同じ顔から同じ返事が重なってきた時点で延朱は頭がくらくらする程に困惑していた。
 八戒は鏡の様に同じ顔を睨みながら、延朱の腕を掴んで自分の後ろへと引き寄せた。

「はっか、」
「黙って。刺客かもしれません」

 敵意を見せる八戒を見ながら、男は頭を無造作に掻いた。そして、わざと八戒を避ける様にして男は延朱に聞いた。

「延朱、さん、でしたっけ?『私は』延朱さんでないとしたら、他に誰かいるんですね」
「どうしてそれを」
「良ければ変わってもらえませんかねぇ。多分時間が無いんで」
「いや、でも……」

 しどろもどろする延朱だったが、頭の中で銀朱に助けを求めると、思わぬ答えが返ってくる。

(多分こいつの名前は天蓬だよ。刺客じゃあない)
(え、待って、知り合いなの!?)
(――――知らない)
(は?今の間は完全に知ってる間だったんだけれど)
(う、煩い!僕はこいつを知らないし知りたくも無いから寝る!もう出ないから呼ばないでよね!)

 まるで目の前で扉を勢いよく締める様にして遮断されてしまった。
 延朱は恐る恐る八戒の身体から顔を出して言った。

「あの……天蓬、さんですか?」
「僕の名前が判るって事は、延朱さんは全部知ってるんでしょうか?」
「今名前を聞いただけで――銀朱は何か知ってるとは思うのだれど、閉じこもっちゃって……」
「銀朱、ね――なるほど、大体今の状況を把握しました。あ、この部屋禁煙ですか?」
「違いますが、灰皿がないのでご遠慮願いたいものです。それで、貴方は一体誰なんですか」

 真顔で聞く八戒に、天蓬は白衣のポケットからしわくちゃになったタバコの箱を出すと、一本だけ抜き取ってそれを口にくわえるだけに留めた。

「僕は天蓬と言います。あ、天ちゃんでいいですから」
「茶化さないでください。ここには何をしに来たんですか」
「そうだなぁ。多分、遣り残した事をしに来たんだと思います」
「遣り残した事――?」
「僕、下界で未来から来たとか言う青い狸から変な道具を借りたんですよ。どら焼きと交換で」
「え、何その話とってもデジャブ」
「あまり突っ込まない方がいいですよ。著作権に絡んできますから。それでまあ、その電話を冗談で使ったんですよ。『もしも僕がどうしようもなく自分自信が不甲斐ない時があったら。自分自信を怒鳴りつけに行けたら』ってね。まさかそれが今〈現代〉だなんて思いませんでしたけど」
「ちょっと待ってください。それって貴方は、つまり、僕――」
「それはどうなんでしょうね。僕、そこまで小綺麗じゃないですし」

 確かに天蓬と八戒は顔は似ているが風貌は他人のそれだった。八戒は常に皺のない服を着て身に付けるものも清楚な物ばかりだ。それとは逆に、天蓬は髪は伸びっぱなしの様な髪型で、着ている白衣もしわくちゃ、着けているネクタイは曲がり、緩みきっている。

「僕も御免です。裸足に突っ掛けを履いてる人が同じ人物とは思えません」
「えー、履き心地良いんですけどねぇ。便所サンダル」

 かと言って、二人が全くの他人だとは思えなかった。話している間も互いの動作を冷静に観察し、鋭くみすえていた。
 一人は普段の笑みを作り上げながら。
 もう一人は度の高いメガネでそれを隠しながら。

「それで?もう用はお済みでしたら早くご退室願いたいのですが」
「――それだけ僕に大口叩ける癖に、延朱さんの事になると途端に臆病になる。どうしてですかね?」
「え、わ、私?」

 動揺する延朱を尻目に八戒は目を見開いていた。
 天蓬は動けないでいる八戒を見て、やっぱりかと呟くと、色々なポケットを探って見つけたライターでタバコに火をつけた。
 溜息をつく様にして紫煙を天井に向けて吐く。

「そうやって色々考え込んでばかりいて臆病でいるから、後で死より後悔するんですよ。例えば、こうやって――」

 まるで八戒がタバコを吸っている様だと物珍しげに見ていた延朱の手を、天蓬は無理矢理掴んで自分に引き寄せた。

「碌でもない馬の骨に取られますよ?」
「て、て、天蓬さん!?」
「……延朱を離せ」
「やっぱり少し幼くなりましたね。でも、いつもの貴女の香りがします」

 延朱を抱き寄せると、髪に顔を埋めながら、天蓬はうっとりとした声で言った。
 延朱はと言うと、この状況以前から既に頭が処理しきれていない。完全にパニック状態だった。

「離せと、言ってるんです」
「どうして。貴方の特別な人って訳じゃないんでしょう?なら僕がこの人と一緒に居たって良いじゃないですか」
「良い――わけ、ない!」

 八戒は天蓬を無理矢理引き剥がすと、延朱を隠す様にして抱き締めた。

「この人は誰にも渡しません!この人と一緒に居るのは、他の誰でもない、僕なんです!例えそれが、僕にとても良く似ている人だったとしても、僕じゃないなら意味がない!!」

 八戒は怒り心頭で怒鳴りつけた。見知らぬ男ならまだしも、自分によく似た男が延朱を抱いている事が我慢ならなかった。まるでお前には出来るわけがないと自分自信に言われている様にすら見えて、はらわたが煮えくり返る思いだった。

