「ま、負けてる……」
始まる前の勝利宣言をした自分を恥じてやりたいとバーナビーは切に願っていた。
ゲームは終盤に差しかかろうとしていた。今の得点差は二万弱。勝っているのはシシーだった。ほとんどヘッドショットで倒している為、得点が頭一つ分抜けていた。
「……武器の扱いで私に勝とうなど十年早いのでございます」
余裕の表情で言うシシーに、バーナビーはぐうの音も出ない。悔しそうな顔でシシーを睨み付けた。
「で、でもまだわかりませんからっ」
まだ負けたわけではない。次のボスで勝敗が決まるといっても過言ではなかった。
チューブの張り巡らされた暗い室内を二人の主人公は忍び足で進んでいく。
現実の部屋もとっぷりと日が暮れているために、モニターの明かりだけでゲームをやっている。
勿論電気を付けようとシシーが提案したのだが、それは却下されてしまった。理由は簡単な事だった。怖さが倍増するから、だそうだ。
「――これなんでしょうね?」
白い紐のような物が研究室の壁や床に所々張られていた。奥に進むにつれて、その紐の本数が増えていき、段々と編み込まれている。その紐は自然界でも見る物だった。
次のボスを理解したバーナビーはちらりと横目にシシーを見た。シシーは何故か眉をしかめて泣きそうな顔をしている。
「どうしたん、」
心配になったバーナビーがシシーに声をかけた時だった。大音量と共にモニターに映し出されたのは一品の巨大な蜘蛛だった。主人公の一人が、何かの薬で巨大化したようだと言っている。
タランチュラをそのまま像のサイズにした大蜘蛛は、キチキチと口から鳴き声のような音を漏らしている。
それが壁一面の大画面で流れているのだから迫力満点以外の何者でもない。付け加えると、日本のCG技術が凄いせいで、蜘蛛の目や足、生えている毛までもがリアル過ぎた。
それはもう、思わずバーナビーも背中に悪寒が走る程に。
「て、手ごわそうですね、っ、わぁっ!?」
暗闇の中突然服を引っ張られたせいでバーナビーはうわずった声をあげた。
ハッとして見ると青ざめた顔をしてカタカタと震えているシシーの姿があった。
「シシー、もしかして、蜘蛛嫌い?」
声すら出せないのかシシーは涙目になりながらコクコクと頷くだけだった。
意外な一面に思わず抱きしめてしまいたくなる衝動に駆られた。だが、それはモニターの中にいた女性の絶叫で吹き飛んでしまった。
シシーがプレイしていた主人公は操作を放棄されていたせいで目の前の蜘蛛に捕まり、頭から捕食されていた。
「ひっ……ぁぁ……」
今まで平気な顔をしてゾンビやらゾンビでない物やらの脳天に銃弾を撃ち込んでいた人物とは思えない程に、シシーは怯えきった表情で小さい悲鳴をあげた。しまいには、ゲームの事なんて忘れてしまったかのようにコントローラーを投げ出しバーナビーの背中に隠れてしまった。
嬉しい半分恥ずかしい半分。こんなに可愛いシシーは滅多にお目にかかれないと思いながら、バーナビーの操作する主人公は的確に大蜘蛛に撃ち込んでいく。
繰り出される大蜘蛛の攻撃と鳴き声に、シシーはその都度肩をビクつかせてバーナビーの服を握りしめる。
「すぐ倒すから大丈夫ですよー」
「――っ、はいぃ」
「あ、糸吐いた」
「や、やだやだやだっ、」
「はー、危なかった。もう少しで僕もぐるぐる巻きにされるとこでしたよ」
「言わ、ないで……くださいましっ」
「すみませんね。ところでシシー、このままじゃ僕一人で倒しちゃいますけど良いんですか?」
「良いんですっ! おね、お願いしますから、早く、た、倒してくださいまし!」
このまま倒すのをやめてしまおうかと思うくらい可愛らしい反応を見せるシシーに楽しんでいたバーナビーだったが、さすがに可哀想になるほど怯えているので仕方なく倒す事にした。通常二人で倒すボスなので、バーナビー一人で倒していたせいか二十分以上かかってしまった。
ようやく最後の体力が失われて大蜘蛛の断末魔が部屋中に響き渡る。そしてポイントの合計得点が画面に映し出された。
