今、僕の心拍数を計測すれば最高数値を示すだろう。耳元でなっているかのような自分自身の鼓動は、隣の隣で寝ている悟空のいびきによって消えていると信じたかった。

「ね、八戒起きてる?」

 囁き声が聞こえて、目を開ける。別段寝ようとしていたわけでも、寝たふりをしていたわけでもない。今のこの状況を耐え抜く為に目を閉じていたのだ。
 僕はすぐ隣で横になる延朱に、同じ様に囁いた。

「どうしました?寝れませんか?」
「ちょっとね。雑魚寝なんて久しぶりなんだもの」

 ふふ、と笑いながら体を横向きにして笑う延朱を見て、一段と高鳴る鼓動とは逆に僕は心の中でため息を吐いたのだった。


ゼロセンチメートル


 事の発端は今日の宿に着いた時に起こった。停留した町はそれほど大きな町ではなく、一つしかない宿屋は既にいっぱいだった。それでも屋根のある所で寝たいと駄々をこね――じゃなかった、申告する三蔵に、宿屋の主人が一つの部屋を提示してくれた。それがこの部屋だった。
 普段客を通す事はないという宿屋の主人の私室だそうだ。ドアを開けた瞬間、悟空と悟浄が仲良く「うわ狭」とハモった。それ程の部屋だ。
 ベッドはなく、下に布団を敷くのだが、五人で寝ればいっぱいいっぱいになるだろう。宿屋の主人が渋るのも無理はないと思った。だがそれでも眠い三蔵はここで良いと言って、契約してしまった。彼の睡眠欲に勝てるものはないだろう。
 夕食を外で済ませて部屋に帰ると、早速三蔵が壁際を陣取って横になった。さすがと言うべきか、しっかりと自分のパーソナルスペースを作って。
 その後は四人で少しトランプをしてから寝る事となった。
 問題はここで起こった。誰が延朱の隣で寝る事になるか、だった。延朱は誰でも良いわよ、なんて言うが、そんなの僕が許せるはずもなく。悟空にさり気なくお願いしようとしたのだが、それは叶わず。

「俺ココな!」

 悟空は一直線に三蔵の隣を取った。三蔵は寝付きが良いから、寝てる時に何しても叩かれないという寝相の悪い彼らしい理由だった。
 残るは僕と悟浄となったが、悟浄なんて論外だ。大人しく悟空の隣に寝てもらう事にした。本人が何と言おうとも羊の隣に猛獣を置くわけにはいかなかった。
 こうして五人で雑魚寝する事になったのだ。
 だが、雑魚寝というには些か狭すぎた。まるで、土産の寿司や、箱の中の赤福だ。隣り合えば肩は勿論の事、腕や足すら当たりそうなくらいに狭かった。
 隣の二人からは散々文句が飛んでいたが、勿論飛んでいく文句を聞く三蔵は夢の中だ。消灯するとしばらくしないうちに悟空のいびきが聞こえてきた。そして諦めた悟浄からも寝息が聞こえた。
 僕は隣にいる延朱に触れない様に身体を丸めたり縮ませてみるも、無駄だった。延朱の肩が僕の腕に当たっていた。そこから延朱の熱が伝わって、僕はどうしようもなくおかしな衝動に駆られる。
 それを抑えようと目を閉じて意識を別のものに集中しようとした時に話しかけられたのだ。
 今は延朱が横向きに寝ているので僕の体に触れていない事だけが救いだったが、息遣いさえも間近に聞こえる程には近い。はっきり言ってしまえば、気が狂いそうだ。
 少し前まではこんな風に延朱のすぐ真横で雑魚寝をしても平気だった。むしろ僕が隣なら安心だとさえ思っていた。だが今、それが一番危なくなるなんて、僕自身が思ってもいなかった。
 こんなにも、延朱の事を好きになるなんて。

「どうかした?」
「――いえ、狭くて延朱に迷惑じゃないかなと思いまして」
「大丈夫よ?むしろ、ちょっと楽しいかも」
「楽しい、ですか?」

 延朱はそれはもう無防備な笑顔で言いのけた。

「みんなで一緒に同じ布団で並んで寝るなんて早々ないでしょ?しかもこんなに近くで」

 延朱は「ちょっとごめんね」と言いながら上手にその場で身体を返すとうつ伏せになった。手で顔を抑えながら布団に肘をついた。

「修学旅行って、こんな感じなのかしらって思ってて」
「修学旅行?スクールトリップの事ですかね」
「ええ。本で読んだ事があるの。仲の良い友達と旅行して、同じ部屋に泊まって、夜更かしするんですって」
「僕も話だけは聞いた事があります。学び舎の仲間内での旅行という、普段ない経験故に気分が高揚した若者が、ゲームや枕投げといった事に没頭し、次の日に寝坊するというお決まりパターンもあるとか。途中、教師の見回りがあるのでそれを掻い潜る為に寝たふりをしないといけなかったり、女子の寝室に侵入するミッションもあるとか」
「そんなミッションまであるの?奥深いわね、修学旅行――」
「延朱は行ったことないんですか?」
「ないわ。そういう事を一切しない学校だったし、友達居なかったもの、私」
「――僕もです。実は」
「八戒が!?」