「それだけ自信ありげに言ってますけど、貴方、自分の気持ちを彼女に伝えた事があるんですか」

 八戒は思わず口をつぐむ。
 狼狽える八戒の姿とは打って変わり、天蓬は張り詰めた糸の様に凛としている。

「なんなら僕が言ってあげますよ。貴方が彼女に心酔して、」

 八戒は天蓬の言葉を遮る様にして胸倉を掴み上げると、力の限り睨みつけて怒鳴った。

「貴方に僕の何がわかるんですか!」
「何もわかりませんよ!僕は今の僕じゃあない!だから言いに来たんですよ、貴方に!!」

 天蓬に物凄い剣幕で怒鳴り返され、八戒は唖然としている。

「言わなければ、一生後悔するんですよ」

 睨んでいる天蓬の瞳に、八戒は動揺せざるを得なかった。その瞳は怒気とは違う、悲しみの様な色をしていたからだ。
 八戒はゆるゆると天蓬の胸倉から手を離す。天蓬はそれ以上何もしないと言わんばかりに、数歩後ろに下がってテーブルにもたれかかった。
 八戒は何秒か自分の拳を見つめると、延朱の前まで来て言った。

「延朱」
「は、は、はい」
「僕は貴女が好きだ。どうしようもない程に貴女に焦がれてます。でも言えなかった」

 延朱が大きく目を見開いた。それは言葉に驚いただけでなく、八戒の顔が今までで見たことがない程に赤く火照っていたからだ。これが本気なのだという事を理解するには充分過ぎて、延朱の顔も一気に赤くなる。

「今の関係が壊れるのが怖くて、怖気付いて、躊躇って、毎日悩んで、ですよね」
「……彼の言う通りです。全くもって不愉快ですけど」

 横槍を入れられたからか、単に見られたくなかったからか、八戒は手で顔を覆いながらため息をついた。

「本音当てられてムカつくなんて、まだまだですね」

 ここにきて初めて、天蓬が笑っていた。ほんの少し寂しげに見えた笑顔が薄くなっている事に気付いたのは延朱だった。

「天蓬さん、手が……」

 言われて天蓬は自分の手を光に透かした。手をひらひらとさせている間にも、水に溶けていく様に透けて揺らめいていく。

「あー、怒鳴りつけたから契約終了みたいです」
「いきなり、ですね」
「来た時もそうだったでしょう。すみません延朱さん、彼への返事は僕が居なくなってからでお願いします」
「えっ、え、え!?」
「他人と言えど、愛した人と同じ容姿の人が、他の男に取られるのを見るのは耐えられないんで」
「自分によく似た男でも?」
「当たり前じゃないですか。自分でなければ意味がないですからね」

 二人は同じ顔をしながら、互いを見て笑った。
 だが、笑い方がこれほどまでに違うのは、やはり生き方も考え方も違う二人だからこそだろう。
 そんな二人を交互に見てから、延朱は天蓬に詰め寄った。

「天蓬さん!」
「なんです?」
「さっきの言い方――貴方は、後悔、したのよね」
「しましたねー、思いっきり。でも……」

 延朱を見て、まるで走馬灯の様に思い出される昔の思い出。喜怒哀楽、全てを共にした、失いたくない記憶。大切な記憶。
 全てに、今、目の前で自分を見つめている黄金の瞳が居た。――自分が死ぬ前に見た瞳と、全く同じ様に見えた。

「貴方達が一緒に居るのを見たら、少しだけ気分が楽になりました」

 自分に似た人物が、自分が好きだった人に似た人物と一緒に居る。これが運命ではないとしたら何になるのか。

「銀朱に言っておいてください。何も言わないでくれていてありがとうって。それじゃ」

 天蓬は手を振って別れを告げる。目の前の延朱は神妙な表情で立っていた。
 無意識の内に、振っていたはずのその手が延朱に向かっていく。それを八戒は邪魔する様にして延朱を抱いた事に気付き、天蓬は我に返った。

「――我ながらケチ臭いと思います」
「わかって、ます。延朱さんは延朱さん、ですからね」

 自分に言い聞かせる様に呟くと、天蓬は目を伏せた。
 溶けた絵の具が流れていく様にして天蓬の姿もほとんど消えかけていた時だった。

「天蓬!『銀朱』はお前が好きだった!死ぬまでな!」

 ハッと顔をあげると、物凄い剣幕の延朱が天蓬を見据えていた。その瞳は燃えるように真っ赤だった。

「ありがとう、『銀朱』――」

 嬉しそうな、困惑した様な、何とも言えない笑顔をして天蓬は消えていった。八戒に抱かれたまま、延朱は天蓬が居た場所を見つめて居た。
 再びの静寂。それを破ったのは延朱だった。

「あの、」
「うわっ、すみません。すぐ離れるんで、」
「このままで、良いわよ」
「え――」
「このままが、良いの」

 呟く様な声で、延朱は八戒の胸に顔を埋めると、服をぎゅっと握った。八戒も、それに応える様にして背中に回した腕に力を込めた。
 
「延朱」
「……なに?」
「――さっき行った事はほんと、」
「どうもー」
「「わぁっ!?」」

 先程消えたはずの天蓬が今度は部屋の扉を開けて入ってきたのだ。二人は驚きのあまり抱き合った。
 
「いやぁ、僕思ったんですよね。人に言われて実行するのもどうかなーって」
「それ、貴方が言います?」
「というわけで、これからの告白は自分でなさってくださいねー」
「それは…ひみつ道具の一つ!?」

 どこか聞き覚えのあるBGMすら聞こえて来そうな程に、天蓬が白衣のポケットから出したのは時計のついたタクトの様な棒だった。

「それはまさしく、人の頭をその棒で触れると、記憶が消す事が出来るという代物――」
「もうなんでもアリな上に、八戒がノリノリすぎる……」
「さー、悪い子の記憶はどんどん消しちゃおうねぇ」
「最早別の青い生き物が出て来る番組だわ、それは」
「それじゃあ、頑張ってくださいね」




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