眼前に広がる光景に、僕は目を疑うしかなかった。
僕の寝るはずだったベッドに、僕が明日着るはずの服を持ったまま寝ている延朱が居たからだ。
数時間前に延朱と部屋で別れた僕は、長めに風呂に入り、明日の準備を執拗に何度も確認し、悟空の夜食を多めに作ることで時間を潰す事が出来た。
それもこれも、全ては不用意に延朱に近付かない様にする為だった。
前提として、延朱を嫌いになったわけではない。
避けていたのには理由があった。それは、僕が延朱の事を、僕が思いがけないほどに好きになってしまったからだ。
四六時中彼女の事を考えて、彼女の一挙一動に目がいってしまう。延朱が何気無い言葉で僕に話しかけてくれる。笑いかけてくれる。それだけで、僕はどうする事も出来ない程に彼女を愛おしく感じるのだ。
だが、彼女はというと、恋人になる前と同じ様な接し方で、恋人同士の時間さえもなんとなくそっけないのだ。
いわゆる温度差というものだと僕は思う。しかし、その一言で終われる程に単純ではなく、自分自身ではどうする事も出来ないであろうこの溝に、僕は距離を置いて自分の気持ちを落ち着かせるという行動に出たのだ。
――それなのに。
「延朱」
近付いて声を掛けると、うとうととしながら、何度かゆっくりと瞬きをして延朱が目を覚ます。かと思えば、ガバッと起き上がると、ベッド上で僕から一番遠いところまで後ずさっていった。
「は、っかい!?い、いつ、いつからそこに!?」
「……長くは居ませんけど。それにその服は、」
「はいっ!?あ、えっ……あぁっ!!」
僕が居た事に動揺しすぎたのか、延朱は僕の服を更に抱きしめていた。それを指摘すると、自分でも驚いたのかそれを二度見して、意味もないのにそれを背中に隠した事に、僕は思わず突っ込んだ。
「いや、抱いて寝てましたよね。それ」
「そうかしら!?そうじゃないかもしれないじゃな、」
「それにそっちが僕のベッドだったはずですけど」
「そ……そうだったかしら」
あからさまな嘘に、僕は混乱していた。なぜ僕の服を慌てて隠す様な態度を取っているのか皆目検討がつかないからだ。
僕が瞠目していると、ついに延朱が声を漏らした。
「寂し……かったのよ――」
その一言に、僕は目を見開いて硬直してしまった。
延朱は俯いたまましどろもどろに言った。
「貴方が、わるいのよ。急に素っ気なくて、構ってくれなくなって……私の事、好きじゃなくなった、かもって――」
「そんな……誤解です!」
僕は柄にもなく動揺していた。僕の行動が裏目に出ていて、延朱を傷つけているとは思わなかったからだ。
僕は思わず延朱の側に駆け寄った。延朱は俯いたまま話している。
「私が、何かしたなら謝るわ。嫌な所があるなら、」
「違うんです!貴女のせいじゃない!」
「なら、どうして――」
僕は一度深く息を吐いて、覚悟を決めた。
「……僕が、おかしくなるくらい延朱の事が好きだからです」
「――へ?」
気の抜けた声を出しながらようやく見せてくれた延朱の顔は真っ赤で、今にも溢れそうな程の涙が目尻に溜まっていた。僕はそれに見惚れて言葉が詰まる。
「その、ですね、」
「どういう事?私が嫌いだからとか飽きたとか愛想尽かしたとか所詮遊びだったとかではなくて?」
「……検討違いも甚だしいですね」
「でも、だって、最近の八戒、私を避けていたわよね?」
「そうですよ、避けてました。延朱と僕との温度差がありすぎて」
「は、え??」
「だって貴女、僕がどれだけ好きだって言っても、ありがとうの一言で片付けるじゃないですか」
「それは、っ……」
「僕が触れようとするとさりげなく離れるし、相部屋の時に一緒に寝たときはちょっと隙間開けたりしてましたよね?」
「だって、その――」
「その癖遠いところから僕を見てたりして、」
「もういいわよ!わかったわよ!恥ずかしかったのよ!!」
「……恥ずかしい?」
僕が目をパチクリしていると、延朱は僕の服に顔を埋めた。
「好きだって言うのも、あんな風に触れてもらうのも、というか、そもそも恋人が出来た事自体が初めてなんだもの!気が狂うほど恥ずかしかったのよ!?」
「ということは、つまり……?」
「――――――――恥ずかしいって言ってるのに、言わせるのね」
本人は自覚がないと思う。銀朱は僕の服を抱いたまま、僕を睨みつけた。それを見た僕の中で何かがゾクリと沸き立った。
延朱の顔は相変わらず赤く、僕を見るのさえ躊躇っていたが、何度目かの深呼吸の後ついに口を開いた。
「……私も、おかしくなるくらい、八戒が好きよ」
「でも、それが恥ずかしくて言えなかったと?」
「そうよ……」
目を逸らした銀朱に気付かれない様、僕はゆっくりと体を近づけていく。そのスリルがまた僕を昂らせた。
「それじゃあ、実際は、もっと触れたりしても良いということですか?」
「――――そう、いうわけでもないけれ、」
「と言うことは、僕はもう我慢しなくて良いって事ですね?」
「どういう意っ、」
顔をあげた延朱の唇に、僕は自らの唇をあてた。
初めてのキスは本当に触れるだけのそれであったが、延朱は目を白黒させて硬直していた。
想定内の仕草に僕はにこやかに微笑んで、延朱の耳元に囁いた。
「すみません、心配させる様な事をして。でも、これだけ我慢してたんですから」
「――え、えぇ?ええぇっ!?」
「どれだけこの時を焦がれたか、貴女にはわかって貰わないと」
ここがベッドでよかったと心底思いながら、僕は延朱をおもむろに押し倒す。
今までの思いの丈を、これからゆっくり教えないと行けませんからね。