不思議そうに晃牙を見て、でもちょっと優しく笑った。
「またね、晃牙くん」
零の腕に抱かれているのに構わず振り返って、晃牙に向けて小さく手を振る少女。すぐに二人は姿を消して、夕暮れの陽ざしが満ちる部室には晃牙が一人、取り残された。
「…………なんだよ、アレ……」
斜陽にまぎれて、晃牙の頬に朱がさあっと広がった。どくん、どくん、と、初めてステージに立った時と同じくらいの心音が聞こえる。一方で、頭の中では彼女の『またね』という言葉がぐるぐると反芻していた。
多分、おそらく、大神晃牙は心臓ごと奪われたのだ。――またしても朔間家の人間に。
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