部屋を出てから、悟空は頭の中でずっと悟浄の悪口を連呼していた。
確かに悟浄の言う通り、半月ほど前に延朱とは『恋人同士』というものになった。それを他の三人も祝ってくれたはずだった。
それから特に何も変わることなく旅を続けていたのだが、どうして今になって悟浄はあんなことを言い出したのか。
それよりも――。
駆け出した足はいつの間にか止まっていて、悟空は気が付けば胸を抑えていた。
イライラよりも、何か不快な、モヤモヤする気持ちで胸の奥がいっぱいになりつつあった。
悟浄に忠告されたからというわけではない。それは明らかなのに、今自分の中で巻き起こるそれの原因が全くといっていいほどわからなかった。
もしかしたら延朱に会えばモヤモヤしたものが消えるかもしれない。そう思った悟空は再び歩き出し、延朱を探すことにした。
先程八戒と洗濯物を干しに行ったのを思い出して宿の裏手に行くと、すぐに二人の姿を見つけることができた。だが、悟空は無意識のうちに身体を隠して二人を盗み見ていた。
澄み渡った空の下、二人は談笑しながら洗濯物を干していた。ただそれだけなのに、モヤモヤしたものがさらに増え、さらには何故か悟浄の言葉を思い出して頭の中でこだましていた。
『女心と秋の空っつー言葉があるぐらい、心境ってのは変わりやすいんだよ。おめーみたいな見た目も性格のガキんちょなんてすぐ飽きられんぞ』
どうせ悟浄がふざけて言っただけだ。そう悟空は思う反面、その言葉が頭の中から離れない。
自分の気持ちだけなら、どこを好きなのか、どれだけ延朱が好きなのか手に取るようにわかる。だが相手の気持ちはそうはいかない。あの時、初めて悟空が延朱に好きだと伝えた時、延朱ははにかみながら自分もだと言ってくれた。それを今日、たった今まで微塵も疑うことはなかった。
けれども今、二人の姿を見て思ってしまったのだ。
もし、延朱が俺のことを好きじゃなくなったら……。
そう思った瞬間、胸の奥にあったもやもやしたものが一気に身体を駆け巡ったような感覚と共に、急激に体温が下がっていく。
ここでまた思い出したくもない悟浄の言葉が過ぎる。
『女ってのはな、大人の男が好きなんだよ。例えば俺みたいな、な』
悟浄はないと断言できたものの、よく考えてみれば八戒はその『大人の男』というものではないのか。大人の色香というものはわからないが、一行の中では一番落ち着いているし、家事のほとんどをやっているし、怒鳴らないし、ムキになることなんてほとんどないし……。
考えれば考えるほど『大人の男』というものに近付いてしまい、さらに胸の奥のモヤモヤが濃くなっていく。
もし、俺よりも八戒のことを好きになったら……。
一瞬考えるも、頭を振ってその考えを拭い去ろうとした。だが一度考えてしまえばそう簡単には忘れることはおろか、拭い去ることができるはずもなく。
悶々としていると、不意に衝撃的なシーンを目撃する。
「あ、そこぬかるんでて危ないですよ。もう少しこちらに」
「ホントだ。ありがとう八戒」
ごく自然に八戒の隣へと移動した延朱に、悟空は頭の中が真っ白になっていた。何も知らない人から見れば、今の二人は恋人同士に見えるかもしれない。
そんなの嫌だ。だって、だって延朱は俺の――。
気付けば悟空は弾けるようにして延朱の方へと駆けていた。そして延朱を庇うように両手を広げて立ちふさがった。二人は突然出てきた悟空に唖然としている。
「え、ご、悟空?」
「どうかしたんですか?」
瞠目する八戒を、悟空は今にも噛み付きそうな勢いで睨みつけた。かと思うと延朱の手を掴んで言った。
「延朱はっ、俺のだかんなッ!」
「はっ、え、ちょっとごく、」
それだけ言うと悟空は延朱の手を掴んでずかずかと宿の中に戻っていってしまった。ぽかんとしていた八戒だったが、悟空の一言で何か悟ったらしい。小さく息を吐くと優しく目を細めてつぶやいた。
「いやあ、青い春ですねェ」
「何にやけてんだ」
背後からの声に、八戒は振り返る。
「あれ、三蔵いたんですか」
「煙草が切れた」
空箱を握り潰しながら三蔵は最後の煙草をくわえた。
「確か昨日の買い出しの時に買いましたよ。日用品の袋の中にあるはずですが」
「もっと解りやすい場所に置け」「すみません、雨降ってたので出すの忘れちゃって」
新しい煙草があるとわかると、早速口にくわえた煙草に火を付けて肺いっぱいに吸い込んだ。
「――で。さっきから何気色悪い顔してんだよ」
「ああ、悟空がどうやら僕に嫉妬したみたいで」
「あの猿が?」
三蔵が表情を変えたのを見て、八戒は笑った。
「大方悟浄が何か言ったんでしょう。あの人、なんだかんだ言って二人のこと心配してましたからね」
「河童らしいお節介だな」
「でもまあ、良いきっかけにはなったと思いますよ」
「だといいがな」
「三蔵は心配じゃないんですか?」
宿の壁にもたれながら煙草を吸っていた三蔵は口の端をあげた。
「俺達が心配するほどあいつはガキじゃねぇよ」