第一章
燃える―もえる
「おい見ろよ、橘綾乃ちゃんだ」
「本当だ、ラッキー!今日はついてる!」
正門の前でそんな会話をしている男子学生達に、綾乃は笑って挨拶をした。二人は鼻の下を伸ばして顔から湯気をださんばかりに紅潮させ、その場に立ち尽くしている。
綾乃は綺麗な黒髪を靡かせながらレンガの大門をくぐったのだった。
***
橘綾乃は、帝都大学に在籍する心理学部の一年生だった。
頭脳明晰、容姿端麗、趣味は読書という、まるで辞書から『お嬢様』という言葉をそっくりそのまま引き出した性格と容姿で、周りから憧れの目で見られる程だった。
だが、実際はそうではなかった。友人でさえも知らない秘密を綾乃は持っていた。
「えー、この犯罪者のケースは――」
ただただ黒板に経のように書かれていく文字をノートに写すだけの単純作業に、綾乃は嫌気すら覚えはじめていた。
専攻していたのは心理学。その中でも犯罪心理学に力を注いでいた。犯人が何を考え、それに伴い行動した結果などを心理的要素で考えるものだ。
ただ、この講義を取っている学生は少なく、いたとしても単位欲しさにやってきた学生ばかり。そんな学生は寝ているのがほとんどで、教授は綾乃の為に授業をしていると言っても過言ではなかった。今日も教授とのほぼマンツーマンの講義に、綾乃は小さなため息をつく。
「あー……だりい。ゲイシーの話は有名すぎてつまんねーっつの」
ぼそりと独り言を言ってみても、周りに学生は座っていない為誰の耳に入る事もなかった。
傍目から見ると可憐な少女が何か悩んでる様にしか見えなかっただろう。この頭脳明晰、容姿端麗な少女は破滅的に口が悪かった。