※恋人設定です。

 久しぶりにとれた宿の個室で、僕は寝る為の身支度を終えてから本を読んでいた。
 珍しく静かな夜で、外の虫の鳴き声が聞こえるほどだ。
 不意に僕の部屋の扉がノックされた。こんな時間なら悟空か悟浄だろうと予想しながら返事をすると、扉を開けたのは延朱だった。

「八戒、あの――」
「どうしたんですか、こんな時間に」

 延朱は素早く部屋の中に入って扉を閉めると、神妙な面持ちで僕を睨んだ。

「えっと――僕、なにかしました?」

 あまりにも延朱が怖い顔をしていたのできいてみると、ハッとなった延朱は頭を勢いよく左右に振ってから俯いてしまった。

「その、うん。何かしたってわけじゃなくて、ね、その……」

 普段の彼女からは想像も出来ないほどに歯切れの悪い言葉が羅列される。
 心配になって僕は持っていた本を机に置くと延朱に近付いた。

「どうしたんですか?何かあったんですか?」

 延朱の頭を撫でると、俯いていた延朱が顔を上げた。それを見て僕は唖然とする。まるでりんごの様に顔を赤く染め上げ、目尻には薄っすら涙さえ滲んでいる。
 予想だにしていなかった延朱の表情を見て硬直している僕とはうらはらに、延朱は意を決した様に眉を顰めて言った。

「ちょっ、ちょっと、ちょっとよ!ギュってしてもらいたかったの!そ、それだけよ!」

 延朱の発言に僕は更に動けなくなった。
 普段なら絶対に甘える様な事を言わない延朱が、こんな時間に、普段の彼女からは想像もつかない恥ずかしいだろう言葉を、僕に面と向かって、普段の彼女がするはずもない表情で言うなんて。
 予想の範疇を超えた行動に、心臓はけたたましく音を立てて、僕の方まで顔が赤くなっていく。
 当の本人は言い切って開き直ったのか踏ん反り返って腕組みしている。

「ほ、ほら!恋人だから?ちょっとしてもらおうかなって思っただけよ!もし嫌とか心の準備がまだだったりしたら今度でも良いのよ!?」
「嫌な訳ないじゃないですか。あまりにも可愛いらしい事言うから、びっくりしちゃって」
「な!?かわ、かわいい!?意味がわからないわよ!」
「あはは、僕だけわかってれば良いんです。それじゃあ、はい、どうぞ。延朱」

 真っ赤になって怒っている延朱の前に、僕は腕を広げてみせた。
 自分でも性格が悪いとはっきり思う。自分から行かずに延朱の行動に身を委ねる事で、更に延朱の見たことのない表情が見れるのではないかと思ったのだ。
 延朱は耳まで赤くして、わなわなと震えていたが、一瞬戸惑ってから唇を噛むと僕の胸に歩み寄った。
 ぽすんと僕の胸に頭がぶつかる。見計らった様に僕は延朱の体に腕を回して抱きしめた。

「あり、がと……」
「こちらこそ。貴重な体験させてもらいました」
「意味がわからないわ」
「僕だけの延朱が見れたって事です」
「〜〜っ、やっぱり頼むんじゃなかった」
「僕は嬉しかったですよ。誰も知らない貴女が見れたし、こんな時間にこうして触れる事もできて」

 僕は少しだけ延朱の背中に回した腕の力を強めた。それに応える様に、延朱は僕の胸に横顔を押し付けると、僕の背中に手を添えた。
 外では虫の声がしたが、それが遠くに感じる程、僕の心臓は脈打っている。

「好きです、延朱」
「……――――私よ」
「長い沈黙ですねェ」
「仕方ないでしょう!そんな恥ずかしい言葉、腹括らないと出てこないわよ。はい、もう終わり!部屋に戻るから離して頂戴」
「嫌です」
「え、」
「もう少し、このまま」

 あまりにも心地が良くて、僕は延朱から離れたくなくなっていた。
 同じ宿の洗剤を使ったはずなのに、延朱の身体からは甘くて良い香りがする。
 腕を回した腰も、うっすらと湿ってしっとりとした髪も、僕のために少しだけ背伸びをしているところも、全部が愛おしく思えた。
 離れたくない。このまま延朱ともっと一緒にいたい。そう思ってからは僕の行動は早かった。

「そうだ。今日は一緒に寝ましょう」
「いや、でもせっかく個室とれたのに、」
「僕の事なら気にしないでください」
「ほら、お金とか勿体無いし、」
「三仏神のカードなんでご心配なく」
「――――寝るだけ?」
「延朱から誘ってくるとは思いませんで、」
「ちーがーうーわーよ!」
「冗談です。一緒に話して寝るだけにしておきます」
「しておくって……」

 僕は延朱の手を握った。自然と延朱も僕の手を握り返す。
 珍しく静かだった夜は、僕にとってかけがえのない記憶の一部となる。
 虫の声は、僕たちの会話の遠くで、未だ聞こえているのだった。
次ページはあとがき


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