「――僕の勝ちみたいですね」
バーナビーの得点はシシーを追い抜いて、さらに一万程プラスされていた。ボスを一人で倒したお陰だろう。
シシーはバーナビーの脇から顔を少しだして画面を見た。得点なんてもうどうでもよくなっていて、蜘蛛のいなくなったモニターに心底ホッとして溜め息を吐いた。
「――私の負けでございます……」
「悔しそうですけど、勝負を途中で放棄したのがいけないんですよ?」
「い、致し方ない事なのです……」
「貴女が蜘蛛が嫌いだなんて知りませんでしたよ。良い事知りました」
「――知られたくなかったです」
げっそりしているシシーの顔をバーナビーは面白そうに見やった。それからわざとらしく両腕を組むと悩む素振りをして唸った。
「さぁて、何してもらいましょうかねー?」
冗談でヒーロー代行しろなんていう人だ。何を命令されるかわからない。もしかして、もしかするとさっき見つかったばかりの弱点でいじめられるかもしれない。
バーナビーの言葉に、シシーは息を呑むと目を瞑った。
「……なーんて、もう決めてたんですけどね。今日と明日、僕とずっと一緒にいてくださいね」
「な……それだけでございますか?」
「はい。明日は休みも貰えたし、シシーと一緒にいたかったんです」
それだけだという事に目を丸くする。不意を突かれてシシーは拍子抜けしてしまった。
「で、でも、いつも一緒にいるじゃないですか」
「そんな事ありませんよ。お風呂とか寝る時とか別じゃないですか」
「お風……!?」
「お風呂はさすがに冗談ですよ。とりあえず初めはですね」
ニッコリと笑って、バーナビーは胡坐を組んでいた両足の膝を叩いた。
「とりあえず、ここ来て下さい」
「そこ……って、バーナビー様の膝の上じゃないですかっ!? そんな事できるわけがないです!」
「――僕の事嫌いなんですか?」
バーナビーは心底残念そうに顔を曇らせた。まるで捨てられたチワワかウサギのようだった。それが演技だとわかっていても、バーナビーの言葉を拒否するのは不可能だった。嫌いなわけがないし、ましてや嬉しいなんて言ったらバーナビーはなんというだろうか。
「……き、嫌いなわけが、ないじゃないですか」
「じゃあいいじゃないですか。はい」
嬉しい、は言わないでおいた。恥ずかしくて死にそうになるから。
すぐに楽しそうに微笑んだバーナビーは再び自分の膝を軽く叩いた。
シシーは照れ隠しに俯きながらおずおずと近付き、バーナビーの膝の前に立つと、覚悟を決めてバーナビーの膝の上に座った。
「どうですか?」
「……は、恥ずかしいです」
「かわいいなあ」
そう言いながら、バーナビーはシシーの頭を優しく撫でた。
恥ずかしくて、でもそれ以上に嬉しくて、シシーはしばらく放心状態になってしまった。
再びゲームの効果音が聞こえたのではっとしてモニターを見やった。
「とりあえず、このゲームクリアするまでそこにいて下さいね」
「え、は、でも……またアレが出たら……」
「大丈夫ですよ。一回出た敵はもう二度と出ないのはゲームのセオリーですから」
「さようでございますか」
「これ終わったらご飯一緒に作りましょうね」
「それは私が、」
「ずっと一緒にいるんですから、それは無理です。離れられませーん」
「うぅ、はい」
「あ、後そうだ。明日は遊園地に行きましょうね。虎徹さんから割引チケット貰ったんですよ」
「ゆうえんち……!」
「行った事ないって言ってましたもんね」
「はい、楽しみでございます!」
遊園地と聞いて、目をキラキラと輝かせて本で見た写真を思い出していたシシーだったが、はたと気付いた事があった。それは、あるバーナビーの一言。
「バーナビー様――つかぬ事をお聞きいたしますが」
「なんですか?」
「先ほど、お風呂はさすがに冗談、と仰いましたよね」
「はい」
「では、まさか」
「え? 一緒に寝ますけどそれが何か?」
「え、えええええ」
さも当たり前かのように答えたバーナビーに、シシーは絶句してしまった。
夜はまだまだ始まったばかり。