大勢の学生の視線がこのテーブルに集まっているのが、綾乃にも、内海にもわかっていた。
 ただ一人、二人の前に座っている湯川だけはしれっとした顔で納豆をかき混ぜている。
 先ほどの授業が終わり、我に返った内海に引きずられたまま、湯川と食堂に連れてこられたまでは良かった。
 大人数の前で恥をかかせようとした湯川に対して、内海から発せられるオーラはとてつもなく黒く禍々しい。なだめることも出来ずに綾乃はただため息をつくしかなかった。

「……で、分かったんですか?」

 内海は湯川を睨みつけながらぶっきらぼうに言った。明らかに機嫌が悪い。しかし湯川は湖の水面のごとく、穏やかな口調で答えた。

「前にも言ったとおり、現象には必ず理由がある。頭が燃えたことにも理由がある」
「それは前にも聞きました」
「だから前にも言った、と前置きしただろ」
「同じことを繰り返さなくても結構です!」

 内海の機嫌が地の底まで落ちていくのが手に取るようにわかった。まるで火に油を注ぐ会話に、綾乃は内心逃げたい衝動に駆られながら買ってきた菓子パンを口にした。

「……君は、何か腹を立てているのか?」
「――分かります?」

 内海の顔は、笑ってはいるが明らかに口の端がひきつっていた。湯川は、内海の怒りの矛先が自分だという事に今まで気付いていなかったようで、驚いた表情をして箸を置いた。

「まさか、僕に」
「科学者って、人の気持ちについては深く考えないんだよなあ」

 良く言った!と綾乃は心の中で割れんばかりの拍手を内海に送った。内海も、今出来る最大の嫌味を言えた事によりスッキリするはずだった。

「当たり前だろう。感情は論理的ではない。論理的ではないものに、まともにとりあうのは時間の無駄だ」

 この男には嫌味すらも通用しないのだろうか。内海の顔から作り笑いすら消えた。
 今まで二人の会話を聞いていただけの綾乃だったが、湯川の言葉を聞いて黙っていられなくなった。

「お言葉ですが准教授。私はこの大学で心理学を学ばせて頂いてますが、その時間ですら、無駄だとおっしゃるでしょうか?」

 横から食ってかかる綾乃を、目を細めて湯川は見つめた。

「……そういえば、君は心理学を選考しているんだったな」
「そうです。私は人間の感情が、いかにして行動に影響を及ぼすのかを学んでおりますが、他の学業も専念しています。ですが、その中で無駄な時間を使ったと思った物は一切ありません」
「君は君だ。僕は論理的ではないものに時間は取らない。それは個人の自由だろう?」
「……そうですね。全くその通りです。ですが、感情が論理的ではないという根拠はどこにもない。そんなの、論理的に理解出来ないものから目をそらしているだけです」
「そらしているわけではない。そもそも僕は、論理的ではないものに興味はないという話をしていただけだ。感情にだけ興味がないというわけではない」

 言い終えると、湯川はまた箸を持って食事を再開した。
 しばらく黙っていた綾乃だったが、心配した内海が話しかけようとした瞬間、跳ねるようにして椅子から立つと、湯川を睨みつけた。

「――それでは、論理的でないとお考えの感情を口にする私と居る時間も無駄という事ですね。そういう事でしたら失礼致します」

 周りからの注目を浴びながら、綾乃は食堂から逃げるようにして走り去った。




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