朝起きて洗面台で顔を洗う。ゆっくりと顔をあげると普段よりも白い顔が鏡の奥から僕を見つめた。
 しまった、と心の中でごちる。昨晩雨に打たれたまではよかった。その後に濡れたままチェックインの手続きや荷解きをしていたせいかもしれない。どちらにせよ、後悔するには遅すぎだ。
 首筋に手を当てると熱を帯びていた。脳がうまく働いていないのがわかる。
 髪から水滴がポタリと落ちていった。


Lean on me !


「おはよー八戒!」
「おはようございます、悟空」
「珍しいな、お前が一番遅いなんて」

 普段通りに挨拶をする。悟空も悟浄も気付いていないようだ。

「むしろ貴方たちがこんなに早く起きてくるなんて思いませんでしたよ、悟浄」
「まーなあ。雨のせいであんだけ早寝させられちゃ起きちまうよ。久しぶりに一人部屋だったしな」
「その分早く町を出るだけだ」

 窓の側に座って新聞紙を読んでいた三蔵がタバコの火を消しながら言った。

「おはようございます三蔵」
「――あぁ」

 三蔵は僕を一瞥すると、新聞紙に視線を戻す。三蔵も僕の体調に気づかなかったようだ。誰にも関心がないようでいて、この男は人物をよく観察している。気付かれるとしたら三蔵か延朱、どちらかだと思ったが三蔵ではなかったことに、僕はホッと溜め息をついた。
 残るは後一人。

「延朱、おはようございます」
「おはよう八戒」

 僕が挨拶をしたので延朱は本を閉じると僕に笑顔を向けた。ほんの一瞬眉をひそませた気がしたが、僕はすぐに後ろを向いて誤魔化した。それを助けてくれたのは三蔵だった。

「おい、朝飯食いに行くぞ」
「やったー、めし、めし!」
「お猿ちゃんは朝から元気な。さすが野生児」
「ちげーし!悟浄より若いからだし!」
「はぁ?俺だってまだピッチピチだよ!年寄り扱いは一人で充分だっつの!」
「ドサクサに紛れて悪口言われてるわね三蔵」
「殺すぞテメェら」

 ゾロゾロと部屋を出て行く四人の後ろを黙ってついて行く。まだ続いている悟空と悟浄の喧嘩する声が、まるでトンカチで叩かれているように頭の中に響いている。

「――八戒?」

 立ち止まる延朱に僕はハッとして顔をあげた。目が合えば、訝しげな顔をこちらに見せている。
 この人に気づかれたくないと思う反面、やはり一番初めに気付くのはこの人なんだと思った。
 延朱は僕の予想していた斜め上の行動をとる。

「八戒体調悪いでしょう。早く寝室に戻りなさい」
「いえ、僕は、」
「黙りなさい。絶対大丈夫じゃあないわ。三蔵、出発は中止よ。悟空、後で朝食取りに行くからって宿の主人に伝えておいて頂戴」
「お、おう」
「延朱、ちょっと、」

 間髪入れずに延朱は僕の腕を掴むと、大股で僕の部屋に連れていった。

「ほんとに、貴方って人は!」

 半ば押し倒される形でベッドに寝かされる。僕は呆然としながら布団の中から延朱を見ることしかできなかった。
 何かブツブツと確実に文句であろう言葉を連ねながら、延朱は荷物の中に仕舞われていた薬箱を取り出して僕に体温計を押し付けた。

「音が鳴ったら、私が見るからそれまでは触らないで待ってなさい。」
「そ、そこまでするんですか?」
「当たり前よ。八戒なら体温計の温度下げるくらいなんてことなさそうだもの。さっきもあれだけ平然としていられたんだから。お水持ってくるから動かないで頂戴」

 ここまであからさまだと悟空にも伝わるだろう。延朱の言葉の端々から怒りが滲み出ているのがわかった。
 余程怒っているのだろう背中が居なくなるのをぼんやりと眺めていると、しばらくしないうちに体温計が機械音を鳴らした。
 同時に延朱も部屋に戻った。水桶を乱雑にテーブルに置くと、無言で僕の服の中に手を突っ込んだ。

「あの、」
「七度八部って……貴方、本当に、心底馬鹿なのかしら」

 今まで聞いた事のない声に、僕は、男の服に手を突っ込んだ事を指摘する事も出来なくなってしまった。

「貴方ドライバーでしょう?みんなの命預かってるっていうのに、なんで体調が悪いのに黙っておくのよ。朝からこの熱じゃ、これからもっとあがるわよ。運転中に何かあったらどうするのよ」
「……すみません。でも休む程でもないと思って、」
「そうかしらね。悪いけど、八戒が思ってるほど重症よ。三蔵の灰皿の吸殻の山も気にかけることができないくらいだし」
「――延朱?」
「悟浄が朝っぱらから飲んだビールの缶の言及もしない、ゴミ箱に入ってた悟空がお腹空いて備蓄を食べたゴミにも目もくれない」
「延朱」
「いつもより口数少ないし、誰とも目を合わせないし。体動かすのも最小限だし」
「そんなに、僕のこと見てたんですか?」

 僕の一言に、怒りに任せて文句を謳い続けていた延朱の顔が一気に赤くなる。

「ちがっ、ばか、違うわよ!?」

 顔を腕で隠しながら、延朱は勢いよく後ずさりしていった。勢いがよすぎて背中が壁に激突して変な声をあげている。
 僕は思わず嬉しくなった。好意を寄せている相手が自分を気にかけてくれていたのだ。そしてこの態度。聞いた僕自身も、顔が紅潮していくのがわかった。それは熱のせいかもしれないが。
 俯きながら、延朱は呟いた。

「……のよ」
「え?」

 今度は聞き返した僕の耳に聞こえるように言った。顔は手で覆われていて見えない。

「貴方はいつも格好が良すぎるのよ。全部なんでも出来てしまうから、当たり前だけど全部自分でやってしまう。しかも、好きでやってるから、私たちもそれに甘えてる。普段はそれで良いわよ?でも今は違う。八戒が風邪だってわかってて動けなんて言う人、誰もいないわよ。みんなの為にそこまでしなくて良いの。たまには自分の事も甘やかしなさい」

 言い終えて、延朱は大きく息を吸った。

「だから、もっと頼って、欲しいのよ。私は貴方の為になりたい、から――」

 顔は見えないし、声が掠れているが、確かに僕には聞こえていた。
 嬉しくて思わずベッドから起き上がろうとしたが、延朱が鋭い眼光を見せて顔を上げた。

「ダメ!寝てなさい!今日は全部私がやっておくから!朝食も私が持ってくるから!また後でね!」

 言うだけ言って、延朱は脱兎の如く部屋から出て行ってしまった。
 一人きりになった部屋で、僕は苦笑しながら首筋に手を当てた。朝よりも熱く感じるそれは、熱だけのせいではないことも自分が一番よくわかっていたのだった。



 


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