 しかめた顔で声をあげた延朱に、僕は慌てて自分の口に人差し指を当てる。それを見て延朱はすぐに両手で自分の口を覆った。

「〜〜っ、ごめんなさい」
「三蔵が起きたら、それこそ見回りの教師張りに怒りますよ、きっと」
「そうね」

 僕は、三蔵がジャージ姿でハリセンを持ち、部屋に怒鳴り込む姿を想像した。きっと延朱も同じ様な想像をしたのか、僕と同時に笑い出す。
 小声で話すので、自ずと二人の顔が近くなっていく。
 
「でも意外。八戒に友達がいなかったなんて」
「まあ、必要ないって思ってたんですよ。昔の僕はかなりスレてましたから。今はそんな風には思ってませんよ。延朱は――」

 言いかけて、僕は申し訳なさそうに眉尻を下げた。延朱に友人の話を聞くと言うことは、前の世界の話をより深く思い出させるという事だ。これまで避けてきていたはずの話題を自ずと出してしまった事に後悔の念を抱いた。
 思い出させてしまった事を落ち込んでいた僕とは対照的に、延朱は苦笑しながら首を振った。

「あー、良いの。大丈夫。私は超がつくほどのお金持ちの家で、周りに疎まれてたの。それに、ホラ」

 延朱は自分の前髪を一房持って言った。

「『あちら』ではこの髪と目は異常なの。だから、ね」

 こちらが謝ってしまいそうになるほどに、延朱はバツが悪そうな表情をして言った。
 僕は延朱の前髪を撫でるように触った。暗がりで、時より雲から顔を出す月に照らされて、絹のように光るそれを異常だなんて思った事は一度たりともない。

「――綺麗、なんですけどね」

 そう思っていた言葉が、無意識に口から漏れていたことに気付いてハッとするが、延朱は額当たる僕の手を、くすぐったそうにして目を閉じているだけだった。
 聞こえていなかった事に安堵して、僕は手を離す。手に柔らかく触れていた髪が愛おしくさえ思ったが、これ以上触れていると自分自身がおかしくなりそうだったからだ。
 気持ちを切り替えるようにして小さく深呼吸すると、僕は微笑んで言った。

「そうだ、一層の事、このまま眠くなるまで何か話しましょう。修学旅行みたいに」
「――うん。したい」 

 延朱は目を輝かせて、これまで以上に頷いて笑った。

「普通なら。どんな話をするんですか?」
「ええと、主にコイバナか怖い話の二択らしいんだけれど……八戒には、怖い話を、しないでほしいです」
「それは、僕も同意見です」

 同時に声のトーンが段々と落ちていった。以前五人で肝試しと称して百物語をやろうとした。だが、僕は本物のような表情だと言われて四人に途中で止められ、延朱に至っては本当に心霊現象が起こってしまったのだ。今ここでそれをやるのは確実に危ないと判断した僕達は次の話題に移る。

「ということは、残りはコイバナだけ、なんだけれども」
「――待ってください。コイバナと言うのは、もしかしなくても、恋愛の話、と言うことですか??」
「そう、ね。それもなぜか好きな人の事を暴露するらしいわよ」

 それを聞いた僕は、あまりにも困り果てて、笑顔さえ忘れて呟いた。

「……それは、弱りましたね」

 僕の顔を見て、延朱はハッとして首を振った。その顔は強張っていて、今にも泣きそうな顔だった。きっと、延朱は僕が花喃の事を思い出してしまったのだと誤解したのだろう。

「もう、別の話にしましょう。というかもうなんでも良いわ。楽しかった思い出でも、どうでも良い笑い話でも。貴方と話せれば本当はなんでも良いの」

 延朱は不意に僕の手を握って真剣な表情で言った。
 まさかこの場で延朱に告白をしなければならないのかと思った僕にとって、延朱の誤解は嬉しい誤算だった。
 だが、それよりも、延朱が僕の事を傷つけまいとしてくれた事が嬉しく思えたし、こうして自分との時間を大切にしてくれる延朱が、やはり好きなのだと確信する事が出来た。
 僕は返事を待つ延朱の手を少しだけ握り返してはにかんだ。

「僕もです。貴方とこうして話をしてるだけで良いんですから」
「――良かった」

 ホッとした延朱の表情があまりにも可愛らしく、僕は頬が赤らむのがわかった。だが、それは暗がりのお陰で見えない事も分かっていた。後は、この倍速で脈打ち始めた心臓の音が聞こえないでほしいと願い、それを誤魔化す様に、僕は「あ」とわざとらしく小声で言った。
 その声を聞き逃さない様にと延朱は更に顔を近付ける。
 額がうっすらと当たる様な距離、僕は神妙な面持ちを作って囁いた。

「そういえば」
「どうしたの?」
「さっきの話をしてて、思ったんですが」
「うん」
「ゲームや枕投げに没頭して、次の日に寝坊するというお決まりパターンって言いましたけど。あれ、僕らも良くやりますよね」
「あー……」
「普段から修学旅行気分ですね、僕ら」
「言われてみれば、そうね――」

 目があって少ししてから、僕達は周りに聞こえない様に噴き出して笑った。
 会話が絶えること無く、夜が更けていく。
 そしていつの間にか二人は眠りについていたのだった。
 互いの手を握り合ったままで。





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