***21***
大破したビルの一室で、瓦礫の中から身体を起こしたバーナビーは、ルナティックを睨み付けた。
「……お前は、ウロボロスなのか!?」
「だったらどうする? このマスクを剥ぐか?それともこの場で八つ裂きにするのか?」
ルナティックは大げさな動作をして挑発するような口振りで言った。
バーナビーは怒りを顕わにしてルナティックに殴りかかった。しかし能力が切れているバーナビーの拳は簡単に避けられてしまう。
空振りした勢いで、バーナビーは瓦礫に突っ込んでしまった。瓦礫を無理やりどかすと、ルナティックが目の前で、クロスボウを向けて立っていた。
「――正義を語っていても、所詮その程度の正義だという事だ」
矢に炎が纏い、向けていたクロスボウに携えて、引き金に指をかけた。バーナビーは能力が切れているので逃げる事ができず、その場から動けないでいた。
指がスローモーションで動く。
ぎゅっと目を閉じたバーナビーだったが、衝撃が来ない事に驚いて目を開いた。
ルナティックの手からクロスボウが落ちていた。さらに、その腕はワイヤーで拘束されている。
「捕まえたぞ、このサイコ野郎! お前のやっている事は正義じゃねえ、ただの人殺しだ!」
ワイヤーの先はタイガーの腕と繋がっていた。
タイガーはワイヤーを力いっぱい引っ張った。能力が発動していたのでルナティックは容易く、魚のように一本釣り状態でタイガーに捕まった。
それでも尚、余裕を崩さないルナティックは、タイガーの言葉がさも可笑しいといった風に首を捻った。
「ただの人殺しだ? 面白い事を言うねえ」
「面白いのはお前の顔だ! グローブついてんぞ」
ルナティックのマスクの模様がそう見えたのか、タイガーは自分の頭の、模様と同じ場所を指でつつきながら言った。
ピクリと肩をこわばらせたルナティックは、今までの飄々とした感じから一変して殺意のこもった雰囲気をまとった。
「――君がワイルドタイガーか。覚えておこう」
蒼い炎がルナティックの両目から溢れ出した。 両手からも炎が現れると、いとも簡単にワイヤーを断ち切った。その瞬間、ルナティックは舞い上がり、高層ビルに飛び移った。
「おい待てよ!」
タイガーもその後に続こうとしたが、グリーンに発光していたスーツの一部が静かに消えた。能力が切れてしまったのだ。
『――案ずるな。この世の闇を切り裂く為に、私はまた現れる』
地団駄をするタイガーにルナティックはそう言い渡すと、闇夜に溶けていった。
バーナビーは怒りに任せて壁に拳を叩きつけた。
「また、あいつに……!」
「諦めるのはまだ早いぞ。手がかりが残ってる」
タイガーの言葉にバーナビーははっとして振り返った。
アームについているボタンを操作してホログラムを起動させた。画面が光り、一人の男の顔写真が映し出される。
「アジトの男が一人、生き残ってるんだからな」
バーナビーはその写真を、希望を持った瞳で見つめた。
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夜間という事ですでに面会時間は過ぎていた。大事な人のお見舞いをしにきていた人々は、ほとんどいなくなっていた。
目の前を歩く美人な看護婦には目もくれず、虎徹は廊下の長椅子に座り、携帯電話で誰かにメールをしていた。やはりその手付きは覚束無い。バーナビーにおじさんだと言われたのも頷ける。それでも、ようやく打ち終わったのか、虎徹は満足そうに頷いてメールを送信した時だった。
病室の自動扉が開き、顔を伏せるバーナビーが出てきたのだった。
「どうだ、タトゥーはあったか?」
虎徹は立ち上がり、バーナビーに訊いた。力なく首を振ったバーナビーを見て、良い結果がなかったのだとわかると、虎徹は今一度座っていた椅子に座り込んだ。
「そっか……あのアジトの犯罪組織、ウロボロスじゃなかったか」
教会にいた犯人の中で、助かったのは今病院に収容されている一人だけ。その男にはウロボロスの刺青はついていなかった。
それがなければただの犯罪者という事で、両親を殺した犯人とはつなぎ合わせる事ができない。
バーナビーは虎徹の座る長椅子に少しだけ距離を置いて、座りながら言った。
「でももう、じたばたしても仕方ありません。彼の意識が戻った時に、また何か聞いてきます」
今回もまた空振りだった事で、落ち込んで取り乱すことを心配した虎徹だったが、バーナビーは至って普通でいることに安堵の笑顔を向けた。
「なんだ、案外冷静なんだな。けど、口封じじゃないとしたら、あいつの目的はなんなんだ」
