Song for...







あの部屋からは、いつも歌声が聞こえてくる。
透き通って、優しく、でもいつも楽しげな歌声。

あの歌声に自分が恋をしている、なんて柄にもないそれに気がついたのはいつだったか。


毎週土曜日の夕方7時半、近くの店から、街からは少し離れた一軒家まで。
生活用品や食材のデリバリーを頼むのは、そこに住む老夫婦。
帰る前に、木陰で2階から聞こえるその歌声に耳を傾けるのは、いつしか俺の習慣になった。
1週間働いた心を癒すその歌声が、身体に染みる。

彼女が歌う歌は日によってまちまちだった。
雨の日は雨音に溶けるバラード、連休中はアップテンポな曲が多い。
ちなみに最近はラブソングが続いている。


いつしか俺は、彼女の歌声だけでなく、話し声を、顔を、知りたくなった。



「……らしくないな。」

今日もひとり、あの家へバイクを走らせる。
俺とは思えないような思考を振り払うように、小さく首を振った。


その時、ポケットの中のケータイが震える。

バイクを路肩に止めて、受話器をあげた。


「ストライフ・デリバリーサービス。
ご要件は?」

『ああ、こんばんは!
今ウチに配達中かしら?
ごめんなさいね、白菜をお願いするのを私すっかり忘れていて。
そちらもお願いしていいかしら?』

電話の相手は、まさにその配達先の一軒家。


「ああ、わかった。」

電話を切って、来た道を引き返す。
結局配達に到着したのは、8時を少しすぎた頃だった。


「すみませんね、ストライフさん。
いつもご苦労さま。」

「今後ともご贔屓に。」

荷物を受け渡して、その2階に目を向ける。
もう、歌は終わってしまっただろうか。

ふと月明かりの中で目線を上げると、そこには美しい髪の、儚げな女性が立っていた。


「あっ!郵便屋さん!こんばんはー!」

そのまま身を乗り出して、俺に手を振る。
……俺は郵便じゃない。


なんと答えるべきか戸惑っていると、また彼女から声が掛かる。


「私、いつもここで歌っているの。
貴方よね、いつも歌を聞いてくださってるのは!」


「……あんただったのか、あの声は。」

「ええ、下手じゃないでしょ?」


こっちこっち、と手招く彼女。
そのバルコニーの下まで歩み寄って、いつもの木に凭れる。


「郵便屋さんは、いつもそれで色々なところをまわっているの?」

「……デリバリーサービスだからな。」


遠回しに郵便屋を否定して、彼女を見上げる。
すると彼女は俺の返答にぱっと顔を明るくした。


「だったら、街にも行ったりするの?」

「ああ。」

「海辺の方は?」

「時々。」

「山のふもとの村には行ったことはある?」

「まあな。」


俺の素っ気ない返答に嬉しそうに笑う。
その顔はまるで咲いた花のようで、高い声は歌声と変わらず透明で心地良い。

それならあれは、あとはこっちも、と、夢中になって話す彼女に、ふと疑問が浮かんだ。


「あんたは、外に出るのが好きなのか?」

それにしては肌も白いし、車も自転車も止まっていないこの家から、遠くまで歩いていくような雰囲気には見えない。

すると彼女は、俺の質問に少し俯いた。
さっきまでの勢いが、ぐんと落ち着いて沈み込む。
……なんだ?



「私は……外には出られないの。」

「どうして?」

「身体が強くなくて、おじいさまもおばあさまも、何かあったら大変だからって。
感謝はしてるのよ?もちろん。
でも、時々思うの。外の世界を少しでも見てみたいって。」


それでテレビを見たりラジオを聞いたりしているうちに、色々な歌を覚えたという。


「……そうか。」


なんだか、聞いてはいけなかった事を聞いてしまっただろうか。

すまない、と声を出す前に、彼女がその空気を振り払うように声を上げた。


「そういえば郵便屋さん!私、」


その瞬間、身を乗り出した彼女の身体がぐらっと前に傾く。


「わっ……!!」




落ちる。


そう思う前に俺の身体は動いていて、気付いた時には2階から落ちた彼女を受け止めていた。


腕の中で彼女が恐る恐る目を開く。


「……私、死んだ……?」


その言葉に、思わず吹き出した。


「ふっ……いいや、まだ生きてるみたいだ。」

安心した彼女が、ゆっくりと顔を上げる。


「そ、そう、よかっ……た………」


流れるように立ち上がる睫毛。
それからその瞳が俺をとらえて、吸い込まれるように見つめ合う。

……綺麗だと思った。

彼女も、俺を離さない。

頬を撫でる風がなびかせる彼女の髪は、月明かりを反射してまるで星空を流れる川のようだ。


そのままその瞳に近付いて、すっと瞳が伏せられて………


かたん。


立てかけられた箒が倒れるのと同時に、我に返った。


「わ、わわわっ、ごめんなさい!」

「い、いや、俺も、すまない。」


そっと彼女を下ろして、彼女も服の裾を整える。


「その、私、戻りますね!
助かりました、おやすみなさい。」

「ああ、怪我がなくて良かった。
また次に。」


彼女の後ろ姿を横目に、バイクに跨った。
その俺を、ひらひらとスカートをなびかせて走り去る彼女が、くるっと振り返る。


「郵便屋さん!」

「クラウドでいい。」

「うんっ、クラウド!
また、聞きに来てくれる?」


首を傾げる彼女に、ゴーグルを下ろしてから頷いて見せた。
クラッチを捻って走り出すフェンリルを、彼女の瞳がじっと見つめている気がした。








- ナノ -