あれからどれくらいの時間が経過したのかわからない。
 延朱が朝食を持ってきて、それを少し口にして、薬を飲んだ所までは意識はあった。それからだいぶ寝てしまっていたのだろう。
 目を開けるとベッドの側で延朱が本を読んでいた。片隅のテーブルには昼食のような物が見えた。

「八戒、大丈夫?」
「……いえ、正直参ってます」

 起きた僕に気付いて延朱が近付いてくると、額に置いてあった濡れタオルをどかした。その顔すらぼんやりと霞んでいる。息をする度に関節に痛みが走り、指一本でも動かすのを躊躇うほどに身体が重い。
 これほどまでに体調を崩したのは記憶にあまりない。

「ほら、言った通りじゃない。出発しなくて良かったわ」
「その通り、ですね」
「よく寝てたから起こさなかったんだけれど、お昼ご飯食べられそう?」
「すみません、水だけいただけますか」
「待っていて」

 延朱は水差しからグラスに水を入れうつす。それを見ながら、重たい身体を起こした。まるで自分の身体ではないような重たさに、思わず苦笑した。

「まさかここまで酷くなるなんて思いませんでした」
「病人はみんなそう言うのよ。はい」
「ありがとうございます」

 延朱に差し出されたコップを貰い受け、ゆっくりと一口飲んだ。ひやりとした水が熱を帯びた喉を通っていくのがわかる。

「さっき悟空と悟浄が解熱剤買ってきてくれたから飲みなさい」
「ふた、りが?」
「すごいでしょう?あの二人がよ。しかも、寄り道なし、無駄遣いなし。八戒の為ね、きっと」

 ふふ、と笑って延朱は僕の空いたグラスと薬の入っていた容器をテーブルに置きに行った。

「残ってた洗濯物もやっておいたし、買い出しも済んでるし。お昼ご飯も用意したし。夕飯も近所の処を予約しておいたし。三人は遊びに行ったわ。ゴールドカードは没収してお小遣い渡しといたから平気よ。後は貴方が良くなるだけよ、八戒」
「――すみ、ません」
「謝ってもらうような事をされてないわ」
「ありがとう、延朱」
「どういたしまして。ね、私だって頼りになるでしょう?」
「前から知ってましたよ」
「えー、信じられないわ。さ、ホラ、横になって」

 今度は優しくベッドに寝かされてしまった。延朱は僕の前髪をゆっくりと撫でると冷えたタオルを僕の額に載せた。

「心配しないでゆっくり休んで頂戴」

 頭を数度撫でられた時、僕は気付けばその手を掴んでいた。普段絶対にされない事をされているからか、好きな人にこうやって触れられたからか、熱に魘されるいるのかは自分でもわからなかった。

「延朱、お願いが、あるんです」
「何?なんでも言って頂戴」
「もうすこし、こっちに」

 延朱が無防備な笑顔を向けて身体を近付ける。

「ふ、っわ!?」

 僕はそのまま延朱を、今出せる最大の力を使って抱き寄せた。

「はっか、」
「このまま、少しだけ」

 逃げ出そうとした延朱だったが、僕の切実な声におし黙る。
 鼻腔に延朱の髪の香りが通る。細い腰に手を回せば、熱に浮かされた頭はそれだけで嬉しさと優越感が湧き上がる。

「延朱、すみませんでした。体調の事黙ってて」
「そ、そうよ。私が気付かなかったらきっと今頃大変だったわよ」

 延朱を抱く腕の力が強まる。

「貴女にだけは、かっこ悪い所見せたくなくて」
「――そんな事で黙ってたの?」

 静かに僕の腕の中にいた延朱が身体を離して僕の顔を覗き込んだ。その顔は不満そのもので、僕は何度目かの苦笑を漏らした。

「僕だって、男ですよ?自尊心の一つくらいはありますから」
「八戒がそんな風に考えるなんて思わなかったわ」
「まあ、僕もなんですけどね」

 朝起きて自分の顔を見た時から思っていたのだ。延朱にはこんな弱った姿を見せたくないと。その反面、全く違う事も考えていた。このまま普通の生活をしている中で、延朱が自分の不調に気付いてくれるのではないかと。

「でも、延朱が最初に気付いてくれて、嬉しかった」
「かまってちゃんも甚だしいわね」

 延朱は僕の胸に頭を押し当てると鼻を鳴らして言った。

「――でも、そんなかまってちゃんが私は心配で仕方ないの」

 それを聞いて僕の胸は騒ついた。このまま抱き締めて、僕の胸の内に秘めている感情を曝け出してしまおうか。一瞬頭を過ぎったが、それが出来るほど僕には勇気がなかった。ならいっその事、今この状況を使うしかないと思った。

「延朱、お願いがあるんですけど」
「こ、今度は何?」
「さっき僕にもっと甘えなさいって言いましたよね?」
「いっ、言ったけども……」
「お言葉に甘えても良いですかね?」

 僕は、今できる一番の笑顔を作ってみせた。心臓はおかしいくらい早く、大きな音を立てて打ち続けている。それに延朱は気付いていないようだ。

「延朱、もう少しこのまま、僕と一緒居てください」

 決死の覚悟で口にした言葉は、延朱の吹き出して笑う声でなんとも情けないものとなってしまった。
 思わず僕は言った。

「そんなに笑う事ないと思うんですけどねェ」
「ごめん、なさい。あまりにも可愛らしいお願いだったから、つい、ね」
「それは、つまり、駄目だって事ですか?」
「そんなわけないじゃない……でも、ずっと、だったらもっと嬉しかったかしらね」
「それは――」
「だって、私はずっと一緒に居るつもりだったもの。今も。これからも」

 予想だにしていなかった返答と屈託のない笑顔に、僕は息を飲んだ。
 こんなの反則だと、心の中で呟いた。

「まあ、手始めに八戒が寝るまで一緒に居てあげるわ。あ、でもここじゃなくて座って、では駄目かし、」
「このままでお願いします」
「っ――!?」
 
 僕はもう一度延朱を抱き締めた。延朱は小さく溜息を吐いて、僕の背中をさする。

「八戒、また熱が上がったんじゃない?計り直す?」
「この熱はまた別の話です。それに、体温計を取りに行かせたら帰って来ない気がするんで」
「……信用ないわねー、私も。ちゃんと居るから安心して寝なさい」
「ええ。じゃあ休ませていただきますね」

 もう一度延朱の頭を撫でると僕はゆっくりと目を閉じたのだった。











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