「携帯……どっかやっちまった……」

 湯川の言葉に頭にきて食堂を飛び出してきたまでは良かった。その怒りを落ち着ける為に夕飯を豪華にしようと思い立ち、スーパーに寄って食材を買って家に着いた時には、既に携帯は手元にはなかった。

「あのくそ湯川のせいだっ」

 邪魔な髪を簡単にポニーテールにまとめると、手を洗って食材を買い物袋から取り出す。
 大根、鰤の切り身、ほうれん草。玉子はすぐに使わないので冷蔵庫に締まった。他の物も空いている場所に詰め込んだ。
 パックから鰤の切り身を取り出すと、沸騰したお湯をかけて臭みを取る。瞬間に立つ魚独特の香りで、綾乃は変な笑い声をし始めた。

「ふふ、ふふふ……いつもはアラで作るブリ大根も、切り身を使えばまるで料理屋だな!これも、あの、湯川、のせい、だけど!」

 大根を力の限り輪切りにして、隠し包丁を入れてから米の研ぎ汁に放り込んでガスの火をつけた。
 一度手を休めてしまうと、再び湯川の言葉を思い出してしまった。
 まるで自分の事を全否定された気がした。
 人間には必ず感情がある。勿論そういった病気を抜かしてだが、感情は人間が生きていくうえで大切なもので、他人と接する時にはなくてはならないものだと思っていた。
 しかし湯川は違うと言った。そんな物必要はない、そんな物に時間を費やすのは無駄だといった。
 どちらも間違ってはいないと思う。でも、人の事を考えるのはとても大切なのだ。それを湯川にわかって欲しかった。
 沸かしていた湯がふきこぼれたので、慌ててガスを止めた。
 後は米が炊けるだけとなり、冷蔵庫から先日使った玉ねぎの半分を取り出すと、味噌汁の具にするために薄切りにしていく。ポロポロと涙がこぼれて、まな板に落ちていった。
 ふいに、来客用のブザーがなった。
 綾乃ははっとして顔をあげた。窓の外は既に夕焼けが沈みかけていて、薄暗くなってきている。

「は、はいー」

 急いでチェーンを外してドアを開けると、そこには今一番会いたくない人物が立っていたのだった。







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