バーナビーはアポロンメディアに着いてから、三度目の溜め息をついていた。
 マーベリックの秘書が、そんな憂いを含んだバーナビーに見惚れて溜め息をついたのも三度目だった。
 昨日はあれだけ切り捨てなければいけないと思っていたシシーと普通に会話をしてしまった。それどころかいつも通りにすら戻っている。このままではいけないと思う反面、このままでもいいかもしれないと思う自分がいた。
 悩んでいると、ドアを開けてマーベリックが現れたのだった。

「すまないバーナビー、呼んでおいて待たせてしまって。急な仕事が入ってしまってね」
「いえ、大丈夫です。ところで今日の仕事というのは?」
「そうだったね。着いてきたまえ」

 秘書に一礼されて部屋を出る。マーベリックの後ろをバーナビーは黙ってついていく。
 黙ったままのバーナビーに、マーベリックは優しく声をかけた。

「――とても疲れているようだね。顔色が悪い」
「あ、すみません……あまり、寝ていなくて」
「犯人をあんな形で死なせてしまったからね。仕方のない事だ」
「――すみません」

 実際は、犯人なんてどうでもよくて、シシーの事ばかり考えていた、なんて、弁解するのも差し出がましい気がしたので肯定した。
 話が途切れ、二人とも無言になる。バーナビーは顔をあげると、マーベリックの背中は広く見えた。父の背中も広かったなと、面影を被らせた。
 両親が亡くなってから二十年、マーベリックが育ての親として面倒を見てくれていたのだ。父親のように見えて当然だと思った。
 もしかすると、マーベリックなら今抱えている問題を解決してくれるかもしれないと、バーナビーは恐る恐る口を開いた。

「――あの、マーベリックさん、一つ聞いてもよろしいですか?」
「構わないよ。どうしたんだい?」
「……大事な事の為に、大切な物を切り捨てる事は出来ますか?」

 前を歩いていたマーベリックの歩みが止まる。くるりとバーナビーの方に向き直る。

「難しい質問だね。もう少し詳しく教えてくれないかな?」
「……何に変える事も出来ない大事な事があったんです。でも最近、それすらも薄れさせてしまう大切なものが、できてしまって……」
「――そういうことならば、わたしは新しい方を切り捨てよう。以前から大事にしている事の方が、新しい物よりも大事なのではないのかね?」
「――やはり、そうですよね」

 マーベリックも同じ意見だった事に、バーナビーは肩を落とした。もしかしたら別の答えを出してくれると思ったのだ。
 落ち込むバーナビーの方を、マーベリックは優しく肩を抱いた。

「そう落ち込む事はないよ、バーナビー。誰しも大事なものをずっと守れるわけではないのだからね。さあ、こちらにおいで」

 促されるまま入ったのは、斎藤の研究所だった。自動ドアが開くと、そこには斎藤と、今一番会いたくない顔までいたのだった。

「バニー!? お前」
「マーベリックさんに……呼ばれて」

 バーナビーは虎徹と目が合わないように俯いた。
 あの時虎徹が止めなければ、今こんな思いをしなくても良かったのだ。未だに虎徹を恨めしいと思っていた。
 それとは別に、今日も無断欠勤してしまったし、昨日の事件にも出動しなかった。後者は元々聞かされていなかった事もあるが、仕事を休んだ罪悪感があったのだ。

「え? マーベリック、さん?」

 バーナビーの拒絶に気付いていない虎徹は、マーベリックの名前を聞いて首を傾げていた。まさか社長の名前すら知らないとはね、と斎藤は笑ってみたが、誰にも聞こえなかったようだ。

「彼はこのところ、疲れが溜まっているようでね。ちょっとナーバスなんだよ。そのせいで君にも迷惑をかけてしまい、申し訳なかった」
「別に俺は良いんすけど」

 いつもの調子で虎徹は笑った。

「それで、今日は良い機会だから、君たちに試してもらおうと思ってね」
「このでっかい筒?」

 虎徹が指差したのは、壁に寄りかかった大きな筒状の機械だった。

「ああ。斎藤君が新開発した超高濃度酸素カプセルだ。まだ試作段階だが、疲労回復にはもってこいだ。さあさ、入りたまえ二人とも」

 マーベリックに促されるまま、二人は機械の中に寝そべった。
 ゆっくりとバッチが閉まると、穴から風の音が聞こえてくる。少しずつ気圧が上がり、まるで水中にでもいるかのような錯覚を覚えた。だがそれは決して苦しいわけではなく、心地が良かった。
『聞こえるか? バーナビー。君のやり場のない気持ちもよくわかる。だが、ここで投げ出してしまっては、君の目的は達成できないよ』

 両親の変わりになってくれていたマーベリックですら、心配をさせていたのだと思い、バーナビーは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「ご心配おかけして、すみません……」
『今はゆっくり休んで、もう一度立て直そうじゃないか』
「はい」

 バーナビーは心が休まる音楽に包まれながら、目を閉じた。疲れていたせいもあり、すぐに睡魔が訪れる。
 最後に聞こえたのは優しい声。二十年間優しく見守ってきてくれた声。

『おやすみ、バーナビー――』

 その言葉に答える前に、バーナビーは眠りについたのだった。




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