ヒーローと同じようなスーツに身を包み、ヒーローと同じネクストの力で人を殺し、それが正義だと言った男。
「ルナティック……」
ウロボロスの犯人を口封じで殺しているわけではないのなら、一体何が目的なんだと思いふけっていると、バーナビーが出てきたのと同じ扉が開く。そこから病院ではあまり似つかわしくない姿の男性が現れると、バーナビーは立ち上がって深々とお辞儀をした。
「お忙しいところ、無理を言ってすみませんでしたユーリさん」
「いえ、これも仕事のうちですので」
バーナビーと同じくらいの身長の男は、ひょろりとしていて、不健康そうな色白い肌をしていた。風に吹かれたら倒れてしまいそうな程だった。
ユーリは、肌と同じような不健康そうな色の唇の端をあげて微笑んだ。
「裁判官も大変ですねー、面会の立会人なんて地味な仕事」
「まあ裁判官といえど、司法局の役員に過ぎませんから。また何かあったら言ってください。あなた方への協力は惜しみませんよ」
鎖骨よりも長い前髪を片手で払いながら言った。
二人はユーリに面識があった。バーナビーの誕生日の前日に、裁判所で会っていたのだ。虎徹の賠償金問題の時に。
「いやー本当に心強いですね! そんな感じで俺の賠償金もパパっと消えたりなんかしたり、」
「するはずがないでしょう」
「ですよねー」
そんな冗談が言えるのは賠償金を少なからず払っているからだった。もちろん、パートナーのバーナビーの年俸からも随分と引かれてしまっているのだが、虎徹はそれを知らないでいた。
「次がないようにお願いしますね」
「もちろんでっす!」
虎徹は帽子を取ってビシッときをつけをして真面目な顔でいった。だが、すぐにその顔は何かを見つけて驚いた顔になった。
バーナビーとユーリは虎徹の視線の先を追う。
エントランスの付近でキョロキョロしている人物を捉える。
「バーナビーさまっ……!」
こちらに気付いて、早足というよりも、走りながらシシーがこちらに近付いてくるのだった。
「シシー、どうしてここにっ!? 」
息も絶え絶えに、バーナビーの前に立ったシシーは呼吸を整えようと胸を抑えながら言った。
「虎徹様から、メールがあって――バーナビー様は、病院にいるからと教えられて……私てっきりバーナビー様の身に何かがあったのかと思って、急いでこちらにきたのですが……」
シシーの説明に、バーナビーは青筋を浮かばせて虎徹を睨んだ。
「――おじさん、また余計な事しましたね!? どんなメール送ったんですか!」
「あ、いや……はは。今病院にいて、バニーに付き添ってるって、」
「そんなメール、誤解するに決まってますよ!」
「――シシーちゃんごめん」
虎徹が苦笑いしながら頭をかいた。悪気はなかったらしく、少ししょんぼりしているのを見て、バーナビーはこれ以上言及しない事にした。
「いえ、何もなかったのなら良いのです。バーナビー様がご無事で、本当に良かった」
「僕はなんともありませんよ。色々あってここにいたんです」
ほっと胸を撫で下ろすシシーの頭をバーナビーは優しく撫でた。始終を見ていたユーリは、にこやかに笑っている。
「随分とお美しい方だ。バーナビーさんのガールフレンドですかな?」
一瞬で耳まで赤くなったシシーは、目を見開いて口をパクパクと開閉しながらその場に立ち尽くしていた、かと思うとバーナビーの後ろに隠れてしまった。
「そーなんですよ実はでっ!?」
さっきの落ち込みようはどこかに飛んでしまったのか、虎徹は調子に乗って、笑いながらバーナビーの前に立った。だが、口を開いてすぐにバーナビーに手の甲をつねられて、虎徹の口は閉じられる。
「そんなわけありませんっ! 会社が雇った使用人です。シシーと言います」
バーナビーの影から少しだけ顔を出してシシーも頷く。
「そうだったのですか、それは失礼しました。私はユーリ・ペトロフと申します。一応これ、どうぞ」
ユーリは笑いながら胸ポケットから名刺入れを取り出すと、一枚だけ抜いてシシーに渡した。
恐る恐るそれを受け取ったシシーは小さくお辞儀をしてすぐにバーナビーの後ろに隠れてしまったのだった。
ユーリはくすくすと笑いながら、姿勢を正した。
「――ゴシップには気をつけてくださいね、バーナビーさん。誰が見ているかわからないのですから。では失礼」
「えっ、は、はい。今日はありがとうございました」
バーナビーが会釈をすると、ユーリは手をあげて挨拶を返した。
エントランスに向かうユーリの後ろ姿を、シシーは見えなくなるまでじっと見つめていたのだった。